ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180411, 20210409

「小さな意欲」について

4/3。

The “Little Willingness”

今年のはじめに公開されたFACIM記事で The “Little Willingness” というのが個人的にすごく響いたんですけど、3ヶ月後に読み返したら綺麗にど忘れしてました(゚∀゚)。 また忘れちゃう気がするので、備忘録としてメモしておこうと思います。

The “Little Willingness” とは、その名の通り「小さな意欲」のことです。加藤先生の翻訳でいうと「わずかな意欲 (T-Preface)」や「ささやかな意欲 (T-18.IV)」に該当します。日本語だといろんな言い方ありますが、原文はどれも “little willingness” です。
よく見かける言葉ですが、改めて「小さな意欲って何?」と思うと、分かったようでいて分からない…。たとえば「聖霊と共に見たいという意欲 」という表現でも間違ってはいないのだろうけど、「でもそれ説明になってないじゃん」って突っ込まれたら、私ごときはたぶん自爆することでしょう。ちゅどーん。

このFACIM記事はワプニック博士の「小さな意欲」に関する質疑応答の書き起こしです。このなかで博士は万人が理解できる平易な言葉で「小さな意欲」を説明してくれてて、目からウロコでした。なお、元となった4分ほどの録音を聞くこともできますので、興味ある方はFACIMサイトをチェックしてみてください:
https://facim.org/monthly-topics/the-little-willingness/

「小さな意欲」さえあればいい?

まず、若い男性の声でこんな質問が。

質問:すると、この「小さな意欲」っていうのはどこにおさまるんでしょう?コースはその「小さな意欲」さえあればいいって言います。だけどここにいる殆どの学習者は「その “小さな意欲” なら持ってるけど、それで足りたためしがない」って思ってるんじゃないですか?

…と、自分の質問の根拠をやんわりクラスメイトに転嫁する質問者に対して「それはご自分の経験から言ってるわけじゃないんですよね?」と冗談ぽく突っ込む博士。会場が笑いに包まれます。
そしてまず博士が読み上げたのが、テキスト24章の序文でした:

「このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。一つでも隠されて曖昧にしておかれるなら、それはあなたの学びを危うくするだろう。中庸(ニュートラル)な信念というものはない。どの信念にも、あなたが下す決断の一つひとつを指図する力がある… (T-26.in.2:1-6前半)」

博士いわく、この段落の冒頭にある「あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。(T-26.in.2:1)」というのは、私たちが抱いてる価値観を全て手放せとか、大切にしているものを捨てろ、という意味ではないとのこと。それはただ、それらを「疑ってみなさい」と言っているだけなのだと。(文字通りすね)

「…なぜなら、決断とは、あなたが信じている一切に基づいて下される結論だからである。それは信念から生まれる結果であり、必ず信念の後に続く。罪悪の後には必ず苦しみが生じ、無罪性の後には必ず自由が生じるのと同様である。(T-26.in.2:1-6後半)」

これが言ってるのは「あらゆるものは私たちがどこに信(faith)を置くか次第」ということだそうです。つまり、自我の思考体系に信を置くか、聖霊の思考体系に信を置くか、の2択のことですね。

※ちなみに加藤先生は「信(faith)」と「信念(belief)」を区別して訳されており、奇跡講座で「信(faith)」というときは、聖霊/自我を選択する心の力を指しています。なお、上記T-26.inに見られるのは「信念(belief)」のほうで、選んだものを信じることを指しています。(メモ:faithについてはJTT17章p4、beliefについてはJTT18章p38)

気づくこと、裁かずに見ること

上記のことを踏まえて、博士が解説してくれたのは以下のようなことでした。いろいろと表現を変えながら説明してくれていたので、ちょっと箇条書きにしてみます:

①「小さな意欲」というのは、「自分が自我を選択しているということにますます気づいていくこと」を指している。つまり、自分が自我を選択していることについて正当化したり否認したりするのではなく、まず次のように認めること:
「これは明らかに自我への選択からきている。ということは、これは私の真実に対する抵抗から来ているということだ。私は常に愛を選択し続けることを恐れている。私がしているのはそういうことだ」

②「小さな意欲」は、自分がしていることを正当化しようとせず、ありのままに見るということ。(目の前の問題を自分が設定した通りに見ようとするのではなく)。例えば、自分がいつも動揺を感じていたり、怒り、不安、憂鬱、絶望、あらゆる形態の痛みを感じているとき、「これは自分の心の決断から来ている」と気づいていくこと。(外側に原因があるのではなく)。

③また、「小さな意欲」とは、このダイナミクス(力動)が人生において絶え間なく繰り返されている様子を観察すること。その観察を通じて、自分を裁くことなく次のように言うことができれば、それが「小さな意欲」である:
「ああ、明らかに自分は苦痛に魅了されていて、問題に魅了されていて、この自己に魅了されている。そしてそれが私の推進力になっている。そのことが私が今日一日どう感じるかを決定している」
そして、それを “裁かずに見る” という部分が、自我を取り消す。
(自我を見ることが自我の訂正に繋がる理由についてはこちら:一歩退いて自我を見つめる )

。。。と、詳しく言うとそういう事なんだそうです。これ、すごく具体的な説明で分かりやすいけど、あれこれたくさん書いてあって覚えきれないなー。と思っていたら、博士のほうでちゃんと簡潔にまとめてくれていました。

The “Little Willingness” より:
The key thing…I quoted you the line that “Forgiveness is still and quietly does nothing. It merely looks and waits and judges not.” It’s the not judging that is the key to undoing the ego…
鍵となるのは、先に引用した「赦しは、じっと静かにしていて、何もしない… ただ見て、待つのみであり、判断はしない。(W-pII.1.4:1-3)」という文です。この「判断しない(=裁かない)」というのが自我を訂正する鍵なのです。
私は自分が何をしているかを見ています。そしてその時、”原因は外側の何かのせい” とは見なさないのが「小さな意欲」なのです。(中略) …「小さな意欲」はそのことを認識します(自分注:投影されたものを原因とみなしたい欲求に気づく)。ですから、「小さな意欲」を理解するとてもシンプルな方法は、2つのことを言うだけです —
「私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。(W-pI.5)」
「私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる。(W-pI.34)」
それだけです!

感想とか

うーん、「小さな意欲」が「裁かずに見たい」ことと繋がっていたとは。それなら確かに「小さな意欲だけが求められている」という話も頷ける気がします。
しかしこの「(自分を)裁かずに見る」というのは、博士の話に毎回出てくるだけあって大事だと思いながらも、私はしょっちゅう忘れてしまうのでした。それだけ、あれこれ価値判断することに慣れきっているというか。

たとえば「あああ怒りが止まらない!自我を選択してる私は学習者失格だあーー(TДT)」と自分にダメ出し→却って凹む、みたいな事はトベ的には日常茶飯事だったりします。でもよく考えるとそれだって「自我を選択してる私は、学習者失格でダメなやつ」という自己嫌悪を正当化するための設定どおりに見ているだけで、頼まれてもいないのに勝手に白黒つけようとしてるだけなんだよなーと。

博士はそういう余計な裁きをいったん脇において、ただ優しく見るように言ってくれてるように感じます。(なるほど、私自身が怒りを持ち続けることを望んでるんだな、etc…)。そして、進んでそのような見方をしようと思うことが「小さな意欲」なのかもしれません。しかも「小さな」という形容詞がついてる通り、チラッと思い出すところからでも構わないでしょうし、それなら初学者にとっても決して難しいオーダーではないように思います。

その一方で、こんなに簡単なことではあっても、その「小さな意欲」を継続的に思い出し続けるとなると、それなりに長期的な努力が必要になってくるわけで、むしろ大変なのは「小さな意欲」の出現回数を増やしていくことのほうかも知れません。そのために生涯かけた取り組みが必要なんだと言われても驚かないかも。

それにしても、レッスン5とレッスン34が「小さな意欲」を理解する鍵だったとは、目からウロコでした。そんな私はたぶん、あとで何回読んでも目からウロコだと言い続けているに違いありません。。。(。-`ω´-)キリッ

※追記:加藤先生のJTW解説(L34)によると、
・L5:私は自分が考えているような理由で、動揺しているのではない=赦しの第1ステップ
・L34:私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる=赦しの第2ステップ
…にほぼ相当する、とのことです。だから博士はこの2つが重要だと言ってたのか〜!

出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)

コメント

  1. 小さな意欲と、レッスン5.34が繋がっていたとは、まったく思いいたりませんでした。特にレッスン5、私にはわからないと白旗をあげることが、赦しのスタート地点であること。改めて実践してみて、強く感じました。

    • いやー正直、レッスン5とレッスン34が「小さな意欲」の鍵だと言われて「えっ?」てなってました。学習者としては「聖霊と共に見る意欲…」とか言われたほうが、分かったような気分にはなれるんですけどね😅。でも、どんな人にも確実に伝わる誤解のない言葉まで落とし込むと、やっぱり博士が言ったようになるのかなと。
      コースで必要な小さな意欲とは、「私がムカつく原因はパパリンが○○したからだ!」…からの、「私がムカついてる原因はパパリンではなく、自分が隠蔽したい罪悪感をパパリンに投影して責任転嫁したいからだ。あほらしい、もうやめたい」…へのシフトなんでしょうね。チラッと思い出すのでさえ大変ですが!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.