ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20190909(x3)

FACIM読書会 8月 JTT Ch.2 (その2)

8/31。
こちら前回のChapter2の要約の続きです。このあたりは病気や魔術に関しての解説が出てきます。魔術を用いることであろうが何であろうが、親切心と思いやりをもって兄弟に接するように、と博士はここでも繰り返し述べているのが印象的でした。

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

★Chapter 2 The Separation and the Atonement (p53〜)

No.1941/p53 To summarize the ego’s strategy, it protects itself from the…
・自我の戦略により、神の子の注意は、快楽を得る手段としての肉体に向けられている。しかし、その本当の意味は苦痛を避けること。
・フロイトによる快楽の定義は「緊張の緩和」とされている。コースでも、自我の快楽というのは、罪から来る緊張(苦痛)を最小限にするものとして示されている。

No.1953/p53 One of the ego’s favorite means of expressing its need for…
・自我が好んで用いる贖罪の手段は病気。神は我々を罰して滅ぼそうとしているので、その罰を未然に防ぐための罪滅ぼしとして、自ら身体を病気にするという考え。罪の表出である肉体を罰すれば神の復讐心は満たされ、なおかつ身体(=自我)も存続させることができる。こうして病気の肉体は自我が真実を歪めるための主要な手段となる。

No.1964/p53 What is “amiss on one level”, of course, is the mind’s guilt…
・「一つのレベルの間違い(T-2.IV.2:2)」というのは心の中の罪悪であり、それこそが本当の病気。誤った心は身体に影響が及ぶと信じており、実際に夢の中においては、肉体は病気になる。
・しかし真実には肉体は存在しない。存在しないものがどうして影響を受けるのか?肉体というのは単に心の想念の投影であり、心だけが病むことができる以上、癒されるべきは身体ではない。罪悪を選択したことが問題であり病でもある。→癒しは罪がない状態を選択すること — 贖罪 — によってもたらされる。

No.1973/p53 The implications of this statement that “only the mind is…
・「心のみが誤りを犯すことができる(T-2.IV.2:4)」という箇所は、学習者が見なかったフリをするほど恐るべき内容。この一言が意味するのは、この世界にはいかなる問題も間違いもない、ということだから。→我々の恐れが大きいからこそ、コースでは同じ内容を何度も繰り返し提示する。

No.1988/p54 Magic, as we have seen, is an attempt to solve a problem…
・魔術とは、問題が存在しないところで問題解決しようとする試み。肉体の病気とは、心の罪悪感を肉体に転嫁させる自我流の問題解決。
・「病気は真理に対抗する防衛である(L136)」の意味:自我の恐れは、心が真実を選ぶことによって誤りが訂正されてしまうこと。しかし自我は肉体を病気にすることで、真の問題のありかである心から気を逸らせる。身体が故障すれば、身体の症状を和らげることだけに関心が向き、自分の心を変えようと思いつくことなど到底できなくなるから。

No.2028/p55 This teaching is crucial. Jesus is asking us not to deny our…
・イエスは私たちに、この世界での物理的な存在であることを否定してはならないと言っている。肉体を否定するのは「とりわけ無価値な形の否定(T-2.IV.3:11)」。無価値である理由は、そのような否定をしても私たちの助けにはならないから。
・神の子である私たちに相応しい助けとは、夢から覚めるために、肉体を学びの道具として見ること。肉体に善し悪しはない。聖/邪もなく、健康/病気もなく、生/死もない。

No.2035/p55 A corollary to this mistake, which is going to be addressed…
・学習者にありがちな間違いは「身体は幻想であり病気の源ではないのだから、身体を助けることは罪だ」と考えること→「あなたが苦しんでて緊急治療室に連れてって欲しいのは分かってる。だけどそれは真理に対する防衛だって知らないの?」「君がひどい頭痛で何にも集中できないのは知ってる。だけどなぜ瞑想して赦しを実践しないんだ?痛みは心のものだから、薬や医者にかかるなんて誤りをリアルにするだけだよ。」

No.2055/p56 Jesus is saying to all of us: “For my sake and yours, be kind…
・イエスは我々全員に言っている。「あなた自身のためにも、あなたと同じくらい狂っている兄弟たちに親切にしてあげなさい」と。兄弟たちを、コースの教えを用いて攻撃したくなるのは学習者にとって大きな誘惑。彼らは進歩した教師の特徴のひとつが、親切さや思いやりだということを忘れている(M-4.IV)

No.2061/p56 Therefore, here at the beginning of his course, Jesus urges…
・だからこそイエスはコースの始めで、魔術を用いることについて、自分自身にも他者に対しても親切であるようにと促している。
・言ってみれば、私たちは呼吸するごとに「酸素がなければ死ぬ」という魔術の信念を強化しているわけだし、飲食することさえ魔術の信念である。ACIMは学習者たちに呼吸をやめろとか飲食するなとは言っていない。私たちの身体を(物理的/心理的に)生かすものが全て魔術だとすれば、誰かが薬を飲んだり医者にかかることの何が問題だというのか?

No.2095/p57 The problem with using magic is that it works, an experience…
・魔術を使用することの問題は、それが実際に効くということ。空腹のとき食べれば満たされ、孤独な時に友がいれば寂しくないし、頭痛の時にアスピリンを飲めば治る。だからコースは魔術を使うなとは言ってない。ただ、この世界にあるすべては諸刃の剣であり、自我にも聖霊にも仕えることができると述べている。そして魔術の唯一の有用性とは、愛ある方法で心に戻ることだ、ということを忘れないように。
・私たちが聖霊を選択する動機となるのは痛みであり、魔術が究極的には役に立たないということの認識である。例えば、寂しいとき友がいれば助かるが、明日はどうか?朝食を食べて満たされても、昼過ぎにはまた空腹になる。魔術のシステムには本質的におかしな所がある — それは癒すことができないのだ。

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Chapter2 (その3)に続きます。次で終わりです。

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