ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
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[JWD] 別の道があるはずだ

11/27。

Journey Without Distance

最近チビチビと「Journey Without Distance」(未邦訳)を読んでます。これはジュディ・スカッチの夫で共にFIP創立者だったロバート・スカッチがACIMの成り立ちを記した本で、海外ではよく知られているようです。もっとも、時系列的な内容はワプニック博士の「天国から離れて」と重なるところが多いですが、それを補うような内容も多く含まれていて興味深いです。

ちなみに「天国から離れて」のほうは博士本だけあって、ヘレンの手記という題材をもとに心理的な解説に重点が置かれており、全体的に抽象度が高くて内容が濃い反面、具体的な出来事についてはさらっとした記述にとどまっている印象がありました。一方、「Journey Without Distance」(以下JWD)のほうは、純粋にACIM誕生秘話といった感じで、どちらかというと出来事のほうに焦点があてられているのが大きな違いかもしれません。そのぶん登場人物がいきいきと描かれており、当時のヘレンやビルの人物像をより身近に感じることが出来るのが魅力だと思います。

別の道があるはずだ

たとえば、有名な「別の道があるはずだ」というビルの宣言のその後について、短いながらも興味深いエピソードがJWDに載ってました。
背景など詳しくは「天国から離れて」に譲りますが、ざっと言うと1965年のある日、ビルもヘレンも参加したくないと思っていた(非常に雰囲気が悪い)定例の研究ミーティングを前にして、ビルは何か非常に言いにくい事をヘレンに言いたそうにしてました。そしてビルが意を決してスピーチを始めたときの様子についてはヘレンの次のような手記が紹介されています:

…それでも彼は、言わなくてはならないと感じていたことを言いました。ビルはそれまでのことをよく考えた結果、私たちは間違ったやり方をしていたという結論に達していました。「別の道が、」と彼は話し始め、「あるはずだ」と言ったのです。私たちの態度はあまりにネガティブなものになってしまっているので、何も成し遂げられない。だから彼はものごとを違った見方で見るよう努力することに決めた、というのです。(「天国から離れて」p104 ヘレン手記より)

この時、ヘレンが椅子から飛び上がってビルの意見に賛同した、という一連の出来事が「奇跡講座」の誕生のトリガーになった、というのは有名な話です。このとき、ビルがそう言ったあとの実際の定例会議がどのような流れになったのか、JWD本にもうちょっと詳しい描写がありました。こんな感じです:

Journey Without Distance p34より
The staff meeting at which Bill began his new approach to problem solving began no differently than dozens of similar meetings they had attended over the years…

その定例会議は、いつもどおりのカオスな雰囲気で始まったそうです。参加者はみな自分の立場を防衛する一方で、他者を攻撃するような状態だったのですが、ビルが新たな決意を秘めたこの日を境に、すこし空気が変わりはじめました。

この時、定例会の顧問だったビルが見せた変化は次のようなものでした:
・以前なら(攻撃されたと感じて)自己防衛していたであろう場面を前にした時でも、ビルはきちんと参加メンバーの話を傾聴するようになり、相手の言い分を考慮するようになった。
・メンバーが未完了の仕事の言い訳をはじめた時も、ビルはその言い訳を聞き入れただけでなく、次回はその遅延の原因となった人の負荷が高くなりすぎない方向で検討してほしいと伝えた。

するとビル自身も驚いたことに、彼のこのような態度が他の参加者にも伝播していくのが感じられたそうです。もちろん、一度の会議だけでは大きなブレイクスルーは無かったものの、ビルもヘレンも「以前ほど攻撃的ではない雰囲気」を認めることができるほどでした。2人がこの新しい方向性を継続したことによって職場の雰囲気が大きく改善したという話は、「天国から離れて」p105にあるとおりです。

面白いのは、長期的にみて全体の緊張が緩和されたことのみならず、能力的に適さなかったスタッフ達が友好的な形で自然と部門を去り、入れ替わりにもっと有能な人々が次々に入ってくるという副次効果まであったということでした。これはさすがに、ビルもヘレンも想定を超えていたんではないでしょうか。

*****
これを読んで思ったのは、「ビルが採用したやり方は、どんな職場のどんな会議にも応用できるのでは。。。」ということでした。つっても今の私はニートなので家族会議でもしてみるか。(°▽°)

正直、それまで博士本で知っていたヘレンの手記はやや抽象的で「何やら、ビルが心を入替えたら不思議と職場の状況が改善したらしい」というボンヤリした想像しか出来なかったのですが、JWD本を読んで驚いたのは、ビルが実際に人間関係が改善されるような具体的なアクションを取っていた、ということでした。

また、博士本には書かれていませんが、この頃のビルにとっての「別のやり方」というのは、どちらかというと意識的に行動面を修正するようなアプローチだったことがうかがえます。行動面をどうにかして人生を良くしようとするのは「コースの実践とは呼べない」と言われそうなものですが、この頃にはまだコースなど影も形も無かったし、ぶっちゃけ博士でさえまだ登場してなかった、ということは指摘しておきたいと思います。それより、この時のビルの決断+ヘレンの合意によって、心のレベルで大きな変化が生まれていた、ということを読み取るほうがより重要ではないかと思ったり。

ビルのとった行動をより内面的に見ていくと、それまで剣呑な関係にあった定例会のメンバーに対して「自分と相手の利益を異なるものとして見ない(=common interest)」というスタンスが貫かれていることが垣間見えてきます。言うまでもなく、コース的に大切なのはこうした見方の変化のほうであって、ビルのとった行動というのは、その内面的な変化に応じて自然についてきたものと言えるかも知れません。つまり、一見すると行動だけを改善しているように見るようなことも、じつは当人の心の中ではそれが贖罪を受け入れる第一歩だったりするかも知れないわけで、それこそ我々が外面だけで判断すべきことではないということでしょう。

ロバート・スカッチの印象

もっと細かい点を指摘するなら、ビルが「別の道があるはずだ」と言ったのは、博士本によればビルのアパートという話になっている一方で、JWD本ではヘレンのオフィスという事になってたりと、必ずしも形態面での詳細が完全一致していない部分は割とあったりします。

しかしよく見ると、エピソードの内容面だけを汲めば両者は一致しており、そういう意味ではJWDも信頼できる一冊と言えるでしょう。もっとも、ロバート・スカッチはFIP創立者であり、ワプニック博士と同じくヘレンの手記を預かる立場でもあるので、多くのエピソードが博士本と一致するのは不思議でも何でもないわけですが。。。

でも、ロバート・スカッチはどちらかというと、ビルやヘレンから直接聞いた話の記憶をもとに当時の出来事を綴っているような印象があり、ところどころ具体的なことに関する曖昧な記憶が博士本との差異となって現れているのではないかと感じました。(一方、博士本のほうはヘレンの手記という物的証拠から解説を行うかたちで執筆しているので、そういった曖昧さはないと思われます)

そしてもうひとつ、JWD本では、ロバート・スカッチがACIMを「この世界でより良い人生を生きるための指針」と見ているかのような言い回しがたまに出てきたりします。そういう意味では「コースは現世的な人生を良くするためのものではない」と断言するワプニック博士の主張とは相容れないところがあるかも知れません。これは、どちらが正しいか間違っているかという話ではなく、単に読者が許容できる内容の深さの違いと捉えるべきでしょう。

たとえば、コースに興味を持ちはじめたばかりで、もっとよくACIMの成り立ちを知りたい、と思うような人にはJDW本のほうがとっつきやすくて読みやすいはずです。海外であれば、それがきっかけでコースをもっと学んでみようと思った人もたくさんいたんじゃないかと。(正直、世界的にみれば博士本よりもJWDのほうが広く読まれていると思います)

なお、JWDの初版は1984年で、FIPからの出版となっていますから、かなり由緒正しい本だと言えます。そして今でもAmazonに行けば、新品のJWD本が手に入ることを思うと、かなり長いあいだ学習者に読みつがれてきたロングセラーなのは間違いありません。そんなわけで、今後もゆっくり読み進めてみようと思ってます〜。

※ちなみにロバートの愛称はボブなので、他の書籍ではボブ・スカッチと呼ばれていることもあります。ウィリアム・セットフォードがなぜかビルと呼ばれるのと同じような英語圏独特のニックネームあるあるです。

出典:天国から離れて (中央アート出版社) / Journey Without Distance (FIP)

コメント

  1. ビルが聖霊を教師として選んだ結果、会議の他の人の話を傾聴したりし始めたら、会議の雰囲気が変わり、必要な変化が生じた、というところだけを捉えると、確かに、これはこの世界の人生をよりよくする手段のように見えるかもしれませんね。

    ポイントは、当時は多分無自覚だったのだと思いますが、ビルが自我ではなく聖霊を教師として選んだというところなんでしょうね。

  2. すみません、なんかぼうっとして書いてしまったのですが、これ、奇跡講座学習者としては当たり前すぎる話ですね。。。失礼しました。

    • huuさんありがとうございます!私もそこが重要なポイントだと感じています。他者の言動を
      博士の説く厳密なACIM理論に照らして評論するのは簡単ですが、当人の心の内部でどんな変化が起こっているかは、外野から推し量れるものではないと思うのです。今回のビルの件は「たとえコースを知らなくても、無自覚であっても、誰でも聖霊を選ぶことはできる」という好例なんじゃないかと思いました。(^^)

  3. 英語ができないわたしのような人に、
    素敵なシェアをありがとうございます。
    ワプニック博士の「赦しのカリキュラム」P189ページに、
    次のようなことが書かれています。
    「わたしたちは、聖霊がわたしたちに到達する方法やルートを、限定すべきではありません。たとえば、夜間にみる夢、友人との会話、ひらめいた考え、読んでいる本、出席した授業ー聖霊はこうしたものの全てを、わたしたちの間違った思考の訂正を示すために使用することができます」
    とありますので、
    ビルの「別の道があるはずだ」というひらめきを聖霊が利用したということになるのかなと思いました。
    もしくは、「別の道があるはずだ」というひらめき自体、聖霊からもたらされたものということになるのかな?
    人生を良くしようとすることはコースの実践とは呼べないということはよく言われますが、
    でも、コースの実践をすれば(聖霊の声を聞く)、自然と人生は良くなっちゃうのものなんだと、
    ビルの具体的な実践内容(相手の言い分にしっかりと耳を傾けるなど)とその結果もたらされた職場環境の改善について読んで思いました。
    とはいえ、一般的には相手の言い分に耳を傾けることは良いことだと思いますが、でも常にそれをしていると、話を聞いて欲しいと願っている人に付きまとわれてしまう可能性もあるわけで、そういう意味では、具体的な実践内容に関してはケースバイケースなんでしょうね。
    あと、Tobbeさんの、「たとえコースを知らなくても、無自覚であっても、誰でも聖霊を選ぶことはできる」というコメントを読んで思ったのは、
    自覚しているにしろ無自覚にしろ、こちら側が聖霊を選んでいるというよりも、
    聖霊は常に、1日24時間、わたしたちの心に入り込むチャンスを虎視眈々と狙っているといった感じなのかなあと思いました。
    蛇口をひねれば必ず水はでてきて(断水していなければ)、
    わたしたちの渇きを癒してくれますが、
    でもわたしたちがしていることは、たいていは、強く蛇口を締めてしまっているような状況で、
    でもふとした瞬間、自分でも気づかないうちに、蛇口をひねることもあって、
    そんなときは、呼んでもいないに、ジャジャジャジャーンと聖水が飛び出してきて、
    わたしたちの喉を潤し、さらには関係するすべての人の心さえも癒してくれるのかなあと思いました。
    そういう事例は、日々目にしているのではないかと思いました。
    とにもかくにも、
    Tobbeさんの毎度、毎度の労作ブログに、感謝、感謝でございます。

    • 山本さん、こんにちは!コメントありがとうございます。いや〜本当にその通りですね。行動面にフォーカスすることを博士が戒めているのは、結局それがケースバイケースにならざるを得ないからだと思います。(例えば、しっかりと主張できないタイプの人がビルの行動だけを真似たら、周囲にカモられて自爆でしょうね…^^;)
      あと、聖霊が常にチャンスを狙っているという表現は気に入りました!修辞的に多様な表し方も、煎じ詰めれば可能な解釈は2通りしかない、というシンプルさが美しいです。(^^)

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