ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20191218, 20200103

ゲイリー達のオンライン講座 (31)

12/11

今回のオンライン講座は日本時間で12/6に配信された Littleness Versus Magnitude, from ACIM Ch. 15, Section III その1です。USではクリスマスシーズンに入ったせいか、ゲイリーが終始ゴキゲンだったのが印象的でした!(シンディはいつも笑顔だけどゲイリーはそうでもない事が多いのでw)

講座の本編

12月はテキスト15章の「卑小さと偉大さ」がテーマです。このセクションはクリスマスについての言及があるので、季節的にもぴったりですね。ゲイリーの話からテーマに沿った部分をちょっと要約してみます。

[ゲイリー]
(0:16) 卑小さと偉大さについて言うなら、偉大さというのは「すべて」であり聖性であり完璧な全一性(ワンネス)だ。君はすべて以下のものでは満足することはないだろう。それに値するのは全一性だけだ。コースでは大きく考える必要がある。部分ではなく全体として考えること。そしてそこに到達する一番の方法は、他者をそのように見ることだ。他者の中に全体性を認めれば、自分も同じように見ることになる。心はそういう仕組みになっている。

(0:17) 選択は常に天国か地獄のどちらかだ。そしてその中間というのはない。時々良いことが起こるように見えるが、君は一時的にしか満足できない。それは決して長続きしない。なぜなら朽ちていくのが世界の性質だからだ。僕は別に世界の良いことを楽しんではいけないと言ってる訳ではない。コースは君が所有していると思っているものを奪ったりはしない。ただ、Jはそれを卑小なものと見ている。なぜならそれは一時的なものだからだ。

(0:18) 君がどんなに順風満帆な人生を歩んでいようと、いつかは死ぬ。君の知ってる人だってみんな死ぬ。そして、君が十分長生きすれば、その人達が死ぬのを見ることになるだろう。だが「卑小さと偉大さ(T-15.III)」によれば、君は完璧な偉大さなんだ。

(0:21) 卑小さと偉大さは、地獄と天国の違いだ。その選択権は僕らにある。僕らが何者かであるかを選ぶには、あらゆる所にそれを見ることだ。そして聖霊は常に分離を見過ごして聖性を見ている。結局、それが僕らが本来持っている唯一の選択肢なのだけど。僕らは決断の力によって「真の自己」と「分離の幻想」のどちらかを選択することができる。

(0:22) 天国、聖性、全一性、創造、といった言葉はすべて同じ事を表している。僕らが選びたいものはそれだ。コースは君の外にはなにもないと教えている。君の心は時空の宇宙どこにでも偏在しており、限界などない。そして本当の君は霊であり、世界なんかよりももっと大きいのだ。

(0:46) [ゲイリーによる暗唱]「(T-15.XI.2)クリスマスのしるしは一つの星であり、闇の中の一点の光である。それが、あなたの外側ではなく内なる天空に輝くのを見なさい。そして、それをキリストの時節が到来したしるしとして受け入れなさい。」さて、君がコースの中で「光」という言葉を見かけたら、それは「真実」という意味だ。物理的な光のことを言ってるんじゃない。それは夢の中での真実の象徴ということだ。

(0:47) 実相はそれらの象徴の背後にある。聖霊が僕らの夢の中に話しかけてくれる時には象徴を使うことになるが、それは僕らが理解し受け入れられるようにするためだ。象徴は形態というかたちをとる。その形態は実相ではないのだが、形態以外の方法で僕らが聖霊を聴くことは出来ない。しかし、真実は君の内側にある。君はどこにでも偏在しており、その真実は君の中で輝いている。それが君の偉大さであり、聖霊はその事を知っている。

(0:49) 赦しは簡単ではないかも知れないが、いつでも行うことが可能だ。いつ、どこで起こった事であろうとも赦すことができる。たとえ過去生の記憶だったとしても、たったいま赦すことができるんだ。赦しのためにその過去生に戻る必要はない。なぜなら、心はひとつだから。そして心の中で起こっている事というのは本当ではない。それは単なるイメージに過ぎない。それは実在する人々なんかじゃないんだ。そんな風に見えるかも知れないけど。それらの人々は君が作ったイメージであり、分離の象徴なんだ。

Q&A

今回の質問は12件カウントがあったけど、実質的には11件+過去分2件だったかも。シンディが途中で歌い始めたりして楽しかったです♪  

Q6:誰かが悟ってこの世を去ると、彼らについてはもはや聖霊としてしか体験できなくなります。だから、もし私たちがイエス様や天使や聖母マリアを見たとしても、それは実際には聖霊だということですよね。ですが、私の限られた理解では、聖霊が単にその人になりすましているように感じられます。このような見方が間違っている事を説明して貰えますか?

ゲイリー:なりすましという事についてだが、聖霊はJや天使や聖母マリアなど、特定のイメージを使って君とコミュニケーションを行うことがある。それは、それらの人物のなりすましではない。実際には聖霊が君に語りかけているのであって、その人物が語っているのではない。なぜなら聖霊は、どんな形が君にとって最も役立つかを知っているからだ。だからこそ僕は聖霊を信頼するようになった。時間はかかったけどね。

もともと僕は宗教的ではなかった。神も信じてなかった。でも僕はスピリチュアルだったので、やがて聖霊を信頼しはじめた。だがそれは盲目的な信仰ではない。僕が聖霊を信頼するのは、聖霊が信頼に足るものだったからだ。聖霊は僕をさまざまな善きことに導いてくれただけでなく、そのことが結果的に、全員にとって善きこととなった。

そもそも、僕は最初のころは、全員にとって善きことというのはどうでも良くて、自分さえ良ければいいと思ってた。だけどそのうち、全員にとって善きことは、自分にとっても善いことなんだと解ってきた!(だって自分が含まれてなかったら全員じゃないからね)。

だから僕は聖霊を信頼するようになったんだ。聖霊がどんな形で現れようとも。聖霊はアイデアという形でも現れるし、それがもっとも一般的だろう。それはただ君の心にやってくる。それも聖霊なんだ。聖霊が誰かの具体的な姿として現れる必要はない。アイデアだって形態だし、かたちがあるのだから。そのアイデアは君にふっと降りてくる。やがて君はそれが聖霊だとだんだん気づくようになるだろう。聖霊はそのようにして、君と全ての人々を善きことに導いているんだ。

*****

ここでは取り上げませんでしたが、実はQ1でゲイリー本5冊目についての質問がありました。そこでの回答によると、ゲイリー本5冊目は現時点ではまだ1章しか出来上がっていないそうです(現在進行中のシンディとの共著を仕上げるのが優先のため)。

それでも来年4月以降に本格的な執筆が始まる予定で、A&Pからどんなことを明かされることになるか、ゲイリー自身も全く想像がつかないとのことでした。どんな内容になるのかな〜。今から楽しみ!

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です