ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200325(x2)

FACIM読書会 3月 JTT Ch.8 (その1)

3/21。

前回の読書会はグループ通話だったけど、今回はちょっと趣向を変えて郊外のお店で久々に顔合わせです。しばらくぶりだったので、積もる話(主に脱線話w)に花を咲かせたり、オススメ本などで盛り上がった一日でした!外出自粛ムードが続いてるけど、久々に顔を合わせることができて嬉しかったです。なんか元気でてきた(^^)

今回シェアしたCh.8の要約、いつもどおり2分割して紹介します。

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

★Chapter 8 — The Journey Back  p207 (No.7082)

Oneness – The Hymn to Our Self  p208 (No.7111)

No.7203/p210 Interestingly, the gospel parable is not really about the…
・(T-8.VI.4の放蕩息子の例え話より) 興味深いのは、この福音書の例え話は放蕩息子についてのものではなく、父親の愛についてのものだということ。イエスはこの素晴らしい物語を使って、私たちが創造主を滅ぼしたと信じた事による罪悪感や恐怖について伝えてくれている。
・贖罪の真実とは、父の愛を揺るがすような事は何も起こっていなかったということ。私たちの心が癒されるにつれ、これがただの悪い夢だったと認識されてゆく。

The Ego’s Fear of Our Choosing Oneness  p212 (No.7257)

No.7260/p212 While in A Course in Miracles the term knowledge is a…
・コースにおける「智識」とは愛、真実、実在と同義語である。それゆえ、私たちは智識への達成のためにコースを学ぶべきではない。
・そうではなく、私たちの学びのモチベーションは、奇跡が全ての苦痛と葛藤からの解放を差し出してくれることにある。私たちはそこで初めて、平安と真の幸福を感じられる。つまり平安の達成は教わる事ができるのだ。それが生徒のモチベーションになる。

No.7290/p213 We cannot expect the ego to say “I am not real” any more…
・自我が「私は実在しない」と言うことは期待できない。私たちが鏡を見ながら「この姿は実在しないし、自分だと感じたり考えたり体験する自己もない」と言うことも、同じくらい期待できない。
・イエスは私たちがそのように言うことを期待してはいない。だが、イエスは私たちがそれを言わない事による結果(痛み/苦悩/不幸)を学ぶことについて、手助けを求めるように言っている。それらは自我の声を聞くことを選んだことによる結果である。
・私たちが意味のある選択をするためには、私たちがなぜ自我を聞くことになったかを理解する必要がある。

No.7320/p214 Jesus is asking: “Why do you complain about not being…
・イエスは尋ねる。「あなた方はなぜ平安でないと文句を言うのか?自分でそれを投げ捨て続けているというのに」
・私たちが平安から自分を除外する理由は、神の王国の一体性など欲しくないから。私たちはそれと正反対の世界を作り出し、勝つべき戦争があると言い続けている。その戦の証人たちは、自我の本質である虚無の影にすぎない。

No.7353/p215 If we do not hear the Holy Spirit’s Voice, it is not because He…
・私たちに聖霊の声が聞こえないなら、それは聖霊が(小さな声で)囁いているせいではなく、私たちがそれを聞かないという選択をしているからだ。

The Body: Attack/Sickness versus Healing  p217 (No.7419)

No.7436/p217 Using the same body that the ego made to attack and be…
・自我は攻撃したりされたりするために肉体を作った。聖霊はそれと同じ肉体を用いて分離の投影を巻き戻し、心(の中の決断の主体)に戻ることを教える。そして神の子が心を変えることにより、分離の象徴(別々の関心)が、繋がり合いの象徴(共通の関心)へと変容する。そうなって初めて肉体の目的が神聖になる。

No.7516/p220 Our unified purpose has now shifted from guilt to forgiveness…
・私たちのひとつの(統一された)目的によって、罪悪は赦しへ、別々の関心から共通の関心へとシフトする。そして私たちの「神/我々/他者に対する攻撃」は何の影響もたらさなかった事が見えてくる。私たちの誤りは優しく訂正され、罪悪の悪夢は、幸せな夢へと静かに変容する。
・イエスは私たちの目に見える肉体を否定するように求めてはいない。しかし、自我が肉体に与えた「分離と特別性」という目的のほうを否定する事を求めている(正しい心による否定)。

No.7545/p220 Health is a meaningful concept only because it is the…
・「健康」という概念が意味を持つのは、それが「病の訂正である」という事においてであり、肉体とは何の関係もない(病の概念が肉体とは関係ない事と同じように)。
・病とは単に心が自我を選択した状態であり、健康とは聖霊を選択した状態。しかし心はその2択のうち一方を投影するため、私たちの物理的な自己(肉体)はこの「病か健康か(攻撃か赦しか)」の選択が投影されたものを体験することになる。
・だが、(病も健康も)どちらも幻想である。なぜなら非二元的な実在である完全な一体性においては選択は不可能だから。選択が存在できるのは、二元性という幻想の中だけの話なのだ。

No.7577/p221 We have been convinced of the need to rely on the ego’s…
・私たちは自我の導きを信頼しきっている。そしてその導きが常に失敗ばかりだったという事に気づかない間は、何度も何度も自我に頼ることになる。だがいつかは自我に助けを求めるのはおかしいと気づき、最終的に「別の道があるはずだ」と言うことになる。

No.7663/p224 Healing is a “collaborative venture” because the problem of…
・癒しが「共同事業である(T-8.IV.4:8)」理由は、病が”分離の問題”であるのに対し、癒しが”私たちが共通の目的で繋がっている”という認識に依っているからである。
・イエスが「救済は共同事業である(T-4.VI.8:2)」と言う時の共同(collaboration)には二重の意味がある:①私たちが赦しを学ぶためイエスと共同で行うこと。②そのために兄弟たちとの協働を受け入れること。
・のちの章には「平安の箱舟には二人ずつ乗り込む(T-20.IV.6:5)」と書いてある。つまり、神のひとり子が一体性という自然な状態に復帰するにつれ、自我の原理である「どちらか一つだけ」はゆっくりと訂正されてゆく。

No.7680/p224 Healing’s purpose is not to help a body feel better or even to…
・癒しの目的とは、肉体の調子を良くすることではないし、世界平和を達成することでもない。それは、神の子の分離の信念が克服されゆく手段である。
・赦しの目的を他者と分かち合い、キリストの心眼(=断片化した神の子たちに内在する同一性を見ること)を獲得するにつれ、決断する心は癒されてゆく。

No.7711/p225 Jesus is telling us not to ask the Holy Spirit to heal the body…
・イエスは私たちが聖霊に「肉体を治癒してください」と求めないように言っている。なぜなら肉体は問題ではないからだ。なぜ、文字通り無であるもの(肉体)を癒すよう求める必要があるのか?
・肉体は単に、心の罪悪感の影に過ぎない。私たちがこの世界に居ると信じている間の肉体の唯一の価値とは、それが私たちを正しい方向である心へと向かわせることだ。

*****

ここまでCh.8の前半ですが、心に残ったのは「健康 / 癒しとは心のものであって肉体とは関係ない」という事が繰り返し言われていたことです。このへん、テキストだけだと「健康=肉体の健康」「癒し=肉体の治癒」のようにも読めてしまったりするので(私だけか?)、こういう時に博士本を見たほうが誤解をなくしやすい良い例かな〜と思いました。

。。。というわけで、Chapter8 (その2)に続きます!

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です