ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20201030, 20201113

ゲイリー達のオンライン講座 (50)

11/4。

お知らせです。2018年からずっと趣味で続けてきたゲイリー講座視聴メモですが、ちょうど50回目というキリの良いところまで来たので、今回で終了することにしましたー。といっても、ゲイリー講座自体は面白いので個人的にはウォッチを続ける所存です。興味ある方はぜひご自分でも視聴されてみてください。申込み方法はこちら
※これまで応援してくださった皆さん、有難うございました。(^o^)/

これを書いてるいまがちょうどアメリカ大統領選の真っ只中ですが、今回の講座 The Substitute Reality, from ACIM Ch. 18, Section 1 (Part2) の配信があったのは日本時間の9/29でした。というわけで1ヶ月以上前の話になりますけど、当時の選挙戦の盛り上がりを感じられます。
 

講座の本編

アメリカ大統領選についてはゲイリーからも一言あったのですが、政治ごとについては思いのほかクールな感じでした。それに絡めて「台本は既に書かれている」ということについての話があったのですが、それは単なる修辞的表現ではなく文字通りの事を意味している、というゲイリーの興味深い体験談がありました。

[ゲイリー]
(0:31) ゲイリー:もうすぐ選挙だけど、言っておきたいのは「それは既に終わってる」ってことだ。誰が勝とうがそれはもう決まってるんだ。全ての歴史、それから未来も決定済みだ。台本は既に書かれている。誰が選挙で勝つかについて、君にはどうすることもできない。もし君がそれについて何かを行動するのなら、君にはそうする必要があったからそうするということだ。それも台本の一部なんだ。もし君が投票しないならそれも台本の一部だし、投票するならそれもまた台本の一部だ。君の一挙手一投足までが既に決定されている。それはただ、君にはどうしようも出来ないことなんだ。

(0:32) そのことについては、僕が以前A&Pと初めてカホキアを訪れた時の出来事を思い出す。(注:ゲイリーがタイムトラベルによって未来を垣間見た時の話です。不死というあなたの現実 6章p191、10章p289に詳細あり)。
その数カ月後に、僕が他の人々と一緒に再びカホキアを訪れたとき、僕は(先のA&Pのタイムトラベルによって)既に知っていたこと以外の事は何もすることができなかった。全ては台本に書かれていた通りに展開した。そのとき僕は前回と違う方向を見ることさえ出来なかった。僕は自動車から降りて、駐車場を横切って、目の前のカホキアの丘に登って。。。それはどちらも完全に一致していた。僕がそれを変更することは出来なかったんだ。

(0:32) だから、君が今日一日何をするかを変更することは出来ないということだ。君がこの講座を見終わって、今日の残りをどう過ごすかは既に決まっている。それはぜんぶ終わったことなんだ。だが皮肉なことに、すでに終わっているにも関わらず、君はそれをしなければならないってことだ。

時間にして2分ほどの短いコメントでしたが、軽く衝撃を受けてました。
なんというか、この話を聞くまで、「台本は既に書かれている」という言葉は修辞的表現だろうと思ってた所があったかも…。そこに無数のシナリオがあるとしても、たとえば「自分が誰と結婚する/しないとか、そういう大きなイベントはRPGみたいに事前決定されてるのかもしれないけど、ランチをパスタにするかカレーにするか位は自分の気分次第じゃないかな?」くらいの認識でした。ところがゲイリーに言わせると、いま目の前のお茶を一口飲むかどうかといった細部までがすでに決定済みで、そこに自分の自由意志なるものは存在しないらしい。。。

でもここでゲイリーが言いたいのは、人生は全て決定済みだから何をしても無意味だというような救いのない話ではなく、「私たちが人生だと思っているものは撮影済みの映画に過ぎないのだから、何が起こっても動揺する理由はない。その映画のなかで私たちが唯一できることは、それをどの教師(自我or聖霊)と共に見るか、という事だけだ」ということだと思っています。それが今回の大統領選のようなビッグイベントであっても、家族や友人との出来事であっても変わりはない、ということでしょう。

(本編では他にも洗礼者ヨハネとイエスが既知の間柄であった事にまつわるユーモラスなエピソードなども紹介されてましたが、長くなるので割愛します)

Q&A

今回のQ&Aは11問に答えてました。いつもどおり時事問題や理論面での質問など内容は多岐に渡っていましたが、せっかくなのでゲイリー節全開のやつを2つほどピックアップして終わりたいと思います:

Q1:トマスの妻だったアイサ(Isaah)が今生にもいるかどうか、知っていますか?
※注:邦訳されたゲイリー本(愛は誰も忘れていない 5章p175)では「イザ」と書かれてますが、正しい発音は「アイサ」です。

(1:14) ゲイリー:実は、僕は今生のアイサが誰かを知っている。だがまだ明かすことはできない。理由は、僕らが他の人のことを勝手に公表することは出来ないからだ。例えば、僕らは今生のヘレンが誰であるか(アルゼナ)をかなり昔から知っていたけれど、それが誰かは決して言わなかった。彼女のほうにその準備が出来て「もちろん、公表しても構わないわ!」となるまではね。

(1:15) 同じことがアイサについても言える。僕は今生でその人物が誰かを知っているが、まだ言えない。もしかしたら、僕の5冊目が出る頃までに本人がOKと言ってくれる事もあるかも知れないが。だが当然ながら、多くの人は公共の目に晒されることを望まないものだ。だからこの件についてどうなるかは待ってみるしかない。

Q7:Jにはヤコブのほかに兄弟はいましたか?もしいたとしたら、その兄弟はJについて行きましたか?それとも保守的なユダヤ教徒であるヤコブのほうに共感していましたか?

(1:40) ゲイリー:(Jにはほかに兄弟がいたか?について) Yesと言えればよかったけど、答えはNoだ。Jはヤコブ以外に兄弟はなかった。たしかにヤコブは非常に保守的な人物で、伝統的なユダヤ教のラビだった。それに対し、Jはとてもラディカルだった。面白いのは、それでも2人は仲が良く、互いを愛していたということだ。僕は、ヤコブはJを敬愛していたと思う。ただ、Jの教えについていけなかっただけだ。彼は保守的過ぎて、変わることができなかったんだ。

(1:41) でも、それはよくあることだろう。家族のメンバー同士が、哲学的・宗教的・政治的なことに対して異なる意見を持っている、ということは珍しくない。Jの時代にだって政治的なことは沢山あったし(ローマ人の陰謀とかね)。だがJとヤコブは、様々なことで異なる意見を持っていたにも関わらず、いつもうまくやっていたし、常に互いをリスペクトしていたよ。 

アイサの話も興味深かったけど、このヤコブの話はなにか心温まるものがありました。たとえ家族間で全く異なる見解を持っていても、互いを尊重し合うことはできるんだなー、と。よくある家庭内の軋轢の多くは、自分が正しくて相手が間違っているという考えから始まると思うんですが、そうした投影の必要性がなければ、意見が異なっていようが何だろうが愛には全く関係ないという事なんでしょうね。

*****

輪廻転生について
実はQ&Aのゲイリー節は他にもあって、「洗礼者ヨハネが今生で誰であるかも知っているが、アイサと同じ理由でまだ言えない」ということでした。いやーまさかそんな2000年前のオールスターが現代に揃って生まれ変わってるなんてちょっと話が出来すぎだろ〜、と思わなくもないですが、それはどちらかというと直線的な輪廻転生観に基づいた狭い見方とも言えそうです。

ゲイリー本(愛誰 5章p164)によると、転生というのは、ある意識体が別の意識体として個人単位で転生するような直線的な感じではなく、心が分裂を繰り返すことによって、共通の過去生を持つ人がどんどん増えるものだ、という説明になってます。似たような概念をまったく別の言葉(記憶とかカルマとか)で説明しているスピ本もあったりするので、どちらかというと個人の記憶という概念を超越した非線形的な転生論に通じるものがあるように感じました。

大事なのは、そのような転生の仕組みも含めたすべてが自我の思考体系であるという事を認識することであって、ぶっちゃけ転生の仕組みがどうなってるかは知る必要さえないのかも知れません。また、一個人としてどうやってそんな無数の過去生も含めた壮大な思考体系を赦していけばいいのか?という疑問については「今生において自分に割り当てられた、目の前のレッスンに根気よく取り組むほかにない」というのが唯一の答えなのでしょう。

というわけで、50回続けてきたゲイリー講座ですが、振り返ってみると割とコース的にどうでもいい話ばかりピックアップしてきたな〜と思ってます(^_^;)。
ご覧の通り、個人的に2000年前の話にやたらと惹かれるところがありまして、(白い目で見られていると知りつつ)楽しすぎて書かずにいられなかったことをお赦し下さい。真偽も定かではないのにゲイリーをウォッチし続けているのは、それが自分にとっての何らかの課題と繋がっているからかも知れません。。。

ここまで趣味ネタにお付き合いいただき感謝です!

※2021追記:ほとぼりが冷めた頃だと思うので補足します。ゲイリー講座をやめた理由は「ゲイリーは誤りを教えている」と主張される方々に対する配慮です。この頃、うちのゲイリー記事が物議を醸している可能性を感じたので、あまり論争の的になるのもどうかと思い、退くことにしました。
ただ、当時はうちが原因だという確証がなかったので、あくまで自己都合という形で強制終了させました。でも実際、このあと嘘のようにゲイリー叩きがなくなって平和になりましたので、読みは正しかったと感じています。
ひとつ執着を手放したことで自由時間が増えるという恩恵もあったし、結果オーライです!

出典:不死というあなたの現実 (河出書房新社) / 愛は誰も忘れていない (ナチュラルスピリット) / Gary & Cindy Renard Online Classes (講座)

コメント

  1. 面白かったです~。
    ぼくもこういうネタ、わりと好きですw

    でも、自分勝手な言い分で恐縮なのですが、
    これで終わりだなんて、ちょっと寂しいかも。

    Tobbeさんのブログは、1本1本の記事のクオリティが高く、
    更新するのも大変かと思いますが、
    備忘録的な意味で、気楽にちょこっと、
    Tobbeさんなりの感想を書くなんてことはいかがかなあ、
    なんてことを、Tobbeさんのご苦労を顧みず、自分勝手に思ってしまいました。

    とはいえ、
    もしも、少しでもTobbeさんの負担になるようでしたら、
    そういうことはしないほうが良いと思います。

    ぼくも、自分の負担になるようなことだけはしないように気を付けてますw

    • 山本さん、ありがとうございます!!(TT)
      確かにゲイリー講座は月2回(計4hr)あるので、視聴メモ+記事起こしは毎回数日がかりの修行モードでしたが、それでゲイリー節の(怪しさも含めた)軽妙なエッセンスを感じていただけたなら、これ以上望むことはありません。

      じつはゲイリー講座が始まった当初は、本に載ってない話が聞けるのが楽しすぎて、ちょっとでも紹介したい!という一心だったのですが、最近いろんな意味で逆効果だった?というジレンマもありまして…。たぶん視聴者の増加には貢献できなかったと思うし、そのせいでゲイリー達の不利益になってたら申し訳ないなー、みたいな気持ちもありました。

      個人的には今後もゲイリー講座の視聴は続けますし、また何か面白い話があればTwitterのほうでゆる〜く紹介していくつもりです。なので、完全に撤退するわけではないでーす!
      仰るとおり、負担にならない運用が一番ですね(^_-)☆

  2. コメント欄でははじめまして。

    細かいところまで含めてすべて台本通りというのは、改めて聞くとショックですね。

    しかし、すべてが台本通りだとすると、『神の使者』か『不死という…』に載っていた、ペトロフ大佐(だったか)の話はどうなるのでしょうね。

    彼は、自我ではなく聖霊に耳を傾けて、あわや世界大戦になるかという危機を食い止めたとされていますが。

    それも含めて、すべて台本通りということなのでしょうか。。。

    まあこれは、形態のレベルで自由に選択したいというように、私がまだ自我に愛着を持っているからなのでしょうけど。

    あ、これはTobbeさんを問いただしているとかではなく、個人的な疑問です。。。

    • わー、huuさんこんにちは!
      ゲイリー達によるとですが、自我の台本というのは我々にとってリニアに見えているだけで、実際には無数の台本が同時に存在しており、その無数の台本でさえも全て既定のシナリオ(fixed)なんだそうです(そういう意味では、我々が想像できる範囲よりも壮大な話かも?)。
      なので、冷戦時代に世界大戦が起こるような台本もあったけど、ペトロフ大佐が聖霊に耳を傾けたことで、その台本ごと時空から消滅したのかも知れませんね?
      我々の視点からすると選択の自由があると見える一方で、デジャヴなどを通じて台本がfixedである事をたまに思い出したりする現象も興味深いです。

  3. 初めまして。オーシャンと申します。
    tobbeさんとタマソニアさんのブログを以前から拝見させていただいており、いつも学ばせてもらっています。今回初めてコメントします。
    『神の使者』のエピソードで、ゲイリーさんが気に入らない映画を見てしまった時に、”良い方の映画を見ていたら帰りに大きな自動車事故にあっていた“とアーテンに言われるところがあり、ゲイリーさんが実践していた赦しのおかげで、学ぶべきレッスンが不要になったと『愛誰』にも書かれていました。
    そこを読んだとき、エゴの世界は台本が書かれていると言っても、ストーリーは一つではなく、マルチエンディングのRPGのようだと思いました。
    私たちにできることは既に決まっているけど、コースが繰り返し教えているように、心の選択によってエンディングが変わってくるのでしょうね。
    プレーヤーがgoodエンドを目指したいのなら、どんな状況でも必ず〈赦し〉を選択すればいいけど、つい私たちは〈攻撃〉や〈逃走〉やらを選択して世界をリアルにしながら、badエンディングに向かってしまう。頭ではわかっていても、なかなか難しい(T-T)
    それを真に実践できるように一生かけて取り組んでいくのが、ACIMの学習者なのかと思っています。

    • オーシャンさん、そうだったのですね、ありがとうございます(≧∀≦)
      私も、ゲイリーの「つまらない映画を選んでしまったと思ったら実は…!事件」を初めて読んだ時は衝撃でした。これまでのゲイリーのA&P話によると、もしその事故に遭っていたら、残りの人生全体に影響するほどの惨事だったはず…なんだそうです。仰る通り、まさに仰天マルチエンディングなRPGですね。
      そして、ご指摘のgoodエンドの件も深いですね〜。何しろ、肉体にとってのgoodを望むか、心にとってのgoodを望むかで、目的が180度変わってしまうというのが…(´д`;)。しかも気がつくと忘れちゃってるもんで、まさに生涯かけて反復的な取り組みが必要だなぁ、と激しく同意です。

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