
読書会 JTT-17章(2) ゴールの設定
(続き)
JTT本17章、Forgiveness and the Holy Relationshipの続きです。
教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.3)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。
Chapter 17 — Forgiveness and the Holy Relationship (2)
17章でもうひとつ心に残ったセクションが「ゴールの設定(T-17.VI)」でした。
テキストにこんな箇所があります:
「あなたが確信を持てない状況にいるときにまず最初に考慮すべきことは、端的に言えば、「私はここから何を望んでいるのか。それは何のためのものか」ということである。ゴールを明確にすることが最初にすべきことである。それが、結果を決定するからである。(T-17.VI.2:1-3)」
いやー最近、確信を持てないことと言えば、「①仕事どーすんだ?②近所でバイト探すか?③もっかい技術屋として就活するか?④でもコロナで両親をリスクに晒すかも。。。(→①に戻る)」みたいなことを、ニートながらずっとぐるぐる考えてました。愚直に当てはめてみると、
・そこから何を望んでるのか? →お金を稼ぎたい!経験値上げたい!
・それは何のためのものか? →脱ニート&欲しいものを買うため!
うう。。。自分でも何言ってるか分からない〜_:(´ཀ`」 ∠):
ゴールの設定
ところがこのチンプンカンプンさも、博士にかかるとスッキリ明快に説明されてて拍子抜けなのでした。こちら↓
No.17549/p15 We look at “Setting the Goal,” a section that emphasizes the need to realize there are only two goals…
結論から言うと、「ゴールの設定(T-17.VI)」が言っているゴールというのは「真理 or 幻想」の2つしかない!とのこと。シ、シンプル (゚Д゚lll)
真理のゴール
で、なぜゴールの設定が重要かというと、私たちが「真理」のゴールを選ぶとき、日中に起こるあらゆる出来事を、そのゴールに到達する手段として見ることになるからだそうです。すると、良いことが起ころうが、悪いことが起ころうが関係なくなってくるという。(例えば、仕事がうまく行っても行かなくても、株価が上がっても下がっても、病気の検査結果が良くても悪くても、気にならない)
なぜなら、すべての状況は「私たちが赦しを学ぶ(=真理のゴールに到達する)」というひとつの目的を共有しているからなんだとか。そうなると、状況がどんな形をとって現れるかという「形態」は問題ではなく、その出来事の重要性とは唯一、それが反映する「内容」にかかっている、ということになります。
幻想のゴール
一方で、もし私たちが「幻想」のほうを評価するなら、実際に世界がそのゴールの達成を助けてくれるように見えるのだそうです。こうなると必然的に、私たちは状況そのものを深刻に捉えることになってしまいます。。。ってこれ、まんまさっきの「お金稼ぎたい&脱ニートして欲しいもの買いたい♡」そのものじゃありませんかー。(°▽°)
状況そのものを重視する姿勢は「もしAまたはBが起これば私の特別性は叶えられる、でもCやDが起こってはダメ」といった物差しで1日を判断することに繋がるとのこと。まあ普通に考えたらみんなそうしてるわけだし、博士はそれがダメと言ってるわけじゃないんですが、一方でコースは、「出来事について、それが私たちの平安の達成を促進するか?妨げるか?という単純な基準で評価するように」と促しているのだそうです。
2つのゴールとは
その2つのゴールを深堀りしてくと「対象が何であっても、ゴールは2つしかない」という壮大な話であることも見えてきます。例えば、
・2つの感情 (愛 / 恐れ)
・2つの世界 (実相 / 幻想)
・2つの絵 (T-17.IV)
・2つの時間の使いみち (聖霊 / 自我)
。。。といった感じ。いろんな言い方が可能なので、他にもあるかも。
No.17579/p16 The fact is that the world is too simple for our brains, which are programmed to think in complexities…
どうやら、世界というのは、複雑系で思考するようにプログラムされている私たちの頭脳には「シンプルすぎる」らしいです。なぜなら、この世界で起こるかに見えるいかなることも、たった2つの理由(reason)しかないから。つまり:
①私たちを眠らせたままにするか
②私たちの目覚めを助けるか
。。。というわけで、私たちのゴール次第によって、いかなる状況であろうともその2つのどちらかが出来事の意味になるのだそうです。テキストの以下の箇所について、こんな解説がありました:
「起こってほしいことをあらかじめ決めておくことの価値は、単に、あなたが、それを生起させる手段として状況を知覚するようになるという点にある。(T-17.VI.4:1)」
No.17589/p17 Again, this is not about the situation’s outcome in form, but only the mind’s goal — peace or conflict — that determines our perceptions…
繰り返しますが、これは出来事の結果(形態)がどうなるかということではなく、唯一、心のゴール — 平安か葛藤か — が、私たちの知覚を決定する、ということです。従って、それが私たちの(出来事に対する)応答にも繋がります。私たちは、どんな出来事が起ころうと、それを「赦しのレッスンという学びを助ける手段」として受け入れるかどうかの自由があります。それは私たちの自我を超越する方法でもあるのです。あらゆることを学びの機会に変容させる聖霊の心眼(vision)によるならば、その出来事がポジティブかネガティブかを判断することは無関係となります。
というわけで、ゴールの設定は「真理(平安) or 幻想(葛藤)」の2択しかない、という抽象的なところはなんとなく分かった気がします。でもそうなると、先のわたしの「お金稼ぎたい」みたいな現世的な望みはどうなっちゃうんでしょう?考えるだけでアウトなんでしょうか?
お金を稼ぐゴール
そんな私の俗っぽい願望にも、博士はちゃんと答えてたのでちょっとびっくり。
No.17601/p17 When we awaken in the morning we need to set our goal (T-30.I.1) — peace or conflict — and see the day’s events as serving our decision…
まず、朝目覚めるときにその日のゴールを設定します(これは30章「決断のためのルール」で言われているやつです)。
そこでもし、私たちの望むゴールがお金儲けだったなら、それを達成することで私たちは儲かるかもしれないけど、必ずしもそれで平安がもたらされるとは限らない、というのがポイントみたいです。もしその金儲けの目的が、私達のほんとうの宝である「神の豊かさを思い出す」という目的と矛盾するなら、確かにそうですね。。。
それでこんなことを思いました。お金を稼ぐという望みについて「神の豊かさを思い出す」という目的が先にあった場合、見栄えはいいけど愛のない働き方にはあまり魅力を感じなくなって、結果的に自分と社会との共通の利益を満たすような在り方に自然と導かれていくのかも知れないなー、なんて。
そう考えていくと、結果として “お金を稼ぐ仕事から離れても当面の生活には困らない” という今のような状況もあり得るわけですが、私はまだニートの現状を「神の豊かさの反映」とは知覚できないんだよな〜。。。orz
もしそれで、自分は社会不適応なダメ人間だという自責の念がわいてくるようなら、博士のこの一言を思い出すことにします:
No.17601/p17 We become “happy learners” (T-14.II) when we set the goal of happiness, understanding daily events as nothing more than opportunities to awaken from…
私たちが “幸せ” というゴールを設定するとき、私たちは「幸せな学習者(T-14.II)」となり、日常的な出来事は「自我の悪夢から目覚めるための機会以上のものではない」と理解します。もし、何かの問題をつくりだす誘惑にかられたら、「ああ、わたしは単に “特別性のゴール” にシフトしたという事だ。でもそれは、この1日を本質的に無意味なものとして紡ぎ出すことになるだろう。永遠の平安に導いてくれるゴールを見失っているのだから」と気づくことです。そのような認識が、イエスの教えの目的であり、それは私たちが選び直すことを可能にしてくれます:自我の嘘よりも、イエスの真理を選ぶことを。
まあ、いまニートで悶々としてるからって、仕事に就いたら平安になれるって訳でもなく。結局いま自分が平安でないなら、どこで何しようが大して変わらないのでしょう。だったら現状に抵抗して不安を実在させるよりも、一歩ひいて少しくつろいでみたほうがいいかも。。。
*****
以上、JTT本17章の大物2つについて自分なりにメモってみました。
来月は18章いってみたいと思います!
出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / Journey through the Text of A Course in Miracles (FACIM)
コメント
tobbeさん
いつも学びの参考になる記事をありがとうございます。
今回の「ゴール」についてのお話も、とてもわかりやすかったです。奇跡講座は本当にシンプルな教えだということが改めて理解できました。
tobbeさんのブログのおかげで少しずつテキストも意味がわかるようになってきて、とても助けられ、本当に感謝しています
そしてtobbeさんの
「結局いま自分が平安でないなら、どこで何しようが大して変わらないのでしょう。だったら現状に抵抗して不安を実在させるよりも、一歩ひいて少しくつろいでみたほうがいいかも。。。」
この言葉にも強く共感しました!
ふうせんさん!こんなマニアックなものを見てくださって嬉しいです

いやーゴールの設定ってホント意味わかんなくて。でも2つしかないって言われたら、やっとスッキリしました。といいつつ、未だに毎日「仕事どうしよう…いや今はまだだ!」みたいな不毛なぐるぐるを脳内で無限リピートしております。落ち着け、自分。
こんなハッタリ野郎ですが、凝りずにまた遊びに来てくださいまし
お、おんなじことを悩んでいらっしゃる…!!
とってもわかりやすいです!ありがとうございます。ゴールの設定、超やりたくない…!!(抵抗)
コースで自我との同一化をベリベリ剥がしていってるのに、剥がされてなるものかと「私というアイデンティティ」を声高に主張してしまう…
「だって聖霊の言う事聞いても、儲からないじゃん!私のエゴの望みは満たされないじゃん!」とか叫んでしまって、自分で「ああ、私は精神疾患なんだな、自己判断能力があると思ってるんだ…」となります。
(コースを裁く道具に使って落ち込んでまた自我を満たす。)
自力では何にもできないっす。聖霊たすけて…
ももこさーん!ううう、分かってくれてありがとうです。
いや〜儲からなさそう!笑
言い得て妙だし、なんか軽やかに俯瞰できる気がする〜。
> だって聖霊の言う事聞いても、儲からないじゃん!
。。。ってとこに激しく同意している自分が確かにいました
私の精神疾患ですが、荒唐無稽な儲け話を眠れないほど考えつづけた挙げ句、あるときハッと我に返るという症状が繰り返されております(爆)。
でも、こんな風にユーモアいっぱいに表現してもらうと、いろいろ悶絶してたことが笑い話みたいに思えてくるから素敵
聖霊の言う事聞いても儲からないって、ウケましたw
たしかに、そうですよね。
でもわたしは、思うんです。
聖霊はわたしのことを思って、
儲からないようにしてくれているのだなあと。
大金を得たり、名声を得たりしたことで、
自分はすごいと調子に乗って、転落していく人は枚挙にいとまがありませんが、
自分もそういうタイプだと思うので、
聖霊はそうならないようにセーブしてくれているような気がするのです。
聖霊はわたしのこと分かってるなあと思うようにしてます。聖霊に感謝w
でもほんと、
もしも、10億円手に入ったとして、
そのあとも、いまと同じようにコースの学習を続けられる人って、
そうそういなさそうですよねw
そう考えると、
「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」
と平然と言い放ったイエス様は、やはり、イエス様だなあと思うわたくし山本でございます。
山本さん、ありがとうございます。
たしかに、もし私に10億円あったら、調子ぶっこいてプライベートジェットとか言い出すに違いないので、大幅なコースアウト間違いなしという気がします。笑
大金や名声に揺さぶられることなく、ありのままの人生を豊かに感じられる見方、すごく良いな〜って思いました
そういえばジュディの話で、とある紳士が不動産を売却した代金を送金してくれたことで初のコース出版にこぎつけたという仰天ストーリーを思い出しました↓ なにやら自分との器の違いを感じます…
https://tobbe.info/2020/04/09/2500/