ワプニック博士の事件簿
最近、旅行やら何やらでしばらく博士本にたどり着けませんでした。今までは会社のランチタイムにExcerpt Seriesとか読むのがお気に入りだったのですが、最近はそれも全然出来てません。。。
そんな中、久々にチラ見してみたのが唯一紙本で持ってる原著、Forgiveness and Jesusです(まだ読み終わってない)。ぜんぜん古さを感じさせない内容ですが、最も初期の著作(1983年)だそうですね。博士の若かりし頃の想い出エピソードが興味深いので、ひとつピックアップしてみようと思います。
Forgiveness and Jesusより:
Several years ago, I was awakened in the middle of the night…(p90)
何年か前のことです。真夜中に突然、私の部屋に誰かが立っている気配を感じて目を覚ましました。一瞬ショックを受けたあと、「恐れるものは何もない(L48)」ということを思い出し、この招かれざる客に対して落ち着いてたずねました:「何かお役に立てることはありますか?(What can I do for you?)」。しかしながら、状況はハッキリしていました。もし泥棒だったら人が住んでいるアパートに侵入することはありえません。この男性は明らかにドラッグ中毒で、次の一本を打つために、絶望的にお金を必要としていたのです。彼はいかにも拳銃があるかのような素振りでジャケットに手を突っ込み、要求を突きつけていました。
しかし、私の防衛しない態度が、部屋の空気を変えたようでした。その男は、「夜中に突然侵入して、眠りを妨げて申し訳なかった」と謝罪しはじめたのです。私は、財布に入っていたお金すべてを差し出して与えました。彼は一旦それを受け取りましたが、すこし考えてから何ドルかを返してこう言いました:「これはあなたの有り金ぜんぶだ。あなたを一文無しにして去るわけにはいかない」そして、彼は謝り続けました。私は、それで全く構わないと彼に請け合い、行って自分が欲する通りにすればよいと伝えました。
そして男を通路に案内し、一緒にエレベーターを待っている間、私は「あなたに神の祝福がありますように(God bless you)」と言いました。エレベータが閉じるとき、彼の最後の言葉は「どうか私のために祈ってください」でした。もちろんそうしましょうと約束しましたが、私はこの聖なる出会いこそが、祈りそのものであったことを知っていました。真に失ったものなどなにもなく、いかなる悪事も行われませんでした。彼に渡した金額など、赦しによって互いに与えられた祝福を思えば、些細な”代償”に過ぎませんでした。
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すごく感動的な話で、とても上品に書いてありますけど。。。
平たく言うと「真夜中の寝室にジャンキーな強盗が入ってきた」という事件なわけで、一般的な目線で考えたら、生死に関わる超ヤバイ状況だったんじゃないかと思うのは私だけでしょうか。だって向こうも追い詰められてて、殺る気まんまんだった可能性もあるわけだし。
この本が41歳ごろに出版されたとすると、おそらく博士が30代後半で一人暮らしだった頃の出来事だったのではないかと思います。その若さで真夜中に強盗に入られて「What can I do for you?」って言える人がこの世に何人いるかなあ。
改めて考えると、すごすぎる。(゚Д゚)
でも、次のページに結論が書いてあって、
Our response to injustice, therefore, is… (p91)
従って、不正義に対する私たちの応答は、愛と思いやりに基づくものであって、恐れや復讐を望むことではありません。
。。。やっぱそうですよね。
博士が伝えたかったのは、強盗の話じゃなくてこっちだったんだな。それにしても、実話なだけに説得力ありすぎです。
それでなんとなく、その後の博士があまり自分のことを言わない理由も分かるような気がしてきました。こんな話ばっかだと、感銘を受けた学習者が博士を神格化したりしてコースアウトの原因になるかも知れません?(私はもっと読みたいけど…)
だから自分の話をするかわりに、”Be normal” って教え続けて、普通に生きる私たちが地道に一歩ずつ進めるように励ましてくれたんじゃないかなって、なんとなくそう思うようになりました。(^^;;
出典:Forgiveness and Jesus (FACIM)
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