ブログそろそろ潮時かな
8/12。
ところで、JTT本22章はとっくに読み終わっているのですが、なにやら起業関連が忙しくなって、まだ振り返りが終わってません。。。と思ったら、最近JACIMのほうで「ワプニック博士の解説で学ぶ」ということの意味について という通達が出ていることを知りました。
詳しくは本文を読んでいただければと思いますが、いかなる形であれワプニック博士の解説に言及するブログ類をはっきりと牽制する主旨となっており、個人による勝手な解釈や翻訳等の公開を戒めています。さすがに名指しはされていないものの、当ブログが無関係でないことは明らかでした。うーん、こりゃ呑気にJTT本の読書メモとかやってる場合じゃないな。個人的には、定期的に要約することがモチベーション維持に役立ってたので非常に残念ですけど。。。
とはいえ、大変お世話になっているJACIMの加藤先生のご意向は尊重したいと思います。
私の場合は参照ソースの大半が博士本の原著だったりするので、個人的に読書する程度ならともかく、ブログで要約したり感想書いたりはアウトということですね。私自身まだまだ学んでいる最中ですし、だかだか4年目のペーペーの発言など、どれをとっても自己流解釈と言われても仕方ありません。
まさか英語で読むことが仇になるとは思いませんでしたが、いずれにしても多少なりとも関わりのあったJACIMにご迷惑をおかけするわけにはいきませんので、これ以上の博士本の読書メモ公開は自粛いたします。また、これまでJACIMに対するリスペクトを表明してきたにも関わらず、結果的に当ブログがJACIMの方針と相容れなかったことについては、真摯に受け止めております。大変申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
しかし、いままでメインに位置づけてきた博士本を自粛…となると、正直書きたいことってあんまないのでした。もともとACIMの学習メモという位置づけですし、博士本のこれってどういう意味だろう?などと、分からないなりに自分で調べて手探りで進む感じが好きだったのですが、ルール抵触してまでやる事じゃないと思うので。うーん。。。
そんなわけで、このブログもこのへんが潮時かなと思うに至りました。
ACIMタッチアンドゴーの今後の身の振り方については、これから考えることにします。
でもまあ、コース一切関係ない日記とかならアリですかね。
起業サロンでの出会いとか
というわけで、日記です。
ここのところ、室長コンサル方面で次々に起こる出来事に圧倒されてて、脳みそフル回転の毎日です。とはいえ、2年も停滞していた状況を変えるチャンスだと思うので、こういう流れは歓迎しています。
室長が紹介してくれた起業サロンの人々は本当に個性的なひとが多くて、話聞いてるだけでびっくりの連続です。自分ひとりだったら絶対にありえないような繋がりが続々とできて、まるで愉快な学校に転入した気分。で、先日たまたま、メンバー同士で自分のスキルを開示しあおうという試みがあり「えーと、私はアレとコレとソレができます…」と並べていったところ、「それイイですね、ちょっとお話しませんか」とベテラン先輩から声がかかりました。
その先輩を仮にラボさんと呼びます。ラボさんは人的交流を仕掛けるのが趣味だという天然の営業マンタイプでした。初めてオンラインでお会いしたところ、最初は全然話が噛み合わなくて戸惑ったのですが、しばらく話をしているうちに「どうやら自分が仕事を創れない理由は、自分のこだわりに原因があったからだ…」ということがだんだん飲み込めてきました。
そんなラボさんが教えてくれた事が、私にとってはかなり目からウロコだったので、個人的に響いたところをまとめてみます。それは「いったん自分のこだわりは脇において、先に人間関係を築くことに重点を置きませんか?」という提案でした。
例えば私の場合は「他者にあれこれ口出しされずに自分が思った通りの納得のいく制作がしたい。しかも自分の安売りは絶対にイヤだ」という妙なプライドが邪魔をしてフリーランスにもなれずにいました。(派遣時代、あまりにも無茶振りに翻弄されることが多かったので、クライアントに振り回される働き方は二度とゴメンだ…と思いつめてしまった所はあるかも)
するとラボさんが、「そんなふうに自分だけのこだわりを追求しても、それを欲しいという人が現れなかったら売れませんよ」と。うーん、そりゃそうだ。
「それよりも、少額案件でいいから困っている人々を助けてあげるところから始めたらどうですか。その段階で儲けを出す必要はないんです、先に人間関係を築くことが目的だから。」
「でも、そんな安売り大サービスをしたら、また都合よく使われるだけの便利屋になってしまいませんか?」
「あなたを安く使い倒そうとする人々の期待に応えるのは、自己肯定感を下げるだけなので絶対にやっちゃダメです。そうではなく、受けた恩にきちんと報いるという自立心を持った相手を選ぶんです。僕はそういうマッチングが得意なので、そこは心配しなくていい。それに、Web構築のような大掛かりな仕事をする必要は全然なくて、名刺デザインとか、CMSの初歩的な使い方を教えるとか、本当に簡単な手助けでいいんです。」
「うーん、それじゃ儲かりませんよね?」
「それでいいんですよ。そのぶん自分を売り出すための広告費を払ったと思えば。それより、そこから得られるものの大きさに注目したほうがいい。まず、相手との信頼関係が手に入ります。その人が他の顧客を紹介してくれることもある。そして、自分のスキルが売れたという自信、さらに1件の仕事をこなしたという実績も手に入ります。駆け出しの頃はそういう小さな成功経験を積むほうが大事です。」
「けど、そんな簡単な仕事ばっかやっても楽しくないのでは。。。?」
「困っている人を助けて、相手が喜ぶ顔を見るのは楽しくないですか?自分1人だけの楽しさを追求しても、他の人がそれを必要と思わなければ仕事にはなりませんよね。それより、簡単なことでもいいから、誰かの役に立つという楽しさを知ると、世界が変わると思いますよ。」
そ、そうきたか。。。!
楽しみの定義をシフトする
要するに、自分ひとりの孤高でマニアックな楽しみから、広く浅くでもいいから他者に貢献する楽しみにシフトさせたらどうか、という話だったのです。言われてみれば当たり前のようだけど、それが出来なかったのは「自分が本当にやりたいことだけを追求すれば、仕事もお金もあとから自動的についてくる」という一発逆転を信じたかったからだと思います。
確かに、自分の本当にやりたいことがハッキリしてる人は黙っててもそれをやり続けるし、それを無心に追求し続けてたらある時を境に大ブレイク。。。というケースは、ロクザさんの料理人デビューがそうだったし、ハンドメイド界隈でもそういうバズり長者をよく見かけるので、自分にもチャンスはあるんじゃないかと夢想していた所はありました。
けど、私みたいに「自分の本当にやりたいことがハッキリしてない奴」がそれを目指しても、そもそも熱量が伴ってないので、本気で好きでやってる人には敵いません。もしかすると、私みたいなヤリタイコト難民は、ラボさんの言うように、簡単・お手軽なことで他者のニーズを汲む方向性を視野に入れたほうが現実的かもしれない。
そんなラボさんは起業コンサルの厳しい現実も知っているので「いま室長とやってるコンサルで結果出すまでには長い期間がかかりますよね?芽が出るまで何年かかるか分からない。だったら同時進行で、簡単なスキル提供していろんな人達と信頼関係を築くような準備をすすめておいてもいいんじゃないですか?」とのこと。
つまり、室長と一緒に本命の仕事を狙っていく作業と、いろんな人の御用聞きをすることの両方をやってみたら?ということなのでした。確かに、それも一理あるよなあ。
実はラボさんは、ビジネス上の縁結びをするのが趣味で、人と人を繋げて輪を広げるのが無上の喜びなんだそうです。。。しかも、ラボさんはさっそく、困ってる仲間のお助けマンとして私を誰かに紹介する心づもりがあるようでした。
そんなことしてもラボさんには何の経済メリットもないのに、何でわざわざそこまで世話を焼いてくれるんだろう?と不思議でしたが、本人を見ているとじつに楽しそうなのです。ああ、この人は本当に人脈を作るのが好きでやってるんだな。こういう人は、きっと一生、助けてくれる仲間には不自由しないだろうな。。。それってすごい人徳だな。。。
とまあ、こんな感じでサロン内には今まで出会ったことのないタイプの人がたくさんいて、本当に驚きばかりなのでした。そもそも、自分のものの見方を変えていくには、自分とは全くタイプの違う人達と交流するのが一番はやいと思うので、そういう意味でたいへん有り難いです。ご縁をくれた室長に感謝!
おもえば数年前にクロトワ課長のパシリだった頃と比べると、ずいぶんと人的な環境が変わってきたなあと感じます。かつて身近な人といえば「部下に無茶振りして使い倒すマン」だったのが、いまや「新入りでも稼げるように助けてくれる人々」にすっかり入れ替わりました。
なにこの差。。。!
そう思うと、なかなか感慨深いものがある今日このごろです。
※追記:今回、コース絡みの感想も自己流解釈に相当すると判断したのでがっつり省いてみました。しかし、こうなってみるとタイトルにACIMとついてるのが恥ずかしいような。。。今後の進め方についてですが、いちど原点を見つめ直したうえで、もうちょい考えます。
コメント
”先に人間関係を築くことに重点を置きませんか?”
っていうのを読み、僕が今の職場でやってきたことを思いました。
学位も持たず、専門も違うのに、一介のエンジニアとして、何のコネもなく
この研究所に来ました。面倒を見てくれる先達もなく、何をやればいいのかわからず、取り残されていました。
しかし、幾人かの人々が、いっしょになにかしませんかと かかわってくれました。
その仕事は、何かの配線だったり、修理だったり、なにか小さなものの設計だったりしました。
そうして、誰かのやくにたっているということを、積み重ねていくと
いろいろな部署の人から依頼がきました。いつしか、いろいろ設計したものが
だんだん高度になっていき、この研究所の装置の性能をいくらか向上させることに
つながっていきました。仕事をまとめて論文を書き、外国の雑誌に投稿するようになりました。あるとき、国際学会で会った先生(日本人でした)が、僕の開発したものに興味をもってくれました。ほどなく、職場の上司に博士をとりませんか、といわれ、だれか審査してくれる人を紹介したいが、希望はありませんか?といわれました。その国際学会であった先生の名前を言いました。そのKEK(高エネルギー研究所)の先生が審査をしてくれて博士をもらいました。そんなふうにやってきました。僕にはトップダウン的に、あなたは何をしなさい、そしたら評価してあげます、と言ってくれる人はいなかったので、こういうふうにやってきました。組織の中でのことですから、給料は保証されてもいたので、起業とは違って食うにはこまらないという状況ではあったのですが、ただ、こうして自分はなんとかここで生きれたと思っています。
いま研究の最先端で活躍しているTogoさんも、最初のころは小さなお手伝いから始めていたとは。。。!
そうしたことの積み重ねが、大きなキャリアに繋がっていくんですね。簡単な仕事であっても、大切なご縁だと思うとおろそかにはできませんね。ますます見習わなければ。
実はその後、あっという間にラボさんがバンバン仕事(?)をとってきてくれて、すでに3人分のお仕事予約が入ってます。うち2件は無報酬なので、今までの私だったらブーブー言ってたと思うんですけど、人間関係という宝が手に入ると思ったら、がぜんヤル気が湧いてきました!そんな単細胞ですが、頑張ります〜☆
tobbeさんこんにちは。
タイトルをみて「え?tobbeさんブログやめられるの?何があったの?」とビックリしたのですが、内容を理解しました。とても難しい問題です、、、。私自身このブログに出会ったのは「何か答えをください!」的にネットをみていたときで、そしてとても救われたので、きっと聖霊の導き(幻想の中の導きですが)だったんだなと感じています。このブログがワプニック先生や奇跡講座をとてもリスペクトしている雰囲気も好きで、学習サイトを基本にしつつ、この柔らかい雰囲気のブログでも勉強させて頂いていたので、JACIMの通達が残念な気持ちになったのは正直なところです。(これも赦しのレッスンだと思いますが)
ゲイリーさんの著書で、アーテンが「この本は奇跡講座を勉強しない人たちのためにもある」みたいなことを言っていて「(二元の枠組みに落とされかねないのに)門戸が広いな~」なんて思っていましたが、アーテンのその言葉は、ちょっと乱暴な言い方ですが「とにかく赦しに興味を持ってくれるといいんだよ、もし二元の中での奇跡講座で満足できなくなったら、ちゃんとその人は正当な(一元の)奇跡講座へ移行するんだから大丈夫!」みたいな感じでもあるのかもしれないなと思いました。もちろん、二元の枠組みに押し込めようとすることに対して、パーサもアーテンもはっきりと注意していますが、私自身がちょっと不思議な経験をしたことで、先のことを思いました。
聖書がとんでもなく弯曲され世界に広まった時代とは違い、どんなことがあっても弯曲されないものが印刷物として、またワプニック先生によるご著書によって残っていますしね。なのでそういう緩さがあってもいいのではと思う気持ちと、JACIMがワプニック先生の教えを厳格に守りたいと思うのは「そうだよね、、、」と思う気持ちとがあり、複雑です。ただもし、ブログで奇跡講座について書かなくなったとしても、tobbeさんの文章のセンスがすごく好きなので、これからもブログを訪問させてください(^^)
最後に、タイトルにACIMとつけるのが恥ずかしいとおっしゃっておられますが、学習者として試行錯誤されておられる真摯な雰囲気を感じられるこのブログのタイトルを素敵だなと感じています。
タンポポさん、励ましのお言葉ありがとうございます(ToT)
まあ個人的な取り組みがひとつ頓挫したのは残念ではありますが、少なからずお世話になっている加藤先生のご意向に反していたと分かった以上、これ以上続けるべきではないと判断しました。
その一方で、アーテンとパーサの話もすごく分かります。正直、私は奇跡講座に関してはストライクゾーンが広いほうなので、博士本に限らず、ゲイリー本、デイヴィッド本、ジュディの話などが心に響く人も、みな同じ旅路の仲間だと思っています。
誰でも入り口のところでは多かれ少なかれ、二元的なところから興味を持つでしょうし、たとえその解釈がコース的に間違っていたとしても、「その段階でその人に受け入れられる理解」というものを否定したくはない、というのが一個人としての見解です。
しかし、JACIMはワプニック博士の正当な教えを預かっているわけですから、コース的に正しくない見解が流布することに対しては看過できない立場なのだと理解しています。
ならば、私個人の「ユルさ」はJACIMに迷惑をかけるような形で発揮されるべきではなく、今後はもっとパーソナルな場で育んでいったほうがいいかな。。。と思いはじめているところです。
今後については、手探りですがあれこれ試しつつやってみます!
これからも見守っていただければ嬉しいです☆
ワプニック博士の解説を他の人に広めよう、伝えようとするのではなく、自分の学びをシェアするのであれば、全然いいと思うんですけどね。
なので例えば、「これらの解説から私はこういうことを学んだ」ということがメインであればいいような気がします。
そもそも、著作権は、自分の書きたい文章のために引用することまでは禁止していません。
そんなことまで禁止したら、そもそも研究や著作活動自体が不可能になります。
著作権が禁止しているのは、元の文献や引用自体がメインになる場合であり、それは各人の良心にゆだねられているわけです。
なので、自分が書きたい文章の内容を補完したり論証したり、より充実させるために他の文献を引用するのは、全くかまいません。
あくまでも、他の著作者の著作物がメインになってはいけない、ということです。
なので、その辺の判断は難しいところですが、自分の心にやましいところがなければ大丈夫だと思いますよ。
まあ私も以前、著作権に引っかからないかどうかに関してはものすごく調べたことがあるので(^^;
ふうさん、著作権についての詳しいお話ありがとうございます。勉強になったばかりでなく、当ブログが心を砕いてきた点を理解してくださったことを嬉しく思います。おおいに励みになりました。
恥ずかしながら、私なりに、原文の引用や日本語での要約が常識の範囲を逸脱しないようにと、年々改良を重ねてきたつもりではあります。しかし、今回のJACIMの通達はそういうテクニカルな事を問題視しているというよりは、こちらの姿勢を問われているような印象を受けました(あくまで個人的な印象です)。
私自身は学んでる途中の身なので、解釈などにおいて間違いを犯さないという事は有り得ません。しかしそれを無自覚なままにブログに垂れ流す必然性があるか?それよりもっと学びそのものに集中するように、という事を言われているように感じてしまったのですね。
まあ、そんなわけで私個人としては内面的な理由で撤退を決めましたが、他のブロガーさんまでが同じ対応をする必要は全くないと思っています。誰かがブログで発信することによって、他の誰かが癒やされることもあると信じているので。
もし関係するブロガーさん全員がJACIMに忖度して撤退したら、それは単なる言論統制になってしまいます。なので、発信する使命をもった人は、導かれるままに発信を続けて欲しいと願っています。
私もつい先日、JACIMのお知らせを読んで、「うーん」と考えこんでしまっていたところでした。
間違った解釈をしてしまう危険があるというのは分かるのですが、分かち合うという純粋な気持ちでワプニック博士の文献を紹介するのも駄目となると、色んな人がコースに触れる機会も減ってしまうような…。
そもそも聖霊だけが自分の先生な訳ですが、自学自習が基本と言われてもそれこそ間違いまくってしまうので、勉強会やネットで色んな方から教えてもらわなければ、私なんか今頃とっくに迷子です。
tobbeさんのブログで今まで沢山学ばせて貰ってきて、私は感謝しかありません。
長い間学びをシェアしてくださって、ありがとうございました、そしておつかれさまでした!
みやっちさん、そうなんですよね〜。自学自習、ほんとに難しいなと思います。私自身も最初はまったくもって右も左も分からずで、あの頃こそ本当に自学自習だったと思いますが、今以上にトンチンカンな理解をしていたと思います。
たしかに、間違いのない解釈を求めるなら国内最高峰のJACIMフォーラムに参加するのが一番だと思います。しかし、全員がそこに馴染めるかは別問題です。JACIMで失敗したから学習者失格だ、と思いつめてしまう人もいます。私もハンパ者ですから、そういう人の気持ちに寄り添える立場でいたいなーと思ってます。
今後、当ブログでは博士本に関する話題は自粛しますが、どんな学びをしている人であってもリスペクトする、というスタンスは変えません。今まで以上にくだらない日記ブログになるかもですが、行間からなにかを読み取って貰えたら嬉しいです☆
いつも楽しみに拝見していて、tobbeさんの
博士についてのご紹介や記事、翻訳で、
本当にacimの理解を助けて頂いていました。
だから正直に言うと、ショックを受けています 涙
tobbeさんが書いて下さったから、私にも
理解ができて救われていた事が沢山あるのです。 とても難しいですね、、、
願わくば、今後共 どうぞよろしくお願い致します!!
お仕事のお話も、とても楽しみに読ませて頂いています。
すいかさん、こちらこそいつもありがとうございます(^^)
楽しみにしていたと言って頂けると私も本当に嬉しいです!いままで続けてきて良かったと思います。感謝!!
JACIMがうちのブログを有害図書としてマークしているかどうかは知りませんが、いずれにしてもこんなアホまるだしブログを参考にされるのは困るというお立場はすごく理解できます。
正直、私もACIM用語を使って頭悪い文章を書くのはいろいろ問題があるなと思ってはいました。ちょうどよい機会なので、今後はACIM完全スルーでもっと自分らしく、さらに頭悪い方向にいってみたいと思います🤪 (そっちにいくんかいw)
ブログを読んでから、JACIMの『ワプニック博士の解説で学ぶということ』を覗いてみました。
「ワプニック博士の意向に反するし著作権の侵害でもある…」など、なかなか手厳しい内容だなあという印象です。
『奇跡講座』は自学自習の書とは言 いつつ、最初は理解が困難なため、博士の解説がコース読解のガイドラインとなっていったことは間違いないと思います。だからワプニック本の内容を読者が自由に解釈してしまうのは本末転倒で、JACIM的に看過できなという主旨は理解できます。
その一方で、私たちはたとえばゲイリー本などから『奇跡のコース』に入ってきた人もいるわけで、コースの解釈全てがワプニック博士(という権威)に収斂するわけではありません。つまり『奇跡のコース』が自学自習の書である限り、読者それぞれの感想を語る余地はあるし、それは最初から(著者であるイエスにとって)想定済みであると思います。
コースは最初キリスト教文化圏の読者に書かれたものですが、思想的にはキリスト教よりヴェーダンタに近いという考え方もありますね。最近ならヴィパッサナー(マインドフルネス)や慈悲の瞑想(セルフコンパッション)との親和性を感じる人もいるでしょう。
私にとってコースの教えはシンプルなもので、“二元性の悪夢から解放されるためには赦しが必要ですが、自我が独力で行うことは無理なので聖霊を頼りなさい”というもので、他力本願の念仏業に近い印象があります。
それらのどの解釈が正解かと思想史的な議論するのではなく、仏教では法門無量と言いますが、様々な入り口から入り、文献を通して気づきを得たり真我に戻るプロセスの中に聖霊の導きがあると信じています。
今回tobbeさんがJACIMに指摘されたことも、実はリニアな時間軸の中ではすでに定められていたものかも知れません。この経験を赦すことで、tobbeさんのまた新たな道が開かれていくと思っています。
今後のブログを楽しみにしております。
オーシャンさん、ありがとうございます。
たしかに今回のJACIM通達について驚きはしましたが、今ではそのこと自体はノープロブレムだと思ってます。そもそも博士関連の記事は、書くことが個人的に役立つから始めたことですが、それが迷惑だと言われたら私としては続けたいと思えないんですよね。お世話になったJACIMの意向に協力することも大事だと思っていますので。
ですが、オーシャンさんの仰るような多様性もすごく大事だと思っています。私自身、黙ってますけどゲイリー講座とか今でもずっと視聴していますしね。ジュディの話なんか博士とは全然話の持っていき方が違いますけど、私はどちらも学ぶところがあると思います。ものの見方や表現方法が異なるからというだけで人を区別する必要はないかな〜と思うのです。
まあ、私個人としては博士本やACIM話からは撤退しますけど、これって逆に好きなことを書けるチャンスかも!?と思うとむしろ楽しみな今日このごろです。どうなるかな。わくわく。
追伸:誤解あるといけないので念のため…。今回のJACIM通達に該当するブロガー全員が必要以上に自粛すべきとは思ってません。私は直接的にお世話になった加藤先生の意向を汲みたい、というスタンスなだけです。皆さんそれぞれの導きを大切にして発信を続けて欲しいなと思ってます(^^)
ちなみに、ずっと以前ですが、というか以前から、奇跡講座には様々な「流派」がありますが、例えば当時、個人的に批判的に思っていたのはK咲さん(笑)でしたが、こうした現状について当時、イエスさんに心の中で尋ねたら、イメージのイエスさんは大爆笑していました。
言葉にすると、「別にええやん、全然問題なし。逆に、K咲さんのことをなぜ君は赦せないのかな?」という感じでした。
ということで、まあ、今回のことも、イエスさんから見たらどうなのかは、推して知るべし(笑)ですが、今回の通達はもしかすると、赦しを「実体験」する機会を提供してくださったのかもですね(笑)。
なんと、それは興味深いですね。私もさすがに「愛のコース」はちょっと別物かなあとは思ったけど。それはそれで、必要とする人々がいるならOKかと。(^^)
こちらは、JACIM通達から半月くらい経ちましたが、自分でも不思議なくらい落ち着いてまして。むしろこういう流れで結果オーライだったなー、と逆に感謝している位なのでした。
どのみち、一人でもACIM関連の読書は続けていきます。そういう意味で、個人的には変化ナシなんですよね。だから、これはこれでノープロブレムです☆
はい、そもそも、もし書籍としての奇跡講座を実践している人しか救われないとしたら、例えばその人数を全世界で100万人としても、70億人のうち100万人は、7千人に1人です。
ワプニック博士の解説に忠実にのっとって実践している人の人数は、もっと少ないでしょう。
全人類でたったそれだけしか救われないというほど、神の救済計画と、イエスさんが引き受けた贖罪の過程(T-1.III.1:1)が、ケチなものであるはずがないわけです。
頭が悪くなればなるほど、このことがわかるようになりますから、いいですよ(笑)。
別に、こう考えたからイエスさんのイメージが浮かんだのではなく、そのイメージが来たのは、単に私がもともと、「本物のバカ」だったからなのですが(笑)。
とべさんの記事から、JACIMフォーラムにとんで、さきほど告知を読みました。
おお〜、これは、わたしのブログも当て嵌まるかもしれない!
教えてくださってありがとうございます!
ともあれ、とべさんのブログ読むの好きなので、サイト閉鎖にならなそうで安心しました🥰よかったよかった
ももこさーん、大丈夫ですよー!お気になさらず!なんというか、JACIM通達は組織としての一般見解であり、個人ブログに圧力をかける意図はないと思います。むしろ、この件であまりACIMブロガーさん達に萎縮して欲しくないんですよね。それはなんか違うと思うので…。
なのでこれからも、ももこさんらしく、自由に発信されてください!😊