買い叩き案件を断るまで(1)
10/25。
さて、それとは別に自分の弱点に関するちょっとした変化もありました。いままでの人生で繰り返し現れてきた「なぜか気がついたら安く買い叩かれている」というパターンから抜け出すきっかけになるといいな。。。
気がついたら安く使われている
実はカントクさんの激安Web案件が一向に収束する気配がなく、修正につぐ修正でだいぶキツかったです。8月からこっち、ほとんどの時間をカントクさんのために費やしていたと言っても過言ではありません。派遣時代だったら5日分にもならないような僅かなギャラしか約束されてないのに、結局2ヶ月も働き通しでまだ終わらない。
でもまあ、今回のは「トベの実力お試し案件」だから文句は言えないよな。。。と頑張ってきましたが。
事件その①
あるときカントクさんが「新しい案件やってみない?」と、3つ目のWeb制作を持ちかけてきました。まあまあオシャレなWeb制作です。ギャラを聞いたら派遣生活1ヶ月分くらいにアップしてました!やったー!実力が認められた!「やります!」と元気よく返事をしたところ「じゃ、スケジュール後で出すから」とカントクさん。
しかし、。。。出てきたスケジュールを見てびっくり。なんと4ヶ月分のプロジェクトだったのです。最初は「わあい4ヶ月もあるからゆっくり作業できる」などと呑気に考えてたけど。。。よく考えたら最低4ヶ月は1円も入ってこないってことじゃん?しかも、1ヶ月分のギャラで4ヶ月働かなきゃいけないの!?ていうか今までのカントクさんのやり方だと修正の嵐でかなり忙しくなることは避けがたいうえに、4ヶ月で終わるかどうかも怪しいよねえ?今やってる1ヶ月案件も気づけば3ヶ月目に突入してるし、下手するとこの4ヶ月案件が12ヶ月に延びることもありうるんじゃ。。。しまった。。。!( º言º )
とはいえ先にやりますと言ってしまった手前、今さら撤回できません(あほ)。「うわあ〜〜やっちまった〜。赤字確定ってだけでも辛いのに、いつまで拘束されることになるんだろう?カントクさん案件でコレだと最低でも6ヶ月以上はいきそうだな。。。ガクガクブルブル」と毎日憂鬱でした。。。
畳み掛けるように次々と
せめてそこまでで出血を食い止めようと心に誓ったのに、それから幾日も経たないうちに、カントクさん以外の複数人からまたもや怪しげなWeb制作の依頼を持ちかけられ。。。!
事件その②
ひとつ目はカントクさんの知り合いのプロデューサーとかいうダルマおじさんで、私がWeb歴長い駆け出しと知るやいなや電話をかけてきて「ねえねえ!ちょっとうちのWeb案件でアンケートフォーム作って欲しいんだけど、いくらでやってくれる?」「(ええ〜、そんな相場分からないよ〜プログラミング案件だしな〜)。。。じゃあ◯万円を前払いして欲しいです(手付金という意味で安めに言った)」「えっ!◯万円!?そんなの全然出るよ!現金で即払うよ!じゃ、宜しくね!」「(しまった、この人これで金額確定しようとしてる!やばい!)あ、あの、詳しく伺った上で差額を見積もらせて貰いますが」「あー大丈夫大丈夫!そんな必要ないよ!簡単なアンケートだから!」。。。という感じで百戦錬磨のダルマさんのペースで完全に押し切られてしまったのでした。(これは私がアホでした)
事件その③
それで終わりかとおもいきや、今度はスマート室長の師匠のオヤブンさんから声がかかりました。「トベさん、例のミツバチ手法の件で話をしたいんですが」「ええぜひ喜んで!」ということでMtgしてみたら、「いや〜、ミツバチ手法の前に、僕のセミナーのWebページ(クソ長いやつ)を2つ作って欲しいんです」「えっ。。。( º言º )」「実は、カントクさんがトベさんを推薦してくれたんですよ!」「カ、カントクさんが!?そそそれは光栄ですねー。あーははは。。。」やべえ、マジやべえ。全然やりたくないけど、室長の師匠みたいな偉い人に仕事頼まれるなんて、実に断りにくい〜!!
→気がついたら巻物みたいなWeb原稿を渡され、締め切り1ヶ月後とか言われて途方にくれている私がいたという。。。
私のスケジュールはカントクさんの複数のエンドレス案件ですでにパンパンです。この上どうやってムチャブリ案件の時間をひねり出す!?どう考えても無理じゃねえ??
しかも、オヤブンさんの最後の一言が気になる。。。カントクさんの推薦だって??業界人のカントクさんなら正規料金のプロをいくらでも紹介できたはずなのに、何でわざわざ実績ゼロの私を推薦するわけ??それって安さ以外の理由ないやんけ。。。しかも、オヤブンさんは世話になってる室長の師匠だからなおさら正当な金額を言いにくいよう。もう買い叩かれるの確定だぁ〜。。。orz
こんな安くてキツい仕事がしたくて起業コンサル受けたわけじゃないのに、どうしてーーー!!
何度も繰り返されてきた事の縮図
そこでふと気づいたのです。これって、今までの人生で繰り返し現れてきた「自分安売りパターン」が、サルでも分かるくらいあからさまに目の前に突きつけられてる状況じゃない?
これってつまり、私の人生の縮図、だよねえ。。。
今回の不自然なほどの買い叩かれ案件の連鎖、単なる偶然なわけがない。( º言º )
むしろこれって、私が長年ずっと自覚なしに考えてきたことの結果でしょう。。。
もし私が今回の案件全部をイイ顔して引き受けたら、この先もずっとあちこちで安く使われ続けるの間違いなしだと感じたのでした。うわー、こんな安売り人生がこの後もずっと続くのいやだあーーー!
なんとか、なんとかしないと!
そこで初めて、自分がいま窮地にいることをまわりの人々に打ち明けて助けを求めたのでした。。。
(つづく)
コメント
はわわわ、ここで「待て次号」…ハラハラの展開で続きが気になっちゃうんですが!
もっとも、これは終わった出来事の振り返りであって、今のtobbeさんは落ち着いているんだったらいいなあ〜。
企業は食品とか割とホイホイ値上げしませんか?私がそう感じるだけでしょうか。
お金って何だろう、と感じたりしていたので、本当にそれぞれに見合った評価や収入、価格、そういうものが反映されたらいいなあと思います。
みやっちさん、ありがとうございます!買い叩かれ案件のゴタゴタはすでにほぼ収束してますのでご心配なくー。ただ、私にとっては大事な試練だったので、記録のために書きました。お目汚しで申し訳ない。😅
最近、ナスダックさんに金融経済もろもろ鍛えられているので値上げの件について少し。企業も無闇に値上げしたくないはずなんですが、世界経済(各国のインフレ傾向)の影響で値上げせざるを得ない状況に追い込まれてる、という見方が妥当かなと思います。そのうち「うちの台所を守るお金の話!」とかやってみたいですね。(゚∀゚)
あと、それぞれに見合った評価や収入というのは、社会の問題みたいに見えるけど、じつは自分の自己認識のほうが圧倒的に影響力でかい気がしてきた今日このごろです。このへん、私も関心あるので、自分で人体実験して検証してみます!
どうも、お久しぶりです(^^)
まぁ、ゴタゴタは収束されたそうで、それは良かったですが、
続けられるのであれば、
お仕事を引き受けるにあたってビジネス上で普通に行われていること、
見積もり、条件明示、契約
みたいなところの形が要ると思います。
まぁ、人体実験もいいですけど、
いつまでも若くて体力があるわけでもないですから、
あまり無理されませんように(^^)
草開さん、こんにちは!そうなんですよねえ。今までずっと派遣だったので、交渉や契約のノウハウなんか全然知らなかったんですよ。まあ、カモネギ状態だったわけですね。
ただ、これを機に自分がカモネギだった!という自覚が芽生えたので、食えないやつ(毒キノコ?)に変身しようと思いましたね。そのへんについては、次回の投稿に書いてみます😅
え? 「私、ネギを背負ったかもなんですが」という感じで人と関わっていたら、実はネギを背負ったかもしれないと思っていただけだったとか。
あ、もう一つ「かも」がないと、成立しないかもですが。。。
あ、つまり、「ネギを背負ったかもかもしれない」としないと成立しないという意味です。。。
なんかすみません、今日はだじゃれしか出てこない感じで、いかんです。。。
例えば、「心が冷える鍵は「冷えらるキー」」とか。。。
あ、つまり、上下関係などのヒエラルキー的な意識が、愛の冷える原因ではないか、ということです。。。
なんか寒いですよね。。。
(だじゃれのことを「寒い」と表現するのも、もはや死語の世界ですが)
すみません。。。
久々にふうさんのユーモア全開で楽しませていただきました😂
まあ、いろいろ無事に乗り越えたあとで「私、カモネギだったと分かりました…」の話をすると、周囲でハラハラしながら見守ってた人たちが「うん、傍から見ててすごいそんな感じだった」と同意してくれる有様なので、どうやら、かなりでかいネギをしょってノコノコ鍋会場に突進していたみたいです。笑
適正価格というものがあるということなのでしょうね。
僕が昔働いていた小さな電子回路設計製作の会社の社長は、逆に客にふっかけてんじゃねえのというほどの高い見積を出し、そして客さんは、喜んで支払っていたのでした。ある日社長にいわれて、大きな会社の研究所にいって、そこの研究員から仕事の相談をうけ、それはそれはあほな仕事で、これに200000円とかいう見積もりつくってもってって、それで、客さん喜んで発注してました。社長に、これでこんなにもらっていんでしょうか?ときくと、
工藤君 ーーーー ははは。これはね
ボロい 仕事っていうんだよ
あの研究所の人は、それでもこれで助かるんだよ。誰もこまらない。
もらっとくんだよ。
というような感じで、そのボロイ仕事という、ただ箱の中に線を2,3本つないだものを
もってって数十万もらえたわけでした。僕ならあの工作には500円でも惜しいです。
あのボロイ仕事をくれた人は、あの人の中で あれば適正だったのでしょう。
ということで、安売りをしないでも、おれはやっていけるのであるという
自信を実績によって確立していた社長の(しかし腰の低いまた、知的でおだやかな人ももありました)そばにいて、僕はいい経験をさせてもらっていたのだなと思います。
社長はもう会長になってて、そのころ番頭さんだったU松さんて人がいまは社長です。
たまに学会の企業展示で会います。学校よりも、たくさん、あの小さい会社で学んだと思うから、社長は先生であったと今でも思います。
Togoさん、すごい!私も、いまならその社長さんの仰っていた事が分かるような気がします。私の目線だと1万円かな〜?みたいな仕事でも、お客様の属性によっては数十万の価値があると教わりました。なぜそうなるかというと、そういうレベルにいるお客様は、私の仕事によってそれ以上の利益を得られるので、全然ペイできるのだと。
しかし、そういう事はふつう誰も教えてくれません。やっぱりメンターが必要だと痛感します。そう考えると、Togoさんは全員が幸せになる方法を知っている素晴らしい社長さんに出会ったのですね!
tobbeさん
社長(今は会長)は人格者というよりも、まじめに誠実に、それでいて抜け目なく、仕事場は整理整頓し、無駄をなくし、自分があたふたして社員に迷惑をかけるようなことはしない、というふうな人です。それがあの人のスタイルでした。ゆえに、これはまずい、となったときの判断はある意味情け容赦なく、僕は目の前で社長が、この人は使えないという人を首にするのを見ました。そして首にされた若い人が、決してなにか法的なことを持ち出して反撃してくるような力や親類や知恵がなさそうだということを、きちんと把握してやっていたのだと思います。血なまぐさい世界でもあり、本当の世界でもありました。金丸さんという、そのころの政治家が、選挙区の山梨で神とあがめられていたころでした。社長に、
金丸さんて、実は すごい人格者なのでしょうかね 神とあがめられて
と社長にいいました。社長は笑いながら
金もらったんだよ。工藤くん。ほんとにこまったときに、はいこれ、このお金使いたまえ
といって金くれたら、それはほんとにありがたいもんなんだよ。
ここは娑婆だよ。大学や大企業とは違う、そういうとこなのだよ。
と言ったのでした。
それはすごい生々しい話ですね!勉強になります。ビジネスは綺麗事ではない、というのは私も日々感じています。みんなニコニコしてますが、ここは打算と下心の渦巻く世界です。幻想を看過して悟りを目指すような人が来る場所ではないですね。
しかしその一方で、砂漠で乾き苦しむ人に水を差し出すような人も確かにいると知りました。それも、悩み相談みたいな生ぬるいレベルではなく、実用レベルで助けてくれる人です。ビジネスにおいては、それは金であったり情報であったりするのですが、それによって命を救われるという意味では同質ではないかと感じます。
そんなわけで、是非はさておき、金丸さんが神と崇められた理由もなんとなく分かるような気がする今日このごろです。
あー、tobbeさん、それはちょっと違うような気が、個人的にはしました。
Togoさんが言及されている社長さんは、シャバに居ながらにして心はシャバを「突き抜けて」いたからこそ、シャバで生きるとはこういうことだ、ということを、身をもって示されていたのだと思います。
要するに、「戦場を超えたところ」(T-23.IV)を地で行く心境だったのではないか、という感じです。
つまり、tobbeさんもそうした心境へのあこがれや必要性のようなところから、今の状況に導かれているのかもしれないなあ、と感じました。
例えば、「同情するより金をくれ」的な感覚に潜む愛の欠乏感のようなものを実感するとか、ですね。
「お金より気持ちが大事」なんて「きれい事」にとらわれたままだと、その欠乏感は決して見えてきませんから。
とか、ろくにシャバに出たことのないやつがいくら言っても、なんだかなあ、ですが(笑)。
ああ、でも私なりにですが、例えば、いくら私が人間としてちゃんとしていようが何だろうが、ただお金を持っていないというだけで、店では何一つ買うことができないんだよなあ、という「無情さ・無常さ」は、つくづく感じたことはありますが。
あるいは、たとえ人間としては「最悪」でも、ただお金を持っているというだけで、値段がついているものであればどんなものでも手に入るのか、というような。
ただし私の場合は、あくまでも「シミュレーション」つまり「疑似体験」の域でしかありませんが(笑)。
あ、上で書いた「同情するなら金をくれ」的な感覚というのは、私のことです、すみません。
あの社長さんは、シャバを「突き抜けて」いたからこそ、シャバのルールに振り回されるのではなく、ルールを味方につけて「使いこなす」ことができていたんでしょうね。
なので、かもねぎで言えば、ネギを背負ったかも、なのではなく、ネギがかもを「乗りこなす」、みたいな感じなわけです。
ああ、つまりネギとは「禰宜(神官)」でもありますしね。
まあ、これは昔の落語からの拝借ですが。
神の子であるネギとしての自分が、かもである「動物的な生命力」を乗りこなすところに、真の自由がある、というわけです。
まあこれは、トランスパーソナル心理学で、ケン・ウィルバーが「ケンタウルス」の段階として表現しているものなんですけどね。
ただし、同様のことをイエスさんも、トマスによる福音書で述べていますから。
ですから、ネギがかもを背負っている感覚だと、言わば、自分が何か「乗っ取られて」いる感覚になるのかもですね。
あかん、投稿したら、最後のところをミスっているじゃん。
ネギがかもを背負っている、んじゃなくて、かもがネギを背負っている、ですがな。。。
なんかしかし、あまりにも可笑しいので、間違いながら受けて笑っていますが(笑)。
いやいやいやいや、でもある意味、人ってそういう変なプレッシャーを背負っているのかもですね。
つまり、イドが超自我としての力を持ちすぎると、まるでイドのエネルギーが自我の「頭上」にあるかのように感じる、つまり、ネギがかもを背負っているかのような感覚になりますから。
とか、ああ、私はこういう感覚が実は自分の「デフォ」だったということを思い出してきたので、もうあかんですわ。。。
言葉が足りなかったと感じたので付記します。
戦場の上からという「俯瞰する視点」も大切ですが、生きていくためには同時に、「現場の感覚」もまた大切なわけで、多くの霊的な教えで、実際的に生きることが強調されているのは、おそらくここなんだと思います。
なのでまさしく、シャバでもまれるかもの「現場の声」を、ネギである「俯瞰する視点」がキャッチする、みたいな感じなのかもですね。
奇跡講座では、どうもこの「現場の目線」が弱いんですが、これはどうやら、西洋的な意識と日本的な意識との違いによるところが大きいようです。
例えば、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な文章がありますが、日本人なら大抵は、自分もまた汽車に乗って窓から外を眺めている様子が思い浮かぶわけですが、西洋人がこの文章を読むと、列車がトンネルから出て雪国へ入る情景を俯瞰している様子が思い浮かぶんだそうです。
つまり、すっと俯瞰する視点に位置してしまう。
いわば「神の視点」であり、正確には、「神に成り代わった視点」です。
なのでどうしても奇跡講座だけだと、「現場の目線」が弱いんですよね。
ところが、日本人は基本的に、「現場の目線」が主体的なんです。
そしてこここそが、日本人ならではの「強み」のようです。
さすがふうさん!いつも高い視点から見ておられるのですね。たいへん勉強になります。この場に書かれたことの解釈は皆様に委ねていますので、どうぞご自由にお使いください。
ところで、先の話で書くことになると思いますが、最近なにやら変わった流れが見えてきました。そのお陰で、なんとか少額ながらも稼げるようになりつつある気がします。それは実に泥臭いプロセスだったりもするんですけど、そこをあえて綴ってみようと思ってます。