ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180201

Workbook レッスン173

レッスン173
復習Vの③ (W-pI.173)

1/26。朝起きたらスマホが電池切れ寸前で焦りました(ケーブル接続してるのに充電失敗したらしい)。このままだと昨晩撮影しといたワークブック写真を読み返せない。。。慌ててモバイル電池を持って出勤です。スマホ依存だなあ。

【朝晩の練習】
起床後と就寝前に。(復習Vのメモ参照)
神は愛であり、だから私も愛である。
God is but Love, and therefore so am I.

【日中の練習】
復習Vのメモ参照。

神は愛であり、だから私も愛である。
1. (155) 私は一歩退いて、神に導いてもらう。
Lesson 155. I will step back and let Him lead the way.
神は愛であり、だから私も愛である。

神は愛であり、だから私も愛である。
2. (156) 私は完璧な聖性の中を神と共に歩む。
Lesson 156. I walk with God in perfect holiness.
神は愛であり、だから私も愛である。

***** ***** *****

今日、ふと思ったこと。今まで自我というと、不快感や怒りや恐怖みたいな、比較的わかりやすい動揺を対象に考えていたけど。。。もしかして、特に浮き沈みのない、フツーの状態だと思ってる時も含まれるんじゃないかって気がしてきました。

フツーな状態って、不幸ではないかも知れないけど、少なくとも神の愛を感じてるとか幸福であるとかいう訳ではないし、ACIMで言うところの平安の状態とも違う気がするんですよね。もし聖霊と自我の二択しかないのなら、やっぱりこれも自我なのかな、って。

もちろん自我が良いとか悪いとか裁く必要はなくて、ただ、見つめる事から始められればと思います。あと、どんな落ち着いた気分であっても、個別のワタシという感覚がある限り、どうもそれは真実ではないらしい、という事をたびたび思い出せますように。

出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)

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