それでも感謝できること (1)
9/21。
突然めちゃくちゃ忙しくなったあと、しばらくペースが掴めずアップアップしておりました。特にカントクさん方面は右も左も分からないうちに複数のWeb案件が同時進行することになり、それに加えてナスダックさんの依頼や室長コンサルも平行して進めてるので、ひどい時には朝から深夜まで働きづめで3日連続でおフロに入れない、毎日寝不足、みたいなえらいこっちゃ状態に陥ってました。(そもそも土日祝という概念がないので休日ゼロなのです)
かれこれ1ヶ月以上頑張ってますが、Web案件のほうは顧客都合でスケジュールが遅れて終わる気配がなく、納品は早くても来月になりそうな気配。最初はニートから抜け出せると思って張り切ってたけど、ただでさえ儲からない激安案件、天地がひっくり返るほど忙しい毎日、納品するまでは収入ゼロ、と三拍子揃ってまして。。。これがフリーランスの現実かあ〜。厳しいなあ…。これなら確かに派遣のほうがよほどラクだったな〜(T_T) と弱音を吐きそうな日々でありました。
個人的には、この室長コンサルの流れで方向性は合っている、という感覚はあります。だけど、いま頼まれてやってるあれこれの仕事は、単なるデキルコトであってヤリタイコトではないな〜と。ここを混ぜてはいけないと自分に言い聞かせつつ、まだヤリタイコトもわかってないため出口はぜんぜん見えてません。。。
良し悪しは気にしなくていい
てな感じで一時期あまりにも忙しすぎたため、またどっかで選択を間違えたんじゃないかと悶々としておりました。そんな中、室長の師匠コンサルタントであるオヤブンさんというすごい方がいるのですが、その人がタイムリーにこんなことを言ってくれたのでした:
「何かを決める前に “正しい選択をしなきゃ” って思うと、慎重になりすぎてなかなか決断できないですよね。
でも、良い選択とか悪い選択って本当にあると思いますか?
実際のところ、選んだものが結果オーライだったら “良い選択だった” と言って、結果がイマイチだったら “悪い選択だった”という事にしてるだけでしょう。つまり選択そのものにはもとから意味なんてない。
要するに、何を選択しようと、選択した後の自分次第で良くも悪くもできるってことです。だから、何かを選んでもし上手くいかなければ、”悪い選択だった” などと言わずに “うまく行かない方法がひとつ見つかった” と認識して選択しなおせばいい。僕はそれに気がついてから選択がラクになりました。」
うおー。。。確かにそのとおりかも。。。
そう、そうなんです。正直、一番テンパってた時は複数のWeb案件を同時に引き受けてしまったことを後悔しておりました。こんな働き方じゃぜんぜん報われない、むしろ派遣時代より労働環境悪化してるやんけ!みたいな。
でも、私がその考えを持ち続けていたら、「ブラック環境で安くこき使われる」という自分あるあるの構図がいとも簡単に再現するわけです。上記の例で言うなら “悪い選択だった” と後悔する道を行くようなもんです。
たしかに今回は、駆け出しすぎてペースが掴めずヨレヨレになったかも知れない。だけど、その経験を文句を言うために使うこともできれば、経験値アップしたと言うことのために使うこともできるはず。
今回学んだのは、十分な実力もないのに複数の案件を気安く引き受けるべきではない、ということでした。ならば、次からカントクさん案件を引き受ける時は「一案件ずつにする」と自分で決めればいい。あと、なるべく前倒しで作業をし、不測の変更や修正が入った場合にも余裕を持って対応出来るように備えたらいい。
後から”良い選択だった”と言えるように自分の考えを変更すれば、別に何が起ころうともアリなのかも知れません。そう考えたら、今のてんやわんやも何一つ無駄にはならないとわかり、ずいぶん気楽になりました。
ラボさんの幸せのヒミツ
あともうひとつ。先日ラボさんと2人でオンライン茶会をした時のことです。
最初にお会いした時から不思議だったんですけど「どうしてラボさんは一円も得しないのにいろんな人同士をマッチングさせたりして、みんなのビジネスを手伝ってくれるのか?ぶっちゃけタダ働きなのに、なぜそんなに楽しそうなのか?」という秘密が知りたくて、ご本人に直撃インタビューしてみたのでした。
そしたら、ラボさんの回答が思ったより深かったです。。。!
私が聞いた話をコンパクトにまとめると、こんな感じでした:
・ご縁あって出会った人に、自分が持っているスキルや人脈を使って応援していく過程で、自分自身も経験値アップしていく。→自分の経験値が上がることで、さらにハイレベルな分野で関わることのできる人が増える、という上昇スパイラルが楽しくてやめられない。
・周囲にいる厄介な人を変えようとするのは無理だし、時間の無駄。それより自分の内面(=考え方)を変えれば、周りの人も勝手にどんどん良くなっていくし、逆に厄介な人は自然といなくなる。内面を変えることで自然と世界もステップアップしていく感覚がすごく好き。
・内面を変える手段として、日々、あらゆることに感謝するように心がけている。親切にして貰ったときだけ感謝するとかではなく、目が見えるとか食事が美味しいとか、そういう「当たり前」なレベルでも感謝できることに常々思いを馳せている。すると、逆境のように思える時にも感謝できることが必ず見つけられるようになるし、なぜかどんどん環境もよくなっていく。結局のところ、これが幸せになるための最もシンプルな方法だと思っている。
。。。とのこと。
念のために言っておくと、ラボさんは全くスピ系の人ではなくて、どちらかというと非科学的な書物には関心のないビジネスマンです。もともと人一倍向上心が強かったのもあると思いますが、あれこれ試してみて、これは間違いないと思ったやりかたを積み重ねた結果、自力でこのような結論に達したらしい。それも、ご自身の経験から出てきている言葉なので説得力があります。す、すごい。
「その程度のこと、しょせんこの世レベルでどうこうしようという話でしょ」と思われる向きもあるかもしれません。だけどラボさんは実際、自分にとって何の見返りもない新人にわざわざ時間を割いて(ラボさんは私以外の新人さん全員にも例外なく声かけてました)、人脈繋いだり仕事を紹介したりと親身に応援してるわけです。しかも、自分のために楽しくて仕方がないからやっているという。
いくらこの世が幻想だとアタマで知っていても、やっぱりこの世で多くの人に手を差し伸べている人を目の当たりにすると尊敬の念を持たずにはいられません。そのことが何を象徴しているかと考えると、やっぱりラボさん自身の心が、他者と分かち合えるほどに満たされている証なのかなと。
いずれにしても、今の私にはとても真似できないなと思うのです。脱帽。
*****
。。。とまあそんなわけで、最初は自分がババを引いてしまったように感じられて悶々としていたのですが、じつにタイムリーにこのような話を聞けたことで、カントクさんのWeb案件に対するものの見方をすっかり変えることができたのでした。その件についてはまた次回!
(次回に続く)
コメント
tobbeさんこんばんは!先日はお世話になりありがとうございました。tobbeさんは気がついておられないと思いますが、ラボさんとは「形」は違うけど、一円にもならないけど分かち合うという点では、このブログが同じことをしていると思います。ラボさんがtobbeさんや他の方々にお渡しているものはその形態ゆえ、目立つのでtobbeさんが渡しているものが見えずらくなっていますが、「ラボさんとtobbeさんを含む他の新人さん」と「tobbeさんと私を含むこのブログをみてACIMの気づきを深めている方々」というふうにフラクタルになっていると思うんです。tobbeさんは「いやいや、これは自分のためだから!」とおっしゃるかもしれませんが、ラボさんも「自分が楽しいからであり、自分のためだから!」という結論は持っていらっしゃると思います。「形」が違うので真似できないとおっしゃっていますが、既にtobbeさんはそれをしているわけで、しかもそれは私たちの唯一の仕事である赦しという献身であり、その広がりを私たちは認識できませんが、良きに図られているわけです。tobbeさんの中でまだ形として見えてこない状態ー過渡期なんだと思いますーですが、水面下では動いていると思います。今の私自身にも言えるのですが、形が見えてくるまで不安につぶれてしまいそうになるかもしれませんが、自分自身(というか神)への信頼を確立するためのレッスンなのかなと、神の使者の「真の祈りと豊かさ」の章に励ましてもらっていました。あまりご無理なさらず、どうぞ心身ともにご自愛ください。
タンポポさん、勿体ないお言葉をありがとうございます。そ、そういう風に考えたことはありませんでした。恐縮です。。。 いままでこのブログは自分なりに学習モチベーションを保つ手段だったのですが、ここから先はそういう堅苦しいことは抜きにしようかな!
ちょうど良い機会なので、あまり霊的な用語に頼ることなく、自分のスクリーンに映る世界の泥臭さを見ていくつもりです。それに、ラボさんのような非スピの人とも深い話が出来ると分かったので、私ももっといろんな考えを持つ人達と交流したいなと思ってマス。
今後しばらく見通しの効かない状態が続くと思うけど、いまは自分の派遣的なショボい思考を変えていく段階だと思うので、多少の乱気流は仕方ないですね。タンポポさんの仰るように、信頼は不可欠だなと感じます。このうえない励ましのお言葉、ありがとうございました!
この世は幻想、ってACIMでひたすらいうけれども、ご飯をたべないと死んでしまうという夢のリアルは強烈なので、やはりごはんを食べないと死んでしまうように僕には見えます。僕はこれからも ごはんを食べないと死んでしまう夢を見続けていくのだと思いますが、ごはんはやはり たべてみようかなと思います、おいしいので。そして命への感謝です。その幻の肉体をやしなうために犠牲になってくれた命を祈って禅宗だと経をとなえて食します。この夢だ幻想だというのも、おそらくは神様がそうだと教えてくれるまでほんとはわからんものなのであろうから、僕の努力では、ずっとそのまんま ごはんを食べないといけない夢を 見たまま 死んでいくのだと思います。呼吸をしなくては死んでしまう夢とか、服をきて出歩かないと恥ずかしい 夢など いろいろたくさん夢がありますが、それが幻想であっても、そこを生きていることを 神が ダメといっているとは思えないのです。 こないだ、ひさしぶりに ACIMではなく、福音の中のイエスさんは 何を言っているかなと 急に気になり、ひもといてみたら、とても印象的な言葉が出てきました。こういうことはACIMのイエスは言わないのだけど、それは福音の中で とてもエネルギッシュで すきな 話のとこ に ゆきあたりました。 タレントの話です。当時の お金の単位と言われた タレント。神からもらったタレントをつかいなさい。それが天にいたる道だと、イエスが言ってます。仕事しなさい。あなたの力を使ってみなさい。勇気をだして、自分がちゃんと神に愛されていて、いろんなことを自由にしていいのだということをたくさん見つけなさい。そういうのを読むとき、イエスがシャックマンとうチャンネルを通じてもたらされたものだけではない もっと広いエネルギーをもっていると思うのです。
Togoさん、私も同感です。ごはんをたべないと死んでしまうという夢を見ている我々、それでいいじゃないですかと私も思います。仮にもしラボさんの在り方をとやかく言う人が現れたら、あなたはラボさんほど多くの人々に手を差し伸べた経験はありますか?と逆にインタビューしたいです。
ところで、タレント(talent)の話は目からウロコでした。お金も、才能を使うことも、語源は同じだったのですね。部屋に籠もってるだけの頃はただのヤリタイコト難民だったけど、talentを使ってない状態でそうなるのは当然だったわ。。。と今では思います。
ちなみに本日、カントクさんから初めてのお振込がありました。金額は小さいけど、大きな一歩だと感じています。ありがたや〜😭