ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180330, 20210531

ビルによる「主の祈り」の映像

5/28。

溜まった作業を片付け中

5月中旬まで自分プロジェクトを完全停止したのち、平常運転に戻るための再起動を試みております。といっても、色々ToDoが溜まってるのでいきなり元通りとはいかず。まず、友達からの頼まれデザイン仕事をだいぶ待たせてしまってたので慌てて作業。やべー、こないだ勉強したばっかのツールの使い方もう忘れてる…。

しかも、この間ACIM界隈もいろいろあったようで。しばらくよそ見してた間にFIPのジュディが若イケメンのお兄さんとMiracle Voicesとかいうポッドキャスト始めてて、いつのまにかエピソード10を過ぎてるし。FACIMに至っては、博士が亡くなる直前に執筆してた2冊組の未完本が発売になってたり、なんかもう気分は浦島太郎です。(こっそり観てたゲイリー講座も20時間分くらい見逃してて、もう追いつける気がしない…) ってことで、たぶん一生退屈することはないでしょう。

ミシン練習のほうも、少しずつ経験値が上がっていくのが楽しくて、バカの一つ覚えみたいに巾着やら何やらを作っておりました。しかもシロウトまるだしの作品をSNSにあげたら意外と好反応でちょっと嬉しい。ていうか、お絵かきリハビリの頃は毎日頑張って描いても浮上できなかったのに、まさかの巾着袋のほうが反応あるってどういうこと?なんかよくわからんけど面白いです。がんばろっと。

そんなこんなで、しばらく中断していたJTT本21章に戻ってくるまでにずいぶん時間がかかりました。これからやっと落ち着いて読み始められそうです。今後はミシン練習と同時進行でできるように、無理のないペースでゆっくり読みすすめていこうと思ってます。

ビルによる「主の祈り」の映像

そんななか、過去メモを整理していたらFIPのお宝映像が出てきました。以前、JWDを読んで「コース版の主の祈り」がもたらされた経緯を知りましたが(2/26投稿分)、まさにそのエピソードを、ビル・セットフォード本人が語っている動画です。

ワプニック博士の動画はFACIMからいっぱい出てるのでお馴染みですが、ビルの動画というのは希少かも知れません。ビルってすごく笑顔が素敵なおじさまで、ニュースキャスターのような美声の持ち主だったんですね。これは僅か2分程度の短い動画ですが、途中でビルが「コース版の主の祈り」をときおり微笑みながら諳んじているのが心に残ります。

以下、FIPが公開している動画です。
https://acim.org/archives/semi-centennial-celebration/thetford-lords-prayer/

William Thetford – the Course’s version of the Lord’s Prayer (FIP)

日本語にしたらこうなんじゃないか説を貼っておきます。

William Thetford – the Course’s version of the Lord’s Prayer
(ウィリアム・セットフォード — コース版の主の祈り)

私はある出来事をとても鮮明に覚えています。ある日、ヘレンが非常に取り乱した様子で来ました。
彼女は、私がいまだかつて見たことがある以上に取り乱していたかも知れません。
これは、テキストの半ばごろ(を書き取っていた頃)の出来事だったと思いますが、ヘレンは言いました。
「今度こそ、ついに常軌を逸してきたわ。これはチンプンカンプンで、全くのデタラメで、まったく意味をなさない。じっさい私にはもう無理、これを読み上げることは拒否します。それに…」といった具合に。
私はそんな彼女を落ち着かせ、ヘレンはやっと原稿を読み上げることに同意してくれました。
そのセクションの最後のほうを引用してみようと思います。

「父よ、私たちの幻想をお赦しください。そしてあなたと真の関係を私たちが受け入れられるように、私たちを助けてください。その関係の中に幻想は存在せず、幻想が侵入することもありません。私たちの聖性はあなたの聖性です。あなたの聖性が完璧であるというのに、私たちの中に赦しを必要とするものがあり得るでしょうか。忘却という眠りは、あなたによる赦しとあなたの愛を思い出したくないという気持ちにすぎません。私たちが誘惑に迷い込むことがありませんように。神の子が惑わされることは、あなたの意志ではないからです。そしてあなたから授けられたもののみを、私たちが受け取り、あなたにより創造されて愛されている私たちの心の中に、これだけを受け入れることができますように。アーメン。(T-16.VII.12)」

この時点で、ヘレンは泣き崩れました。
言葉遣いの美しさ、思想の深遠さ、そしてコースにおける「主の祈り」との等価性は明らかでした。これはコースの記述でありながら、様々な側面において「主の祈り」と類似していたのです。
そしてそのことがヘレンに非常に深い衝撃を与えたのでした。もちろん、私にもね。

。。。って言葉にするとなんか平たい感じがするので、ここはぜひイキイキと語っているビルの表情やジェントルマンな雰囲気などを映像から感じたいところです。ビルのこういう感じすごく好きだなあ。ますますファンになりそう。
※ヘレンが泣き崩れた理由についてはJWDの記事(2/26投稿分)を参照ください。

ちなみにこの動画、一年くらい前に教えてもらったんですが、一度みたきりで忘れてました。その後、JWD本などを通してコース版「主の祈り」のインパクトを知ってから改めて見直してみると「おおお、ビル本人がその時の想い出を語ってる貴重な記録だったとは。。。!」となって、すっかり見る目が変わってたという。(゚∀゚)

トリビアな話題ではありますが、この動画を再び見られたことは個人的に嬉しい出来事でした。

出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社)

コメント

  1. 主の祈りというものを 子供のころに親に覚えさせられたのですけれど、その後日本のカトリック教会は、文言を現代風に変え、そのころからはあんまり教会にいかなくなったため、僕は現在 教会で唱える主の祈りを唱えることができません。妹から、あれはその後数回変わったともきいたことがあったような。すると高齢の信者さんは唱えれなくなって、こまったことになってるとか。ああいうものは、仏教の般若心経のように、永遠に変えないのがいいのではないかなと思ったりしてます。

    教会で唱える主の祈りのしまいのほうに
    われらを悪より救いたまえ(古いほうですけどこれ)
    という言葉のニュアンスが、どこか 外に悪 という神から分離独立した敵がいて
    そやつらから救ってくださいというふうに受け止めれてしまう文言がある
    のですが、こういった文言は 長く 僕にとって なにかしんどい文言に思えていました。

    この奇跡講座の主の祈りと言われてる言葉は
    伝統的なものよりも ひどく観念的な感じがするのですが、
    不思議に、自分を責めたり 人を怖がったり、世界に憎しみというものがあるという
    あたふたした生活が
    神がのぞみ われらに願っている莫大な安らぎに比して
    小さな奇妙な根っこのないうつろう幻想でしかないことを
    じわっと心の根底に伝えこんでくるような感触があります

    • えーーー!カトリックの主の祈りってそんなに改訂されてたんですか。うちはプロテスタントですが子供の頃から変わってないような…(気づいてないだけかなぁ?)。
      たしかに教会の主の祈りというのは、今にして思うと非常に二元的な内容だし、だからこそ世界にぴったりはまるのでしょうね。それに対してコース版の主の祈りでは、世界そのものを誘惑と呼んでいるあたり、スケールからして比べ物にならないことが感じられます。

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