ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
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[JWD] 奇跡講座の「主の祈り」

2/14。

Journey Without Distance (3)

薄っぺらいのにカメの歩みで読み進めているJourney Without Distance(以下JWD)本のメモつづきです。ACIM全体の書き取りがなされる7年間の長い道のりについて読みましたが、中でも2つのエピソードが印象的でした。

天上界の計画の迅速化

Journey Without Distance p60より
By the end of the first ten days, Bill had typed fourteen pages, but when he met Helen the next morning she had no material to read him…

前回、ヘレンが書き取りに対して猛烈に抵抗感があったという話を書きましたが(1/29投稿分)、一連の事件が始まって10日目(ちょうど50の原理を書き取った直後)くらいにもうひとつエピソードがありました。

最初の10日間でビルはヘレンの読み上げを聞きながら14ページもの原稿をタイプしましたが、11日目になるとヘレンは手ぶらでやってきて「読むものはありません」と言いました。この頃はビルもヘレンも、”A Course in Miracles” なるものが何なのか、どのくらいの長さになるのか、さっぱり見当がつかなかったので、ビルは「もしかしたら書き取りは完了したのかも知れない」と思ったそうです。しかしヘレンは「いいえ、まだ内なる口述は終わってないけど、何が起こってるか私に分かるまではもう書かないわ」と宣言したらしい。

そこでビルはまたもや機転の利いた提案をします。
「君がその答えを知ることの出来る唯一の方法とは、その「声」に直接尋ねることじゃないだろうか?そして、もしその声が何も答えてくれなかったなら、明らかにこれ以上続ける必要はない、って事になるはずだよね」

ヘレンにとって、(もう書き取りしなくて済むかも知れない…という)この提案は希望あふれるものだったので、その晩に「声」に尋ねてみることに合意しました。ところがその晩、ヘレンが受け取った答えとは次のようなものだったのです:

Journey Without Distance p60より
「世界の状況は警戒を要する速さで悪化している。世界中で人々が助力を差し出すようにと呼び戻され、その各人が、すでに用意された全体的な計画に対し個人的な貢献をしている。その計画の一環として『奇跡講座』の書き取りがあり、その合意における役割を私が果たすのと同じように、あなたも役割を果たすだろう。あなたは遠い昔に発達させた能力を用いることになる。それは再び使うための準備がまだできていなかった能力である。しかしながら、この緊急を要する事態のゆえに、普通に霊的進歩が展開していくときのゆっくりとしたプロセスを飛び越して、”天上界の計画の迅速化 (celestial speed-up)” とでも言うべきものになった。」

注:ほぼ同じ話が「天国から離れて」p231-232に載っていますが、そちらはヘレン目線の回顧であるのに対し、JWDでは当時ヘレンが書き取った言葉がそのまま掲載されています(上記での”私”というのはイエスであり、”あなた”とはヘレンのことです)。そういう違いはありますが、できるだけ「天国から離れて」の文言に沿ってみました。

ヘレンはこのとき(このメッセージの内容はともかく)、何らかの緊急性があることを直感的に感じ取ったのだそうです。ヘレンは、いま彼女にもたらされているもの(=奇跡講座)のために残された時間はあまりない、ということを強く感じたと同時に、心のどこか深いレベルで「自分はこの仕事をやることを志願したのだ」ということを認識したといいます。
ノートをゴミ箱に捨てる気まんまんだったヘレンですが、なにやら太古の昔に、彼女自身が「もちろんやります、父よ。ほんの僅かなあいだのことですから」と言った記憶が蘇ってきたそうです。時空を超えた約束、神秘的ですね。

とはいえ、その程度の思い出しがあったからといってヘレンが全面的に納得をした訳ではないのは「天国から離れて」にある通りです。p232で、ヘレンが「なぜ私なのですか?私は候補者のなかでもっともふさわしくない者です」みたいな抗議したら「あなたがふさわしい。なぜならあなたはそれをやっているから」的な返答が返ってきたというやりとりは、この頃のものだそうです。

このようにして、ヘレン本人が筆記者となることを深いレベルで受け入れたことで、やっと「奇跡講座」の本格的な書き取りが始まりました。しかし、いくら過去の記憶がチラッと蘇ったとはいっても、本人にとっては、まるで異なる2つの人生を同時に生きているようなものだし、これはほんとうに大変だっただろうな〜とお察しします。。。

奇跡講座の「主の祈り」

もうひとつの興味深いエピソードは、後に”テキスト”の半ば(16章)となる箇所をヘレンが筆記していた時の話です。

ある晩、ヘレンはいつものように「声」の言葉を書き取っていました。ところがこの時、ヘレンは「声」の言ってることが全くのナンセンスに思われ、自分はついに狂ってしまったのではないか?とひどく動揺しはじめました。

彼女は「声」に対し、「あなたの言ってることは馬鹿げている」と抗議しましたが、「声」のほうは冷静に「いいからその通りに書きなさい。明日の朝になればあなたにも完全にその意味がわかるだろう」と返答があったそうです。ヘレンは納得がいかなかったものの、とりあえず言われた通り書き取りました。こんなものはどうせデタラメだ、と思いながら。。。

翌朝、ヘレンはビルに会うと最も恐れていたことを話しました。朝になれば分かると言われたけど全く逆で、私がこれから読み上げるものは全然チンプンカンプンなのだと。そしていつものようにヘレンが速記を読み上げ、ビルが(それをタイプして)復唱しました。それはこのようなものでした:

「父よ、私たちの幻想をお赦しください。そしてあなたと真の関係を私たちが受け入れられるように、私たちを助けてください。その関係の中に幻想は存在せず、幻想が侵入することもありません。私たちの聖性はあなたの聖性です。あなたの聖性が完璧であるというのに、私たちの中に赦しを必要とするものがあり得るでしょうか。忘却という眠りは、あなたによる赦しとあなたの愛を思い出したくないという気持ちにすぎません。私たちが誘惑に迷い込むことがありませんように。神の子が惑わされることは、あなたの意志ではないからです。そしてあなたから授けられたもののみを、私たちが受け取り、あなたにより創造されて愛されている私たちの心の中に、これだけを受け入れることができますように。アーメン。(T-16.VII.12)」

ビルはこの箇所を、(嗚咽で)声をかすれさせることなしに最後まで読み上げることはできませんでした。そしてヘレンに目をやると、なんと彼女までもが号泣していたのでした。その理由は、これが明らかにコース版の「主の祈り(Lord’s Prayer)」であることが分かったからです。そして2人とも黙ったまま、お互いに、いまだかつてないほどの深い一体感を感じたそうです。

キリスト教の「主の祈り」との比較

その前に、日本人から見ると「なんでこれで泣く!?」と思うかも知れないのでちょっと一言。キリスト教圏で「主の祈り」と言えば、仏教でいう「般若心経」くらい有名な祈りの言葉だったりします(知名度が)。こんな私でさえ、たまに教会の礼拝に参加すると必ず唱えることになる位メジャーなやつです。宗派によって多少の違いはあるものの、こんな感じです:

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

こんなふうに、伝統的なキリスト教の「主の祈り」もなかなか美しいのですが、よく見ると「世界があり、神がそれに介入し、罪は実在する」という前提で成り立っていることが分かります。それに対し、コース版の「主の祈り」はその意味をぜんぶひっくり返してあり、「世界はなく、神の愛しかなく、罪はない」という内容になっているわけです。このことが、深いところでヘレンとビルの心に触れたために、2人とも感動の涙を流さずにはいられなかったのでしょう。

ちなみに、このエピソードはワプニック博士のJTT本の16章にも紹介されていました。あわせてどうぞ:

Journey Through the Text of “A Course in Miracles” Ch.16 より:
No.17024/p269  What follows is A Course in Miracles’ version of the Lord’s Prayer, a beautiful way to end the chapter on specialness and the holy instant…
これに続くのは奇跡講座バージョンの「主の祈り」で、特別性と聖なる瞬間についての章(T-16)の美しい締めくくりとなっています。ある晩ヘレンがこれを書き取ったとき、彼女は「声」がついに発狂したと思いました。パニックに陥った彼女がビルに電話したところ、ビルは「僕はその言葉が狂ってるとは思わない。とにかく書き取るんだ。明日の朝、オフィスで一緒に読もう」と言いました。そしてイエスからも「あなたが聞いた通りに書き取りなさい。心配する必要はない。あとであなたにも意味が分かるだろう」と伝えられたのでした。ヘレンはその晩は(それが何を意味するのか)気づきませんでしたが、翌朝その美しい祈りをビルに読み聞かせたところ、彼女は突然号泣しはじめました。ついに、それが何であるかを理解したからです。
これがその、全ての幻想を消し去る赦しの感動的なメッセージです。これが、私たちの「自我の特別性の夢の中で彷徨いたい」という誘惑を終わらせ、最終的に神の愛へと目覚めさせるためのイエスの手段です。忘却という眠りは神の完璧な赦しへと道を譲り、私たちの意志が神の意志へと帰還するにつれ、私たちの目は喜びに見開いてゆくのです。

*****

ところで、この祈りはテキスト(T-16.VII.12)に堂々と掲載されてますが、これが「主の祈り」であるとはどこにも書いてありません。だからアメリカのキリスト教徒でさえ、テキストを一読しただけでは、これがコース版の「主の祈り」であるとはなかなか気づかないのではないでしょうか。
そもそも保守的な信仰をもつキリスト教徒から見た場合、このような祈りは神への冒涜だ!という話にもなりかねないので、あえて “準備のできた人だけ気づけばいい” という奥ゆかしさで掲載されているのかも知れません。

出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / 天国から離れて (中央アート出版社) / Journey Without Distance (FIP)

コメント

  1. 天上界の計画の迅速化 ということを 天国から離れて で読んだときに思ったのですが、神には時間というものは無い、というのに、なぜかここで、人類の当時の社会情勢に合わせるかのように(当時はコバルト爆弾の実験に成功したとかいったニュースばっかりだったと思います。つまり世界の滅亡がちょっと近いような感覚があったと思います。)、天で迅速化ということが起こった、というのが、奇跡講座というものの全体からすると異質な感じがしたのでした。ここはどういうことなのだろう、という不思議をずっと持ってます。

    • たしかに聖霊にとって時間は存在しないというならcelestial speed-upと言うのは矛盾ですよね。なので、このへんはヘレンに対する修辞的表現だったのだろうと思っております。(たとえばT-5.VII.4:5「神は…涙を流しておられる」等も文字通り解釈すると矛盾ですが、こうしたレトリックはちらほら見られます)

      何しろ書き取りが始まって10日目のことですし、コース的正論についていける段階ではなかったヘレンの顕在意識を何とか説得する方便として、いくぶん現世的な表現が必要であったのかも知れません。
       
      余談ですが、先日のゲイリー講座57でシンディがこんなこと言ってました。
       
      シンディ:では、奇跡が私たちの時間を節約するのがなぜ大切なのか?それは実在しない夢の中の時間において急いでいるからではありません。(聖霊にとって)そんな事はちっとも重要ではないのです。時間の節約やcelestial speed-upが大事である理由は、あまりにもこの世の苦しみが大きすぎるからです。この時間短縮は、愛ある呼びかけなのです。聖霊は「見なさい、この苦しみから抜け出す方法はあるし、これ以上待つ必要はないのだよ」と言っています。

  2. tobbeさんとtogoさんのお話、私も気になっていたポイントで、教えて頂きありがとうございます😊
    時間短縮は、この世の苦しみからの救いがあるということなのですね。なるほどです!!
    ゲイリーの講座は、つまづきがちな?コースの理解を早めてくれる内容ですね。
    いつも感心と感動しますが、
    これもtobbeさんが、抜選して訳を教えて下さっているからです。ありがとうございます!

    • すいかさん、こんにちは!そう言っていただけて本当に嬉しいです☺️
      でも私のは単なる要約メモなので、どうぞ品質は当てになさらず…。(なんだかんだで日本語でメモ取るほうがラクなもので) ゲイリー講座は今でもチラ見しております。2人ともときどきハッとするような説明を聞かせてくれるので、わからんちんな私としてはまだまだ目が離せません。
また何かありましたら小出しにしますね!

  3. 「父よ、私たちの幻想をお赦しください。そしてあなたと真の関係を私たちが受け入れられるように、私たちを助けてください。その関係の中に幻想は存在せず、幻想が侵入することもありません。私たちの聖性はあなたの聖性です。あなたの聖性が完璧であるというのに、私たちの中に赦しを必要とするものがあり得るでしょうか。忘却という眠りは、あなたによる赦しとあなたの愛を思い出したくないという気持ちにすぎません。私たちが誘惑に迷い込むことがありませんように。神の子が惑わされることは、あなたの意志ではないからです。そしてあなたから授けられたもののみを、私たちが受け取り、あなたにより創造されて愛されている私たちの心の中に、これだけを受け入れることができますように。アーメン。(T-16.VII.12)」

    泣ける…
    とべさん、いつもすてきな記事をほんとにありがとうございます。:゚(;´∩`;)゚:。

    • コース版「主の祈り」が響いて良かったです!
      もちろん、ももこさんと言えば祈り手ですものね…😉
      私が16章を読んだときは全然そんなこと気づかなくてまんまと読み飛ばしてました。笑
      よく考えると、テキストのど真ん中に奇跡講座全体を象徴するような祈りの言葉が名もなくそっと挿入されているわけで、まるで気づかれるのを待っている秘密の花のようですよね🌸

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