Workbook レッスン221
レッスン221
私の心に平安が訪れますように。雑念がすべて静まりますように。(W-pII.221)
Lesson 221. Peace to my mind. Let all my thoughts be still.
3/31。第二部のレッスンは、祈りの言葉と短い解説が必ずセットになっているみたいです。今日の主題概念はとても瞑想的です。。。
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pII.221.2:1
『そして私たちは静かに待つ。私たちが一緒に待っているのだから、神はここにいる。神があなたに語り、あなたがそれを聞くだろうことは確実である。私の確信を受け入れなさい。それはあなたの確信でもある。私たちの心はつながっている。』
【やること】
・「1.赦しとは何か」を読む。
・朝晩に瞑想する(目標15分以上)。
・日中は1時間毎の思い出し。
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季節外れの暑さが続いたこの一週間。案の定、桜も満開のピークを越えてしまい、花見好きの私はちょっと焦り。グラウンドシート片手に近所の公園までひとりで弾丸花見に行ってきました。小川沿いの草むらに寝転んで桜を見上げながら本を読んだり、1時間おきの思い出し練習をしたりして、なんか贅沢な一日になりました。(^_^)
ちょっと前に、瞑想をもっと真面目にやらなきゃなー、と思い始めたら今日のレッスンがまさにそんな感じ。。。相変わらずワークブックには瞑想せよとは一言も書いてないけど、雑念を静めるとか、静かに待つとかいうのは、私にとっては瞑想カテゴリに分類される話です。でも、これまでのレッスンでその手の練習をしていた間に、雑念に乗っ取られてただの考え事になってしまったり、いつの間にか寝ちゃって翌日になっていたり、ありとあらゆるダメなパターンを繰り返してきました。このままじゃいかん!
これから毎日、朝と晩に15分以上確保して神を想うことになるので、退屈だろうと何だろうと、とりあえず指示通りにやるしかない!と覚悟を決めなければ。といっても、指示そのものはシンプルなんですが。。。
ここまでの数々のレッスンを通じて何度も与えらえた指示を自分なりに総合してみると、「雑念を退かせること」が柱になっている気がします。一方で、呼吸法がどうのとか、坐り方はこうだとか、身体感覚を意識するみたいな事はひとつも言ってません。つまり身体的なお作法ではなく、心だけを対象にするのがACIM式瞑想の特徴なのかな。
一般的によく言われるのは、雑念を退かせるには、まず雑念が湧いてきたときにそれに気づかなければならないので、ぼーっとしててはダメだって話ですよね。静かにしてるんだけど、集中して心を見張ってないといけない状態をつくらなくちゃいけない。そういう意味で、15分て結構長く感じちゃうんです。。。(坐禅やってる人に笑われそう)
このへんはちゃんと入門からやろう思って、だいぶ昔に入手した「始めよう、瞑想」というビギナー向けのKindle本を読み返してます。いまさらだけど。本そのものはACIMとは全く関係ないですが、雑念を片付けることの意義や方法論について詳しく書いてあるので初心者には有難いです。また、瞑想が上達したときに絶対的な静けさを体感するという事が書いてあり、それってワークブックで度々言われていた境地と似てるけど、ホントかな?半信半疑ですけど、すこしモチベーションあげていこうっと。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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