ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180416

世界は幻想だと言うけれど

ACIMは世界は幻想であると言ってるけど、今の私の意識レベルは明らかに世界を現実だと信じています。私には世界がめちゃくちゃリアルに見えます。スチールデスクは硬いし、足踏まれたら痛いし、人は老いて死ぬと思ってるし、実際そうなるし。それが、私がこの世界を信じている証拠です。
(もし私が世界を幻想だと見抜けるなら、見えるものすべてが、もっと精妙で美しく見えるんじゃないか思うのです。でもそうはなってない)

「世界も人生も幻想だから無意味」と考えるのは、究極的には正しいかも知れません。けどそれは、「生きてるのは無意味」みたく鬱な気分を正当化するための方便にも使えちゃうので危うい気がしてます。これまでのレッスンによれば、鬱=自我の表現のひとつですから、ACIM学習してるつもりでいつのまにか自我を強化してたら笑えません。

幻想の問題については、ゲイリー本3冊目でパーサがこんなこと言ってました:

「愛は誰も忘れていない」p33
何かに取り組もうとするとき、つい人生は幻想だという点に焦点を当ててしまいがちになるけど、焦点を当てるべきはそこではないわ。なぜって、他者を見るように自分自身を見るというのはほんとうで、人々や世界を幻想ととらえて人生を歩めば、次第に無意識下で自分自身のことも幻想と考えるようになってしまうから。そうすると空虚感を覚えたり、無意味に感じて落ち込んだ状態になるわ。無意識では、他者についての思いは、あなた自身についてのメッセージに置き換わることを忘れないで。

。。。焦点を当てるべきは、幻想ではなくて実在(リアリティ)の方だという話です。けど私にはまだ実在は見えないから、目に見える事象の奥に目に見えない実在を見出そうとする努力が必要なんだろうなと思ってます。

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ちょっと話かわりますが、「世界は幻想」という考えは、なんか「地球は丸い」というのと似てるなーと思います。
私たちは「地球は丸い」と学校で教わって知っているけど、日常生活では地面は平らであるという前提で成立してたりします。同じように、私たちは「世界は幻想」とACIMで学んだけど、それでも日常生活は世界はリアルであるという前提で成立します。そんな感じ。

でも、飛行機で移動するときや、時差のことを考えるときには「地球は丸い」と知っていると便利です。それと同じように、赦しに際して自分も兄弟も本当は罪を犯していない、と思い出す時には「世界は幻想」があると便利です。
そんなふうに、それが役に立つように概念が使えればいいなと思ってます。

世界は幻想かも知れないけど、今の私の心にとってはまだまだリアルです。そして、ACIMの学習をするにしても、私はこの地点からスタートする以外に方法はありません。

病気のことやお金のことや家族のことなど、めちゃくちゃリアルな出来事として現れるまさにそのことが私にとってのレッスンなんだろうなと。目の前の出来事に対しては無意味とは思わず、ちゃんと意味があるかのように(常識的に)対応していこうと思っています。

そういえばヘレンもビルもワプニック博士も、世界は幻想だと誰よりも知ってたと思うけど、地上で与えられた仕事をきっちりこなした上でACIMに携わっていましたよね。世界を取り消すなどというとんでも無い教義にどっぷり浸かりつつも、一般人としての生き方をまっとうした彼らはすごいなぁ〜と思います。

出典:愛は誰も忘れていない (ナチュラルスピリット)

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