ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20171220, 20181203

Workbook レッスン359

レッスン359
神からの答えは何らかの形をした平安である。苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いに過ぎなかったと理解される。(W-pII.359)
Lesson 359. God’s answer is some form of peace. All pain Is healed; all misery replaced with joy. All prison doors are opened. And all sin Is understood as merely a mistake.

11/26。この三連休、貴重なアドバイスを貰う機会に恵まれ、自分の違和感の原因がだんだんクリアになってきました。順を追って振り返ってみたいと思います。

奇跡講座 下巻 ワークブック W-pII.359.1:7
『罪は不可能です。そしてこの事実ゆえに、赦しは、私たちが見ている幻の世界よりもずっと堅固な土台の上に立っています。贖われたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。心安らかでありたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。』

【やること】
・「14. 私とは何か」を読む。
・朝晩に瞑想する(目標15分以上)。
・日中は1時間毎の思い出し。

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相反する想いの葛藤

ミヤビさんの海外遠征問題はその後も心にくすぶっていて、行くべきか、行かざるべきか、まったく結論が出せずにいました。頭の中を整理するために、行く・行かないそれぞれについて感じることを全部書き出してみたり、いろいろ模索はしたものの、「行く」も「行かない」もそれなりに説得力のある理由があるように思われて、どちらにも決められません。

これが、いつもみたいに「○○に腹が立った!ムキー!」みたいな事だったら、フォーカス対象はその怒りだということは明らかなのですが、今回のように漠然とした違和感のなかで「行く?行かない?」みたいな堂々めぐりに陥ったとき、どう考えたらいいのか全く分からず、行き止まり状態。

比較のために記しておくと、ミヤビさんとの過去2回の遠征のときは全く迷いがなく、嬉しさのあまり二つ返事で参加してました。

ということは今回、「いまだかつて悩んだ事がない事について悩んでいる」という時点ですでに結論は出ているのかも知れませんが、やはりそれでも割り切れないものがあったのです。

そんな週末、久々にテディさんと音声通話する機会があったので、この件についてアドバイスを求めてみました。それがすごく参考になったので、その時の自分メモ:

★一見、行くか行かないかが問題のように見えるが、実はそれは問題ではない。行く場合、行かない場合それぞれに「気が楽になること」「罪悪感を感じること」が対になって存在していて、それが葛藤になっている。フォーカスすべきはその葛藤の部分。

★決断のためのルール(T-30.I)にあるように、自分の判断でAかBか決めようとするのではなく、「自分にはこのような葛藤がある」ということそのものを聖霊と共に見る。この葛藤について別の見方をしたいという意欲を持つことの方が大事。

★今日はその事に納得できた気分になっても、明日になったらまた、行く行かないの悩みに逆戻りするかも知れない。誰でもそういう事はあるし、それで構わない。悩みながらでもよいから、何度も聖霊の視点に戻るようにすること。

。。。これだけで充分に、私が見当違いの海で溺れているのを助けて貰ったのですが、プラスαもありました。これに関連して、ワプニック博士の短い動画(そのうち書く予定)を紹介して貰ったんですけど、後でそれを見たら、私がこのような問題を招いている背景がだんだんクリアになってきたかも。。。

今回は、怒りのような単一の感情ではなく、複数の相反する感情がぶつかり合っていたために「どう考えたらいいのか分からない」「何を赦せばいいのか分からない」という混乱状態に陥っていたわけですが、フォーカスすべき範囲が定まってきたように思えて、少し落ち着いてきました。テディさん、いつも的確なアドバイスありがとうございます!

出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)

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