FACIM読書会 8月 JTT Ch.2 (その3)
8/31。
長くなりましたがChapter2の要約はこれで終わりです。
「自分が密かに心に抱く考えには何の力もないだろう」と考えるべきではない、ということについて言及がありました。いま見えている世界がどれほどの誤創造であっても、自分の心がもつ力をリスペクトする必要があるというのは忘れがちなところので、何度でも読み返したいところです。
教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。
★Chapter 2 The Separation and the Atonement (p58〜)
No.2120/p58 “Therefore,” Jesus says, “I need you to bring your suffering…
・イエスは言う。「あなた方の苦しみを自覚し、この世の何ものもそれを終わらせることは出来ないと認識しなさい。そうすれば、あなた方はいずれ私に助けを求めるだろう: ”自分の人生や人間関係には別の見方があるに違いない。(苦痛が)常に他者のせいであるはずはないし、自分がそこまで出来損ないであるはずもない。自分には明らかに気づいていない何かがあるはずだ” 」これが知覚をシフトさせるためのイエスの招待状。つまり私たちが経験する苦痛のすべては心の選択によるものであり、他の誰も/何も関与していないという事に気づくこと
No.2173/p59 As it is the cause that we need to undo, not the effect…
・訂正の必要があるのは原因(心の誤った選択)であって結果(行動)ではない。これは「誤った選択を変更したいかどうか」という私たちの意欲の問題であり、助けが必要なのはその点のみ。これはテキストの冒頭から書いてあることだが、学習者がしばしば読み飛ばすのもこの部分でもある。
No.2196/p60 If we do not acknowledge and respect the power of our…
・もし私たちが、誤った選択を可能にするほどの心の力を認めて尊重しなければ、同じ心の力を用いて誤りを訂正することも不可能になる。
No.2210/p60 Perhaps we cannot do anything about our external…
・外的な状況について私たちが出来ることは何もない。例えばもし殺されるための強制収容所に入れられたら、助かるために行動面で出来ることはほとんど無いだろう。しかし心のレベルであれば状況を別の見方で見ることができ、恐れることなく平安でいることも可能。
No.2320/p64 People will frequently say: “What difference does it make…
・人はよく「自分の考えなんかが何になるっていうの?」と言うが、ヘレンもしばしば同じ間違いに陥っていた。彼女の振る舞いは社会において全く非の打ち所のないものだったが、彼女の考えはそうでない事が多かった。
・例えばヘレンはスリムな体型だったにも関わらず、いつも体重の事を気にかけていた(若い時に太ったり痩せたりを繰り返した挙句に入院する羽目になったため)。彼女が食事をする時はいつも料理のカロリーを計算していた。彼女は太るものさえ食べなければ、太るという考えを持ち続けても構わないかのように振舞っていたが、それは自己嫌悪(罪悪感)を温存する手段だった。
No.2328/p64 On another level, with the exception of the very few she…
・別の例では、ヘレンは(親しい数人を除いては)人々といることが嫌いだったが、彼女はそれらの人々にも表面的には親切にした。そして嫌いでない相手に対しては(内心)裁きまくっていた。
・「私が相手についてどう考えているかを言いさえしなければ構わない」というのは成り立たないとイエスは言っている。罪悪感とは、私たちが口にしたり行ったりしたことから来るのではなく、私たちが考えたことから来るものだ。政治家が意図的に嘘をつくとき、それが嘘だと誰も知らなければ構わないだろうと彼らは考える。しかし、自分が真実を表明していないと自覚している時点で罪悪感は在るのだ。
No.2341/p64 It is extremely important to understand the mind’s power…
・心が持つ力を理解することは非常に重要。たとえ今すぐ心を変えることが出来ないとしても。頭痛を和らげるため毎日薬を飲む時、私たちは少なくとも自分が何をしているか意識し、自分に正直になってこう言うべき。「私は頭痛という問題が心から来ていると知っているけど、私はまだ(心に戻ることが)恐ろしい。私の心が持つ力はあまりにも強力で、それは自らの力を否定できるほどのものなのだ」
・この認識さえあれば、頭痛だろうが癌だろうが、癒しへの扉を開いたままにしておける。さらに、自分自身に対し正直で、優しく、忍耐強くあることで、他者に対しても同じように接することができるようになる。
No.2370/p65 Asking Jesus to get us parking spaces, heal cancer, …
・イエスに対して駐車スペースを見つけてくれとか、癌を治してとか、世界を平和にしてと頼むことは、イエスに原因と結果の法則に干渉してくれと言うばかりでなく、私たちの心の力を減じるもの。この夢から覚めるための助けを求めておきながら、なぜそんなことを頼む必要があるのか。もちろん具体的な事を頼むのは罪ではないが、そこに固執することは梯子の一番下の段に留まること。
No.2467/p68 On the other hand, it is important to be true to our experience…
一方で、私たちの経験を否定しないことは大事。それは否定の中でもとりわけ無価値な否定。イエスは我々の経験がどんなに非現実であっても否定することはない。(中略) 池があったロスコーでよく話したのは、ゴールは自我の池に飛び込んで対岸まで泳ぎつく事だ、ということ。しかし池の底に潜って自我を探求したいという誘惑によって対岸まで泳ぐことを忘れてしまう。
No.2525/p69 Forgiveness is the simple recognition that what others…
・赦しとは「他者がした事が私たちを傷つけることはない」というシンプルな認識であり、私たちの平和的な無防備さによって実証されるもの。それは「あなた方も心に戻って同じ選択ができる」というメッセージ。教えるのは私たちの行動ではなく、私たちが選択した心の平和によってである。
No.2597/p71 As we recognize the true source of our pain, which is the…
私たちは痛みの真の源を認識するにつれて不快感に敏感になってゆく。汚れたテーブルクロスに多少のしみがついても目立たないが、真っ白なテーブルクロスが少しでも汚れたら目立つのと同じ。
No.2639/p73 Once again, time and space are not really under Jesus’ control…
・時空の世界に囚われている我々には、真の助けとなる準備が出来ているかどうか(自分で)評価することは出来ない。私たちは進歩と後退の区別がつかないから。
・でも私たちは赦しのレッスンに熟達していなくても、イエスの生徒となる準備はできる(むしろ熟達してたらコースは不要)。「準備が整った状態とは、「テキスト」も述べているように、熟達そのものではない(M-4.IX.1:10)」
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Chapter 2からは以上です。
今回も厳選しようと思ったんですが、これはと思う内容が多くてうまく絞れませんでした。。。次回はもうちょっと考えよう。
出典:奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社) / Journey through the Text of A Course in Miracles (FACIM)
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