Workbook レッスン126
レッスン126
私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。(W-pI.126)
Lesson 126. All that I give is given to myself.
今日の概念はいろんなことが繋がってくる気がします。与えるものが与えられる、というのは現世的な与え方(贈与とか助けとか)とかよりも、他者に抱く想念のことなのかなと。例えばレッスン121で嫌いな人を赦すイメトレがあったけど、あれはつまり自分自身を赦す練習だったのか〜みたいな。
あと、ゲイリー本(神の使者p315)で、「きみが有罪ならぼくは有罪だが、きみが無辜ならぼくも無辜だ」と言っている部分とも重なるなーと思いました。
誰かに対して想念を与えるには、必ずしも相手が身近な人物である必要はなくて、思い浮かべられる人なら誰でもアリ(別れた人、亡くなった人、TVでしか知らない人etc) という事についても時々考えるようになりました。私たちは本当は分離していない=相手に対して思うことは自分にも繋がってる、という形而上学は飲み込みにくいけど、もしかしたら本当にそうかも知れない?
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pI.126.8:1
『今日、私たちは与える者と受け取る者が同一であることを理解しようとする。これはあなたが慣れている考えからするとあまりにも異質なので、これを意味あるものにするには、あなたには助けが必要である。しかし、あなたが必要としている助けはここにある。今日、聖霊に信を抱き、あなたが今日行う真理の練習を聖霊が共有してくれるよう求めなさい。』
【長い練習】
15分の練習を2回行います。沈黙して目を閉じ、誤った信念が放棄される静かな聖域を探します。今日の概念を繰り返し、真に理解するための助けを求めます。
【短い練習】
長時間忘れることのないように、たびたび次のように言います。(時間指定なし)
私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。これが真理であることを学ぶのに必要な助けは、今、私とともにある。私は聖霊を信頼する。
(原文:All that I give is given to myself. The Help I need to learn that this is true is with me now. And I will trust in Him.)
それから聖霊による訂正と愛に心をひらき、静かなひとときを過ごします。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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