ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20171001, 20181114

Workbook レッスン350

レッスン350
奇跡は、神の永遠の愛を鏡のように映し出す。奇跡を差し出すことは、神を思い出すことであり、神についての記憶を通して、世界を救うことである。(W-pII.350)
Lesson 350. Miracles mirror God’s eternal Love. To offer them is to remember Him, And through His memory to save the world.

11/7。昨日のタケノコさん上書き事件について、引き続き振り返ってました。。。

奇跡講座 下巻 ワークブック W-pII.350.1:1
『私たちが赦すものは、私たちが知覚する自分自身の一部となります。(中略) 彼の本性は、彼の考えには影響されません。けれども彼が見るものは、彼の考えの直接の結果です。』

【やること】
・「13. 奇跡とは何か」を読む。
・朝晩に瞑想する(目標15分以上)。
・日中は1時間毎の思い出し。

***** ***** *****

自分で自分にしてること

昨日、エビス先生のところで感情を溜め込まないことの大切さを実感したので、今朝になってメモ用紙に思ったことを全部書き出してみました。あとで破って捨てるつもりで書いたら、怒りまくり・裁きまくり・被害者感丸出しの、見るに耐えない言葉が次から次に出てきて我ながら驚き。きゃー、デスノート。

その怒りのデスノートを見てるうちに、思い浮かんだことがあります。
これまで何度か、自分の仕事がないがしろにされる事件が起こるたびに、それをやった相手に対してキーっとなって(今回の場合はタケノコさん)、その相手に対する怒りを手放さなきゃ!聖霊さん助けてー!みたいな流れでやってましたけど。。。今回、そのデスノートの内容をもうちょっと吟味してみてふと思ったのは:

。。。もしかして私、自分に対して怒ってるんじゃ??
なぜなら、自分で自分の仕事をないがしろにしてるから。。。(-_-;)

ここで自分の仕事って言ってるのは、会社の仕事という意味ではなくて。なんか、描きかけのまま放置してる子羊の絵のことが思い浮かんだんです。あー、あの絵、週末にやろうやろうと思いながら、やれ読書だとか、洗濯とか、ブログ書き、買い物、台所手伝い、あれやこれやで日が暮れて、後回しにしてたよなー。。。
まあ、自分のことを後回しにする癖は、何も絵に限った話ではないけど。。。

もっと言うと、私が会社でどんなに頑張って仕事をしたって、その特技やクォリティを自分の人生に活かすのを後回しにしてるから、仕事上の成果物もそれ相応の憂き目に遭うのかもしれません。苦労した仕事が踏みにじられる事態というのは、自分で自分の幸せな仕事を踏みにじっていることを象徴しているように思えてきました。。。orz

不思議なことに、このことが思い浮かんだあとは、昨日の上書き事件に対する怒りをすっかり感じなくなりました。何だったんだろ?デスノートもアホらしくなって、破って捨てちゃった。結局は自分の問題だったんじゃないか疑惑に行き着いて、なんかタケノコさんに責任転嫁するのはお門違いに思えてきたというか。

だからって描きかけの絵を早くなんとかしろって意味ではないとも思ってます。まあ、絵を描くことは単なる行為に過ぎないので、そこに固執する必要はないというか。ただ、その行為が象徴する意味はよく考えた方がいいのかも知れません。これまでのキャリア面でのあれこれが、自分ネグレクトの裏返しだったらちょっと痛いな〜。。。とか思ったりしてました。

まあ、考え過ぎかもですけど。。。(´ω`)

出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)

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