Workbook レッスン346
レッスン346
今日、神の平安が私を包み込む。そして神の愛以外のことは、すべて忘れ去る。(W-pII.346)
Lesson 346. Today the peace of God envelops me, And I forget all things except His Love.
11/1。今日のレッスンは、ゲイリーの瞑想法(こないだの講座でチラッと紹介)みたいだなって思いました。※詳しいやり方を見つけたので、そのうち書きます。
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pII.346.1:1
『父よ、今日、私が目覚めるとともに、奇跡が一切のものについての私の知覚を訂正します。(中略) 今日は時間が脇に退いたので、いずれ永遠を共有するときのように、この一日を私はあなたと共有します。』
W-pII.346.1:5『あなたの愛以外はすべて忘れたいのです。あなたの中にとどまり、あなたの愛の法則のほかには法則を知らずにいたいのです。』
【やること】
・「13. 奇跡とは何か」を読む。
・朝晩に瞑想する(目標15分以上)。
・日中は1時間毎の思い出し。
***** ***** *****
トーマス・キャンベル
こないだテディさんが、トーマス・キャンベルというNASAの物理学者の動画を教えてくれました(日本では、まだあまり知られていない人のようです)。なんと3時間近くある大長編なので全部は見終わってないのですが、学者さんらしからぬ話だったので、冒頭の一部分をちょっと紹介します。
トーマス・キャンベル インタビュー(2時間50分)
https://youtu.be/jv8fjXtXjaI
(20:06) We’re here to make choices and by those choices…
私たちは選択をするためにここに来ています。それは、その選択によって意識のエントロピーを下げること–霊的に成長し、他者を思いやるようになること、つまり愛になることです。それは行動に関することではありません。親切な行動をするとか、愛らしく行動をすることとは違うのです。大切なのは、親切な存在であること、愛ある存在であることです。この2つは大いに異なります。
いわゆる行動とは、頭脳からきています。あなたは「こうあるべき」とか「このようになりたい」とかいった様々な動機に基づいて行動することができるでしょう。しかし「行動すること(acting)」は「~であること(being)」とは全く違うのです。あなたが親切といわれる行動をするとき、常にこんな風に考えています。「これをやったら親切だろうか?それともあれをすべきだろうか?あっ、おばあさんが道を渡るのに困ってる。よし、おばあさんを助けに行こう。そうすれば親切な人に見えるだろう」
そういう考えはすべて頭脳からくるものです。それはあなたが作った物語です。あなたは親切になりたいと思っている、だけどそれは本当の親切ではありません。ただ親切そうな行動をしているだけです。なぜなら、もしあなたが真の意味で親切であれば、「おばあさんが助けを必要としている。自分は手を差し伸べることができる」という以外のことは思いつかないはずです。そしてただ彼女を助けに行くでしょう。いちいち「助けるべきか?時間はあるか?そんな事してたら遅刻しないか?彼女は本当に助けを必要としているのか?」などとは考えないはずです。あれこれ考えるとき、あなたはサービスの提供者という視点に立っており、(全体にとって)何が最善かという視点には立っていません。本当に最善のことというのは、これが正しいかあれが正しいか?などと考えることなく、ただ為されるものです。
*****
ちなみにキャンベル先生の主な著作は「My Big TOE (Theory of Everything)」と呼ばれる三部作で、USでは結構有名みたいです。残念ながら邦訳は出てませんが、たぶん「意識」の側面にスポットライトをあてた興味深い理論じゃないかなー?などと想像中。日本語版でたら読んでみたいかも。
でもアメリカってすごいですねー。もし日本だったら、最先端科学の研究者が実名バリバリでこんな話するとか、ちょっと想像できないなー、と思いながら見てました。(^^;)
テディさん、いつもためになる情報ありがとうございます。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社) / Physicist Explains the Mandela Effect, Virtual Reality and the Nature of Consciousness (YouTube)
コメント