ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20210711(x2)

読書会 JTT-21章(2) 未回答の質問

つづき。

バイト応募に向けて準備中の今日このごろ。。。2年前に学習塾の仕事に応募したとき初めてExcelで履歴書を作成したというのに、そのことをすっかり忘れて、また紙の履歴書を買ってきてしまった昭和生まれのトベです。
よりによってIT業界出身なのに手書きで応募してしまうと「PC使えません」と解釈されてしまう、という話(ハロワ談)を思い出しました。危ない危ない(´д`;)

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.3)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

Chapter 21 — Reason and Perception (2)

では、JTT本21章の後半で気になったところを振り返ってみようと思います。

未回答の最後の質問

テキスト21章の最後のほうに「未回答の最後の質問 (T-21.VII)」というセクションがあります。ここに次のような4つの質問があるので、話をわかりやすくするため①〜④まで番号振りつつ引用してみます:

①自分を支配する世界の代わりに、自分が支配する世界を、私は欲するだろうか。
 Do I desire a world I rule instead of one that rules me?
②自分が非力ではなく力を持つ世界を、私は欲するだろうか。
 Do I desire a world where I am powerful instead of helpless?
③敵がいなくて、私が罪を犯すことなどできない世界を、私は欲するだろうか。
 Do I desire a world in which I have no enemies and cannot sin?
④そして、真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか。
 And do I want to see what I denied because it is the truth?
(T-21.VII.5:11-5:14)

で、この4つの質問に続いて次のようなちょっとドキッとさせられる一文あり。

「あなたはすでに最初の三つの質問には答えているかもしれないが、最後の質問には答えていない。なぜなら、これは依然として恐ろしく、他の問いとは違ったものに見えるからである。(T-21.VII.5:11-6:2)」

もちろん何言ってるか理解できていたわけじゃないけど、地味にインパクトある一言だったので、なんとなく記憶に残ってました。とはいえ、ワタクシ最初の三つの質問もたぶん良く分かってないし、最後の質問が恐ろしい(?)とか他の質問とは違ったものに見える(?)とかいう話以前の問題なんですけど。。。
と思っていたら、シンプルな説明あり↓

No.22117 These three questions, statements really, are the same. In the ego’s system we believe we are ruled by the world of hate, helplessly…

博士いわく、なんと最初の3つの質問は同じことを言っているのだそうです。①〜③すべてに「○○な世界を、私は欲するだろうか」という言葉が含まれているとおり、これらは “世界に関するもの” となっています。そもそも私たちは、不可抗力に翻弄される罪なき被害者でいられるための世界を望んでいるわけで、この3つの質問は、それを本当に望むかどうかを改めて問いなおしている。。。と読み返してみると、なんか分かるような気がする。

しかし、最後の質問④だけは違っていて、私たちが(世界という)狂った信念を維持したがる “目的” を問うものになっているとのことでした。上記のとおり、世界とは”真理の否定” を保護するために我々が望んでいるものだけど、私たちが心に戻って選択しなおせば、聖霊によって簡単に訂正されてしまうような幻想でもあるわけです。それすなわち “自我の消滅” を意味するため、自我にとっては恐ろしい質問だという意味だったんですね。

まとめると、最初の①〜③は「世界に関する質問」で、最後の④は「心に関する質問」とのことでした。そう言われると、なんかスッキリします。
でも。。。なぜ未回答の最後の質問④が最も大事なんでしょうか?
それについての深堀りはこんな感じでした:

No.46/p152 It is not enough to say we no longer wish to be the world’s victim, which is what we mean when we answer the first three questions affirmatively…

最初の①〜③の世界に関する質問に肯定的に答える(YESと言う)ことは、「我々はもう世界の被害者であることを望まない」という宣言になります。これは最初の一歩としては大事ですが、それだけでは不十分なのだそうです。その理由は「私たちが、愛の存在を否定する罪悪への決断を訂正しないかぎり、私たちは延々とそれを投影し、自分たちを敵意ある世界の被害者だと見ることになる」からだそうです。

たとえば私の現状レベルだと、「自分が被害者だと思っていた件、実は世界のせいではなく自分が原因だった…」ということを思い出すだけでも精一杯という感じですが、それはまだ質問①〜③に取り組んでいる段階なのでしょう。それはそれで必要不可欠なステップではあるけれど、それだけだと「よっしゃ!世界の被害者にならないように見方を変える訓練しよ!」みたいな世界ありきの目標設定になるって事かな〜。(もちろん、それ自体はとても意義ある取り組みだと思います。とはいえ、なんとなく幻想をコントロールする手段として捉えてるというか、まだまだ自意識を手放すつもりはないというか…)

しかし博士によると、「最後の質問④こそが、私たちを心へと連れ帰る」といいます。それは「私たちの内側にある罪悪は、真実(愛)を否定するための意図的な選択だった」と気づくことなのだそうです。だから本当の問題は、自分が世界の被害者かどうかという事ですらなくて、そもそも愛を否定せずにいられなかった理由は何か?ということなんでしょう。それはつまり、贖罪を受け入れて愛を肯定したら、「私(自我)」は消滅してしまうから。。。

え?私、消滅しちゃうの?それは怖い、それはイヤだああぁぁぁぁ Σ(゚Д゚lll)

だから未回答の最後の質問④は恐ろしいっていう話だったのか。。。今ごろ納得しましたよ。。。

はい=いいえではない(not no)

もうひとつ「未回答の最後の質問 (T-21.VII)」の後半に、こんな箇所があります。最後の質問④に「はい」と答えることが出来てようやく他の質問①〜③にも完全に答えることになる、という内容です:

「最後の決断がなされるまでは、その答えは「はい」でもあり「いいえ」でもある。なぜなら、あなたは「はい」とは「いいえではない」という意味でなければならないということを知覚せずに、「はい」と答えていたからである。(T-21.VII.12:3-4)」

これ、見るからに理屈っぽい箇所ですが、「いいえではない(not no)」という表現はコース的な意味での「はい(yes)」を表す言葉だったりするので避けて通れないかなと。でも、単純に「はい」と言うだけで済みそうなものを、なぜ「いいえではない」などという回りくどい表現にしているのかにはちゃんと理由があったのでした。。。博士いわく:

No.22613/p165 We make room for truth by looking at the illusion and saying we no longer want it — not no. We do more than merely say “yes” to truth, we actively turn away…
私たちは、幻想(真実に対するno)を見ながら「もうそれを望まない — not no」という事によって、真実のための余地をあけます。そのとき私たちは、単に「真実にyes」と言うよりも多くのことをしています。つまり積極的に幻想に背を向ける、ということです。

要するに、聖霊(真実)に対してyesと言うことは、自我(真実の否定=no)に対してnoと宣言する事と同義でなければならないため、わざわざ “not no” という表現を用いているとのこと。なるほど〜、「いいえではない」ってそういうことか〜。

上記のとおり、質問①〜③は「世界についての質問」だったので、yesと答えることはそんなに抵抗ないかも知れません。でも、「世界や自意識は当然あるものだよね」という前提でyesと言っているうちは、知らずのうちに真実を否定(=no)してるとしたら。。。自覚がないまま、聖霊にyesと言いつつ自我(=no)にもyesと言ってることになるので、「yesでもありnoでもある」というどっちつかずの状況になっている、というお話なのでしょう。

(注:これは「どっちつかずはダメ!落第!」などと裁くための話じゃないので…「yesというよりnot noと表現するほうが的確なのね」ってな感じのニュートラルな捉え方でよいかと)

実は、not no関連についてはコース界隈でたびたび見聞きしていたのですが、あまり意味を深く考えずにやり過ごしてました。ていうか普通にyesって言えばいいじゃん?くらいに思ってた気がする。でもこうやってみていくと、やっぱり単なるyesでは表現しきれない奥深さがnot noに含まれていたんですね。

*****

以上、JTT本21章で個人的に気になった箇所をピックアップしてみました。今回は読んだだけでは理解できなかった部分が多くて、あえて書き出して整理みてよかったなと思います。

ちなみに近況ですが、室長コンサルは相変わらず宿題盛りだくさん状態が続いてます。自分なりに楽しめる範囲でソーイングも続け中。これに加えてバイト生活が始まったりなんかすると、おそらくJTT本の読み進めはさらにペースダウンするんじゃなかろうか…と予想。
けど、どれかひとつ諦めるという選択肢はいまのところ思いつかないので、スローに進めることで全部を無理なく続けられるなら、それはそれでいいじゃないか(゚∀゚)と開き直っております。

というわけで、目標としては2ヶ月以内にJTT本22章いけたらいいなと思ってます!

出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / Journey through the Text of A Course in Miracles (FACIM)

コメント

  1. ①自分を支配する世界の代わりに、自分が支配する世界を、私は欲するだろうか。
    No
    ②自分が非力ではなく力を持つ世界を、私は欲するだろうか。
     No
    ③敵がいなくて、私が罪を犯すことなどできない世界を、私は欲するだろうか。
     Yes
    ④そして、真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか。
    Yes

    となりました。たぶんある方面的には僕のは正しくないのかな。
     私が私を苦しめているということを、僕が”居る”ことが僕を苦しめていること。
    そればかりだなと思っております。

      イエスは十字架に自分でたどり着いて ”実は私は居ない” と言っている ようにも見えます。”居ない”と言ってくれたことで、僕もだいじょうぶだと思えるような感じもします。

      これもしかるべき方面からすると間違いかな。

    • おぉ〜!。。。言われてみると、たしかにそんな風にも読めますね。特に①や②なんか、まるで世界征服を企む暗黒大魔王の台詞みたいじゃないですか〜〜!気づかなかった〜😂
      って、実際には、まさにTogoさんが「僕が居ることが僕を苦しめている」と仰ってる件そのものが質問①-③と被さってるのでしょうし、④の件に至っては、お若い時に答えをチラ見されてますもんね。なので、私はTogoさんが正しくないとは全く思いません。
      たしかに博士が言うようなコース的に “正しい” 解釈も大事だと思うんですけど、そこにこだわりすぎるのも窮屈かなと。そもそも、我々の言論が正しいかどうかなんて天国のほうは一切気にしてないはずですもんね。

  2. tobbeさん、こんにちは。
    お忙しい中、ブログを更新してくださりありがとうございます。
    こちらのブログを読むことが、すっかり日課&楽しみになっています。
    (あっ、プレッシャーを感じさせてしまったらごめんなさい、、、。そんなつもりではないので、、、^^)
    奇跡講座の言葉もワプニック先生の言葉も堅苦しいけど温かみを感じ、読んでいて楽しいのですが、ヘレンやビルのこと、この記事のような解説をしてくださるのも、すごく新鮮で気づくことがたくさんあり面白いです。
    私は4年たった今でもワークブックが終わっておらず(^^;)10月にはやっと終わる目途がたちましたが、、、。このカメなみのノロノロの自分をみていると、tobbeさんの勉強量&行動量の凄さを感じ、畏敬の念を感じずにはいられません。
    これからもこちらにお伺いさせてください。作品作りや起業の勉強も応援しています!

    • タンポポさん、なんと有難きお言葉。。。!こんなふざけたブログを読んで下さってありがとうございます。励みになります!(ToT)
      4年かけてワークブックに取り組んでいるというのは素晴らしいことだと思います。しかも10月頃に終わるとしたら、もうすぐですね!私は意味もわからずチンプンカンプン状態でやってました。。。が、どんなに時間がかかっても、最後までやりきる意欲を失わなかった、という自信がつくことに意義があるように思います。どうぞご自分のペースで、無理なく進められてください。陰ながら応援させていただきます✨

  3. tobbeさん、初めまして。
    外出中にワークブックの勉強用に利用させていただいています。
    未訳本の翻訳で頑張っていただきありがとうございます。
    ワークブック以外の記事も勉強になります。

    タンポポさんこんにちは
    フォーラムでは10年かけてワークブックを終わらせた人の書き込みがあったと思います。人それぞれのペースがありますので、焦らない。気にしない。

    私もワークブック二巡目。一巡目は適当にワークブックしてました。二巡目は10年かけてワークブックを終わらせた人もいるんだから急がずのんびりやることにしました。焦らない焦らない。ワークブックを終わらせたら何かが変わる訳では無いのだから。

    • hommaさん始めまして。外出中に当方のブログを活用していただいているとのことで恐縮です。そんな風に使ってくださる方がいるとは!ああ、もっとマジメに書いとけばよかった〜ッ!!(^_^;)
      ワークブック2周目をやってらっしゃるのですね。2周目だと、1周目のときとはまた見える景色もちょっと違ったりするんじゃないでしょうか。ほんとに、プレッシャーなしにのんびりやるのが一番だと私も思います。頑張ってください〜☆

  4. tobbeさんありがとうございます!おやつ昆布のように噛めば噛むほど味が出てくるACIMみたいな感じで、この長いレッスン期間の間にACIMを一生続けていくか否かの決意がついたと感じています。
    hommaさん、初めまして!私にまでコメント下さりありがとうございます!(ACIM学習者の方は皆さんお優しい(;;))1日1レッスン以上をしないことを守っていたら、気持ちが乗っているときにも1レッスン以上できずにムラが激しい状態になってしまいました(^^;)
    tobbeさんのブログを勝手にお借りしてしまう形になり、お手数をおかけしているかもしれませんm(_ _)mが、頑張っていらっしゃる方々とこのように交流が持て、とても嬉しく感謝しております。

    • そうなんですよね〜。1日1レッスンまでというのはワークブックの唯一のルールですから、最低でも1年以上かけることが大事なポイントなんでしょうね。とにかく内容が内容なので、人によっては、急いでやろうとすると無意識の抵抗から何が飛び出してくるか分からない…という危険性もある気がします。そこを脅かさない程度にゆっくりやるのが一番なのでしょうね(^^)

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