買い叩き案件を断るまで(2)
(続き)
その場のノリでつい安請け合いをしてしまう悪癖が祟ってトリプル窮地に立たされてしまったアホな私。。。
さすがに一人ではどうしようもなくなって、先輩方のアドバイスを求めることにしました。
自分も相手もハッピーに
最初に相談に乗ってくれたのは長年IT業界で何千万円もする仕事を売ってきたベテラン営業マンのハイドさん。起業サロンの先輩です。
ハイドさんは私の話(カントクさん案件x3)を聞くなり、
「ああ〜。。。確かにその持っていき方はマズかったねえ。。。金額を出す前に、まず仕事の範囲をきっちり定義しないとダメなんだよねえ。」
ですよね。。。orz
いわく
「あのね、詳細がハッキリしない仕事を依頼されるとき、最初に”いくらでできる?”って聞かれること多いと思うんだけど、絶対にその場で金額を答えちゃいけないんだよ。これ鉄則。」
「ええっ?そうなんですか?でも聞かれてるのに何も答えなかったら悪いでしょう?」
「そうかな?だって何百万もするWeb案件で、詳細も分からないうちに相手の言い値で引き受けたら大損害になるよ」
「確かにそうですね!じゃあ、なんと言えば。。。」
「そういう時はね、”今すぐお答えできないので持ち帰らせてください”って言うんだよ。それで時間を稼ぐ。その間に、その案件の相場とか注意点とかをエキスパートに聞いて概算を出すんだ。それも、あらゆる可能性を想定した上で、これ以上高くなることはないだろう、という上限の価格を出す」
「えええ!相場が100万の話でも500万とか言うんですか?相手はびっくりでしょう!」
「そりゃ相手もびっくりするさ。でも、先に高く言っといたほうが互いに気持ちよく交渉できるんだ:”まだお話の詳細を伺ってないので、あらゆるケースを想定したMAX価格がこれです。でも詳細を吟味させて頂いて、削れる部分が分かればもっとお安くなります”ってね。」
おおおお、確かにこの金額より安くなると言われれば悪い気はしない!
「そうやって、双方が合意できる点を細かく洗い出しつつ、最終的な落とし所になる金額を出していくんだ。」
わー!そういうことか〜(゚∀゚)
ハイドさんは長い営業人生を通じて、交渉ごとは食うか食われるかの戦いではなく「顧客と長くお付き合いするための手段」だと教えてくれました。その秘訣は、互いに細かく合意をすり合わせながら話を進めることで、最終的に自分も相手もハッピーになるように話を組み立てていくこと。うわあ、こういう営業ってなんか素敵だな〜。。。
私、相手にイイ顔するばっかりで、ぜんぜんそこまで考えてなかった。相手が良ければ自分は多少我慢してもいいや、という派遣時代の発想のままでした。。。これじゃ買い叩かれ人生にもなるわ〜。
よし、私も今度からは「今すぐお答えできないので持ち帰らせてください」戦法でいこう!!
相手のペースに乗らない
次に相談したのは長年のマブダチのロクザさん。彼は昔フリーのエンジニアをやっていたので、実はかなり交渉ごとは得意なのです。相談したのは、ダルマさんの◯万円のアンケート案件。あれは出だしから完全に私の敗北でしたが、これ以上傷を広げないためにはどうしたらいいか?を聞いてみました。
「うわあ、トベさんそれはマズかったねえ。。。金額を出す前に、まず仕事の範囲をきっちり定義しないとダメなんだよねえ。」
くそう、ハイドさんと全く同じこと言っとるやんけorz。わかったよう、私が悪かったよう。次からはちゃんと対等に交渉するから、今回のダルマさん案件をどう乗り切ったらいいかアドバイスください〜。
「なるほど、向こうはいきなり即決して◯万円で現金払いするって言ってきたのか。そのダルマさんて人はかなりの手練だね。たぶん、次の打合せで顔合わせるなり、現金の包みを出してくると思うよ。」
「えっ!なんで分かるの!」
「先に金を渡しとけば、自分のペースに持っていきやすくなるから。俺ならそうする。」
「まじか〜!ど、どうすれば?」
「そうだね、もう◯万円て言っちゃった訳だから、せめてその範囲内でできる事を定義して紙に印刷して持っていくべきだな。で、その範囲を飛び出る要求が出たら別途見積もり。」
「わかった!その価格での作業範囲をこっちで決めるのね!書き出してみる!」
「あ、その一覧は、相手が現金を出してくる前に見せないとダメだよ。会って挨拶したら間髪入れずに”ちょっとこれ見てください”って出す。相手のペースに持ち込ませないこと。」
「ううう、できるだけ頑張る。ありがとう(T_T)」
「まあ、練習だと思ってガンバレ。笑」
(数日後)
待ち合わせの喫茶店に現れたダルマさん。挨拶が済むやいなや、ロクザさんの予言どおり懐から現金の入った封筒を出そうとしてきました(キターーー!)。私は指示通り、ダルマさんを遮って「あの!私のほうで作業範囲をまとめましたので先に見てください!」と紙を出し。。。
。。。まあ、結論から言うとやっぱり相手のペースに持っていかれましたが、私も一つだけ頑張りました。全然聞いてない簡単なページをついでに作ってくれと言われた時、(別にこっちで全然やっても良かったのだけど)「その話は聞いてませんので、そちらでご用意ください」と辞退したのです。
すると相手は不機嫌になり「わかったよ!こっちでやればいいんだろ!」と吐き捨てたので、私も悪いことをしたかなと思ったけど。。。
後でロクザさんに報告したら褒められました。
「トベさん、よくやった!その簡単な1ページをお断りしたという実績が大事なんだ。それ、今後大きなアドバンテージになるよ!」
「ぇえ?そうかなあ、なんかめっちゃ不機嫌だったよ。簡単な話だったし、引き受けたほうが良かったんじゃ?」
「いや違う。トベさんがそこを譲らなかったおかげで、ダルマさんは今後一切、その簡単なページよりもヘビーな要求をなし崩し的に上乗せすることはできなくなった。これ重要。」
「あ!そうか!そういう将来的な抑止効果になるのか。なるほど。。。」
「初めてにしては上出来だよ。あとは要望どおりに納品したら、さっさと縁を切ることだね。」
ううう、ありがとうロクザさん。心強い友達がいて助かった。ダルマさんの件はぜひそうさせてもらいます。感謝(T_T)
でもまだ、オヤブンさんとカントクさんの大物案件という問題が残ってるんだよなあ。
(つづく)
コメント
私は全く内面的なことしかわからないので、あれですが、というか、最近わかってきて、えええ?ということがあり。
それは、例えばtobbeさんがダルマさんのついでの依頼のページ作成を断ったときに、ダルマさんが不機嫌になったことに関してですが、あれは、tobbeさんを攻撃したり批判したりなど、否定的に捉えたりしているわけではないようなんです。
あ、実際、批判的には捉えているのかもしれませんが、それは心の中での話で、シャバでのやりとりでは決して見せないところで、ですね。
ところが、関わりが「予定調和」の状態から外れる、つまりこの場合だと、tobbeさんがダルマさんの依頼を断る、という流れですが、そうすると、「予定調和」の状態だと隠れていた、相手の「内心」とでもいうものが顔を出すんです。
そして、その「内心」では、ダルマさんは、ちえっ、と不機嫌になっていますが、そのときのダルマさんは、いわば、tobbeさん向けの仮面を脱いでしまっているんですね。
それは、「予定調和」が崩れたために、同時に仮面も脱げてしまったわけです。
ということは、実は、表向きのダルマさんとしては、取り立ててtobbeさんに対して否定的な思いを持っていない、というわけなんです。
少なくとも、その不機嫌な気持ちは、tobbeさんに向けているわけではありません。
「気安く引き受けてくれるtobbeさん」という彼の中のイメージとは異なるtobbeさんを見て、彼はうまく認識できなくなり、思わず内心の自分が顔を出したというわけです。
だからこそ、もしそこでtobbeさんが、相手から批判されていると感じて萎縮してしまうと、仕事上の関わりがうまくいかなくなり始めます。
たぶん、tobbeさんはそのような状況において、相手が不機嫌な顔を見せないように気をつけてきたと思いますが、そうすると、相手はtobbeさんといても、内心の自分がむき出しのままでいることができるため、だんだん油断して、tobbeさんが自分の延長線上の存在であるかのように感じはじめ、自分とは異なる他人としてのtobbeさんを意識しなくなるようになり、そうすると、ある意味で、相手から見てtobbeさんが見えなくなる状況を、tobbeさん自身が作り出していくことになり、結果としてドアマット的になっていきます。
こうした意識のメカニズムがあることを、昨日だったか、私は自分の過去を再点検していて気がつきました。
たぶん、だからこその、『嫌われる勇気』という本がありますが、まさにこういうことなんでしょうね。
嫌われてもいいから自分を表明すると、人間関係は案外それでうまくいくものらしいです。
まあ、私はそういう意味では、超絶技巧的に嫌われたくないので(笑)、こういう変なことがわかるようになった、のではあるんですけどね(笑)。
ああ、断るときはちゃんと断っていますよ。
社会自体を断っていますが(笑)。
ただし、裏を返すと、tobbeさんには、そのように、相手が他者への警戒心を解いて素の自分でいられるような安心感を醸し出す何かがある、ということなのかもしれません。
つまりそれは、おもてなしとか歓迎する意識として、使い方によってはとても有用な才能なわけです。
相手としても、何か自分のことでtobbeさんもまた心から喜んでくれるとしたら、こんなにうれしいことはありませんしね。
ですがそれを自己否定的に用いていると、ドアマットになってしまうんですね。
ああ、しかし偉そうに書いてしまったかもしれません。
なんかすみません。。。
実は、私は自分がドアマットであることを想像すると、なんかとてつもない喜びがこみ上げてきたりするので、もっと踏みつけにされたい気持ちすら感じ始めたりして、マジでやばい人間ですわ。。。
なんかこう、神は「究極のドアマット」なのかもしれないなあ、とか。。。