ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20190905

そのことを深刻にしないこと

8/28。

FACIMから不定期に届くニュースレターには、ワプニック博士のオーディオからの書き起こしが掲載されていたりします。今朝届いた分は「Words and Thoughts」というワークショップの音声から抜粋した書き起こしで、すごく覚えておきたい内容だったので、ちと長いですが自分語に変換してみました。(私の解釈を挟んだ要約にすぎませんので、悪しからずご了承ください)

ちなみに原文で正しく読みたい方はFACIMの「Don’t Make A Big Deal About It」というページに今回の書き起こしの大部分が載っています。でも、冒頭のQ&A部分は配信済みのニュースレターでしか見ることができません。今後の配信分を見逃したくない人はFACIMでメルマガ登録(Email Signup)するのがオススメです。

まず、メルマガの内容から。冒頭Q&Aです:

以下は「Words and Thoughts」というワークショップ内でのワプニック博士と生徒とのやりとりです。

Q:私は長い間、片頭痛を患っています。検査の結果アレルギーが見つかり、グルテン、とうもろこし等のあれこれを摂取できなくなりました。「ということは、私は誰に対してアレルギーなのかしら?」と考え、(他者を)裁くことについて取り組んでいます。だけど、このアレルギーは自分で作り上げているのですか?もし私がアレルギーをやめる決断さえすれば5分で治るものですか?

ケネス:それもできる知れませんが、なぜですか?アレルギーの何が問題なのですか?アレルギーについて悩みすぎない事です。肉体というのは故障するように出来てます。必ず何かが起こるものです。だから深刻にしないことです。

Q:ですが嫌になってしまいます。夫とレストランに食事に行っても「ええと、私は小エビのサラダだけにするわ。抜いて欲しいものはお塩と胡椒と…」としか言えないなんて。私はアレルギーなんか望んでません。でも今はアレルギーなのです。

ケネス:このコースのゴールは、自我を無くすことでもなく、肉体を完璧に機能させることでもありません。ゴールは、あなたの自我が発動したり、あなたの肉体の機能が損なわれているときに、「それが何だと言うんだろう?肉体とはそういうものじゃないか。そして私は肉体ではない」と言うことです。
(続く↓)

以降は Don’t Make A Big Deal About It より。

そのことを深刻にしないこと

(続き)
この世界と肉体を巨大な「気を散らせる装置」と考えてみましょう。その目的は私たちの注意を心から逸らすことです。私たちを心がない状態にしておけば、心を変更することができなくなり、自我の原初の決断をいつまでも保持できるからです。それがこの装置の目的です(コースは目的が全てだと言っています)。私たちは、気が散ることだらけの肉体に生まれ、いつも心を失った状態でいます。私たちは問題を作り、病気を作り、有害な刺激をもたらす世界を作って、常にそれらにフォーカスし続けるようにしました。

さて、肉体としてここに居る私たちは、指をパチンと鳴らすだけで「さあ、自分はもう肉体ではないぞ」という訳にはいきません。私たちにはまだその準備が出来ていないのです。この肉体的な悪夢の状態から天国へと一足飛びには行けないのです。だから少しずつステップを踏んでゆく必要があります。こうした小さなステップにおいて、私はこう言います「よし、これは私の肉体だ。私は肉体をケアしよう。だけどそれについて深刻になるのはやめよう。そして私は自分を肉体だと定義し続ける必要はない。この肉体が完璧に機能して誇らしい時であっても、肉体が故障して絶望的な時であっても」と。
これらの中間的なステップにおいて、コースが言う優しい夢が私たちの肉体としての体験になっていきます。

繰り返しますが、あなたの痛みや不快感(肉体的 / 精神的どちらでも)を最小限にするための手立ては何でもしてください。だけど、それを深刻にしすぎないことです。もし医者にかかるのがあなたの治療の選択であればそうしてください。薬を飲んだり、食生活を変えたり、出来ることは何でもしてください。ただ、それを前面に置いたり中心に据えるのはやめましょう。それは自我が望むことです。それは、問題や病気や状況を作り出してあなたを陥れるだけでなく、それを解決する事に取り憑かせてしまいます。あなたは一日中ネットで調べ物をしたり、(役立ちそうな)本を読んだり、あの人に会ったりこの人に会ったりするでしょう。それが助けになる事であればもちろんそうして構いません。だけどあなたは、あなたの状況以上の存在です。あなたはアレルギー以上の存在なのです。(笑)

あなたは自分の墓石に「私はここに眠る。私はアレルギーだった。グルテンを食べられなかった」(笑)と刻んで欲しいですか?そのように記憶されたいですか?ですが、そこが問題なのです — あなたの状況(肉体的/精神的)を、あなたの存在理由の全てにしてはいけません。小さな意欲を持つとはそういう意味です。それは肉体を諦めるとか、指をパチンとならして「私は望み通りのものを得て回復するわ!」と言うことではありません。それで治るかもしれないし、治らないかもしれない。だけど、あなたがもし本当に神の平安を得たいのであれば、再びグルテンを食べられるようになることによってその平安を得ることはで無理でしょう(笑)。ですが、グルテンを食べられないという事態について平安でいる事を学ぶのであれば、あなたは神の平安にもっともっと近づくことになります。なぜならあなたは、外的世界にあなたを支配する力を与えない事を学んでいるからです。だから風邪をひいても構いません。癌になっても構いません。食事制限があっても構いません。ただ、そのことについて苦闘しないでください。そのことによって自分を定義しないでください。それが鍵です。(中略)

深刻でないものについて深刻になるのはやめましょう。それは、自分を甘やかしていいという意味ではないし、病状に耐え忍ぶべきだという意味でもありません。それはただ単に、それらが仕える目的(心から気を逸らさせること)を認識するということです。それらの病気や症状といったものを、心に戻るための手段として使うのです。自我を出し抜きましょう。肉体と、肉体上で起こっている出来事(その問題が何であれ)を利用してください。「これが私が決断する心に戻るための方法なのだ」と言うために。

あなたが見ている世界とは — 私のアレルギーとは –「内的状況の外的映像」(T-21.in.1:5)です。そのようにすれば、自我が自分を傷つけるために利用してきた物事は、いまや私を心に連れ戻すための乗り物となります。重要なのは、心の力を使って状況のほうを修正するのではない、ということです。それでは我が家に帰れません。それはあなたに幸せな肉体を与えてくれるかも知れませんが、あなたの心を変えることはないでしょう。肉体を変えるために心を使うのではなく、肉体について心自身を変えること、つまり「私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる。(L34)」のです。私はアレルギーでもいいし、癌でもいいし、足を捻挫してもいいけど、どのような状況であっても平安でいられるのです。想像してみてください、それがどれほど天文学的な進歩であるかという事を。

しかし、心の力を単に肉体を変えるためだけに使ってもどこにも行き着けないでしょう。それはこの世界でより幸せな夢を与えてくれるかも知れませんが、それはあなたをさらに世界に根付かせてしまいます。人々が「ザ・シークレット」について話す時、それは心が望むものを引き寄せようという話ですが、それ自体には別に何の問題はないにしても、我が家に帰ることはできないでしょう。もちろん、心が世界を作って心があなたを貧乏にしたのだから、心を使って洒落た方法を実践すれば、金持ちになることだって出来るでしょう。ですがそれは、あなたの正しい心ではありません。焼けた石炭の上を素足で歩いても火傷しない事だって可能でしょうが、だから何なのですか?天国への道は石炭で舗装されてるわけではありません。(笑)

あなたが学びたいことは、世界と肉体について深刻になるのをやめることです。肉体で何が起こっていようとも平安でいることを学ぶことができれば、それは本当に何千年もの時を節約させてくれます。肉体が楽になる事をしてはいけないという意味ではありません — そうしないのは馬鹿げています — しかし、深刻にならないことです。あなた自身を、病状や治療法によって定義しないでください。覚えておいて欲しいのは、あなたはこの世界にある全てを、世界から抜け出して心に戻るための乗り物として使うことができるのです。それが世界というものの価値です。

ですから、私が見ている世界、私がリアルにしている世界、私の平安を奪い去る力を与えている世界というのは「内的状況の外的映像」(T-21.in.1:5)です。それは愛を捨て去るという心の決断であり、私を平安のない状態に置き去りにします。私はそれを外に投影し、自分が平安でない理由はアレルギーのせいだとか、あれこれの状況のせいだと言います。そして今、私はそれが真実ではないと言います!私はそれでも平安でいることができます。どのような病的症状も、決断する心につれもどしてくれる方法として使うのです。そしてそれは千年もの時の節約になるのです。

それが先ほど私が触れたことの意味です。自我が傷つけるために作り出したものを、聖霊は癒やすために使います。だから私はアレルギーについて何もする必要はないのです。何とかする必要があるのは、自分がアレルギーによって定義されていると考える心についてです。そしてこのことを練習しつつも、私は肉体が楽になるような様々なことを行うでしょう(食生活を変えるとか、医療を変えるとか)。しかし重要なことは、アレルギーによって定義されていると考える自分自身の心について何とかすることなのです。

以上、Words and Thoughts からの抜粋です。

。。。と、大まかにいってこのような内容でした。ここでは質問者に答える形でアレルギーを例に挙げていますが、実際にはどのような問題にも置き換えることのできる素晴らしいアドバイスだと思ったので、読み終わると同時にメモメモ。

さて、このワークショップは2010年11月に開催されており、それは博士が2013年12月に移行を果たすちょうど3年前のものです。今回のやりとりでは、アレルギーという言葉と平行して、癌という単語も繰り返し出てきます。博士がこの時点で自分が癌であった事を知っていたかどうかは知る由もありませんが、もし自身の病気を承知の上でこのメッセージを分かち合っていたとしたら一層の重みがあるな。。。と思ったりしました。

出典: Don’t Make A Big Deal About It (FACIM)

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