ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200325(x2)

FACIM読書会 3月 JTT Ch.8 (その2)

3/21(つづき)。

ちなみに、今回のCh.8でやっとJourney本(JTT)のVo.1 (1冊目)を卒業です。正直、始めた頃は1冊でさえ読了する自信なかったけど、みんなと会うのを楽しみに続けられたお陰で、意外とすんなり最初のチェックポイント通過できました。嬉しい〜☆
(でもあと3冊あるんすけどね。。。w)

というわけで、Ch.8の後半いってみます↓
 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

★Chapter 8 — The Journey Back  p226〜(続き)

The Body: Attack/Sickness versus Healing  p226〜 (続き)

No.7733/p226 This returns us to our oft-quoted principle, but with a different..
(T-8.IX.5)「聖霊には誤りの度合いが区別できない」より:
・このことは「癒しに難しさの序列がない」という話に戻ってくる。癌も、エイズも、心臓疾患も、足の捻挫も、聖霊には見えていない。聖霊に見えているのは、心が赦しの決断に対する防衛のために罪悪を選択したという事だけだ。
・だから私たちが聖霊に具体的な問題への助けを求めるとき、自分たちの恐れに満ちたイメージへと聖霊を置き換えてしまっている事になる。
・実際、聖霊は存在しないものを見ることが出来ないからこそ、誤りの度合いを区別できない。そこには1つの誤りしかない:自我の恐れを選ぶこと。そこには1つの訂正しかない:聖霊の愛を選ぶこと。

 Forgiveness  p226 (No.7741)

No.7754/p226 This passage is not really understandable without remember…
(T-8.III.4)「誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい…」より:
・この段落ではコースで中心的な二つの原理、「想念はその源を離れない」と「投影が知覚を作り出す」を思い出す必要がある。私たちが心に隠し、投影を通じて手放そうとしている罪悪の「想念」は、心の中の「源」にとどまる事になる。だが自我は「想念はその源を離れる」と教える。そのようにして私たちがそれを「投影」した以上、私たちはそれ(罪悪)を兄弟の中に「知覚」することになる。

Teaching and Learning  p228 (No.7792)

No.7799/p228 Remember, the motivation for our learning this course is pure..
・覚えておくべきは、私たちがコースを学ぶモチベーションが純粋な利己主義だということ。イエスが私たちにコースを学ぶよう求める理由は、別にコースが高貴だから/美しいから/真実だから/イエスがやれと言っているから…ではない。
・私たちがコースを学ぶ理由は、それが私たちを気分良くさせてくれるから。だからこそイエスの教えは、自我から学ぶことが私たちを不幸にすること、そしてイエスから学ぶことが私たちの想像を遥かに超える幸福をもたらす、ということを強調している。

No.7806/p228 The ego says: “Listen to me. Follow my guidance on special…
・自我は「よく聞け。特別性の導きに従えばお前は幸せになれる」と言う。私たちは自我の嘘に耳を傾け、その教えに従い、そして必ず失敗する。上手く行かない人間関係を次から次へと繰り返す、前の仕事よりも満足できない仕事を繰り返す、など。この世界で平安や満足をもたらすもの、真に上手くいくものなど一つもない。

Jesus  p231 (No.7901)

No.7916/p231 The problem is that the loneliness is part of the same thought..
(T-8.IV.2:4-6)「…この世界の孤独の中でも、もし私があなたと共に居るなら、孤独感は消え去る」より:
・ここでの問題は、その孤独感というのがまさに、私たちという形で表現されている”分離の想念”に属しているということ。もし分離と孤独感が消え去ってしまえば、私たちも消え去ることになる。だからこそイエスと繋がることは非常に恐ろしいのだ。
・私たちがイエスのイメージをこしらえて(個別性や特別性を認識してくれるようなイエス)、それと繋がろうとするのはそのためだ。だが、それは彼がここで言っていることとは正反対である。

No.8006/p234 Some think that death is freedom because they believe they…
・一部の人々は、肉体の死が解放だと考えている(肉体から自由になるため)。しかし自由というのは唯一心のものであり、肉体とは何の関係もない。自由の「想念」への選択(贖罪)こそが、私たちを愛と創造へと解放する。

No.8032/p234 Although we are not yet ready to accept the Atonement for…
・たとえ私たちに贖罪を受け入れる準備ができていなくても、私たちはその実在(一体性)の反映を選ぶことを学ぶことはできる。まずイエスと繋がることにより、私たちは「共通の関心」と「全的な包含性」という彼の思考体系を選択する。これはつまり、「特別な関心」と「排他性」という自我の思考体系に対抗する選択である。
・イエスと繋がることにより、私たちは全員が等しく狂っていることを認識すると同時に、全員が自我の分離の夢からの目覚めを必要としていることを認識する。
・私たちの目的は、この認識を全ての人間関係について、毎日/毎時間/毎分適用し続けることだが、私たちがどれほど速やかにそのことを忘れるか。私たちは物事を裁かずに見つめたり、コースの美しい言葉を読んだり聞いたりするが、それが私たちの個人的なニーズに合致しなければ脇に押しのけてしまう。
・つまり、私たちの心の一部は依然として特別性の偶像を崇めている。だから私たちはイエスの歌を繰り返し聴く必要がある。それが私たち自身のものとなるまで。

No.8076/p236 We will consider this thought in greater depth in the chapter…
「(T-8.V.5:4-6) 平安への道の途中で恐れが侵入してくるときはいつでも、その理由は、自我が私たちと一緒にその旅に加わろうとしてそれができないからである。敗北を感知して怒った自我は、自分が拒絶されたと見なし、報復しようとする。」について:
・私たちは後の章でこれについてより深めていき、自我の邪悪で報復的な性質について探索していく。もちろん真実には、自我が何か(邪悪な報復)をするわけではない。それは私たちの分離した自己が、その思考体系を手放そうとするときに経験する恐れの表出の事を指している。

No.8113/p236 Recall that the ego is not a devil or an entity operating in the…
・自我は別に悪魔などではなく、心の中でうごめく実体でもない、ということを思い出して欲しい。それは私たちの分離した自己が、その特別性を失うことに対して恐怖に怯えている状態に過ぎない。

Closing  p237 (No.8122)

No.8159/p238 To state it one more time, health has nothing to do with the…
・繰り返すが、健康は肉体とは何の関係もない。どのみち聖霊と神には肉体はない以上、その健康とは一なる心の完璧な全体性なのだ。私たちもその全体性を構成する一部分として不可欠である。
・私たちがいかなるレベルで感じる不快感/病気(dis-ease)であれ、それは私たちが「神の子を有罪と見ることによって、全体性という健康から自分たちを切り離す選択をした」ことに起因している。

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Chapter 8 からは以上になります。

次回からはいよいよJourney本(JTT)のVol.2をやっていく予定デス(^^)

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