ゲイリー達のオンライン講座 (48)
9/20。
こちらは日本時間で8/28配信になったThe Decision for Guiltlessness, from ACIM Ch.14, Section III (Part2)の想い出メモです。
この回をやる少し前に、ゲイリーとシンディは休暇でイエローストーン国立公園に旅行に行ってきたそうです。シンディは現地の自然の美しさに大喜びだった様子で、嬉しそうに感想を話してくれてました。じつは私もイエローストーンは訪れたことがあるので、話を聞きながら色々思い出して心躍らせていた1人です(^^)
「今年のように(コロナによる)狂気がまかり通ってるようなときに大自然と触れあうのは良いアイデアだ。人々と接触するのがダメなら、自然と接触すればいいのさ。笑」とゲイリーが冗談を言ってましたが、確かにそのほうがリラックスできそうですね。
講座の本編
今回の本編からは、聖書の「汝の敵を愛せよ」という超有名な言葉に関するトリビアがちょっとビックリ。ゲイリーの話によるとJの言葉ではないとのこと。でも、その理由を聞いて納得です:
[ゲイリー]
(0:22) 「汝の敵を愛せよ(Love your enemies.)」と言ったのはJではなく、洗礼者ヨハネだ。(キリスト教徒の)みんなはJの言葉だと言ってるけどね。そもそもJは、敵がいるという考えすら思い浮かばなかったし、いかなる人であっても敵だなどとは思わなかった。
(0:23) Jはいつでも人々のことを神の完璧な創造とみていた。純粋でない考えは持たなかったんだ。もちろん人々の自我があらわになる事はあるだろうが、僕らの仕事はそれを赦すことだ。生涯をかけてそれを練習していけば、ゆっくりだが確実に自我を訂正していくことになる。
あともうひとつ、今回のテーマに沿った内容で「幸せな夢」についての話も興味深かったです。
[ゲイリー]
(1:02) Jはその生の最後のほうで世界に優しく扱われたわけではないが、そんな事はどうでもよかった。なぜなら罪のない心は苦しむことがないからだ。彼らに何をされようと構わない、肉体的な苦痛だけでなく精神的な苦痛もまったく感じないのだから。それが幸せな夢だ。
(1:03) その段階まで到達すると、そこは境界のようなもので、君は神へ帰還する準備ができる。その幸せな夢では、君は自分が悟っていると知っている。君はそのことを誰にも言わずに黙っているだろうけど、悟りに達したことを知っている。それが旅の終わりだ。(巷の教師には申し訳ないが、本当に悟っているなら、他人にわざわざそのことを吹聴する必要があるだろうか。それがビジネスのためでないならね)。
(1:04) A&Pは「幸せな夢」の状態について、身体がとても軽く感じられ、まるで肉体が夢のなかの存在のように思えるような、苦痛のない、美しい体験だと言ってた。もう世界を変えようとは思わない。なぜなら世界はないと知ってるから。
(1:05)「世界はない」というのはコースの中心的な教えだ。通常、人々は最初はその考えを歓迎しない。だから70年代にコースを読んだ多くのニューエイジの人々は「世界はないってどういうことだ?あるに決まってるじゃないか!」となった。彼らは世界を美しい所だと思いたかった。だが二元性の世界はそうではない。美しいものもあるが、醜いものもあるし、あらゆるものが屑と化す。世界はそのように作られているからだ。
だから、物事がうまく言ってる時はそれを楽しんだらいい。だが、どんなに順風満帆であろうとも、肉体は永遠に持ちはしない。病気で死ぬことだってあるだろう(その時が来れば)。だが病気であっても何の苦痛も感じないことも可能なんだ。
Q&A
前回から持ち越した質問も含めて10個くらいのQ&Aがありました。その中で、トマス福音書(不死というあなたの現実p235-248)の一つについて説明があったのでピックアップしてみます:
Q8:トマス福音書の#95で「金をもっているなら、利子をとって貸してはいけない。それよりも返済しない人に与えなさい。」と言われてることについて説明お願いします。
(1:53) ゲイリー:Jはユダヤ人にしては商売が下手だったんだ、というのは冗談(笑)。トマス福音書#95で言ってるのは、お金に執着するなということだ。それは(聖書の)次の話とよく似ている。ある裕福な男がJについて行きたいと言った時、Jが「もちろんだ、素晴らしい!では、あなたの持ち物を全て売り払って貧しい人に与えたら、わたしについてきなさい」と答えた。だがその男は財産を諦めることができず、貧しい者に分け与えることができなかった。この時Jが「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったんだ。(マタイによる福音書 19章23節)
(1:54) 問題はお金ではなく、お金が人に何をするかだ。お金は中毒のようなものだ。そしてお金を実在させ、偽りの偶像にしてしまう。お金が邪悪なわけではない。お金は良いことにも使える。愛をもって使うこともできる。だが、お金を人生の目的にしてしまうこともできる。
Jはお金など必要としていなかった。だから、あなただって要らないだろう、と言うだろうね。これは「言うは易し行うは難し」をJが実際に行っていたことの一例だ。Jのように「聖霊が面倒をみてくれることを信頼しているのでお金は必要ない」というのはとても進歩した状態だ。
(1:55) シンディ:コースは自分の所有物を捨て去るようにとは言ってません。この世では普通でいる事(be normal)が必要です。文字通りあらゆる人にお金をばらまいて、自分が無一文になることが善ということにはなりません。そうではなく「神のみが唯一の供給源である」という認識を持つことです。
(1:56) その認識があれば、外的に何が起こっていようと恐れることはありません。あなたが欠乏を信じていない限りは。「見返り」というのは自我の道具です。自我の観点から誰かに見返りを求めるなら、それは欠乏から来ています。
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。。。と、今回はこんな感じで。
ゲイリーが「幸せな夢」について話していたとき、本当はもうちょっとくだけた言い方をしてたのですが、巷で「自分は悟りを開いた」と公言しているような教師には惑わされないように、というメッセージを感じます。(そんな露骨な教師いるんだろうか…と思ったけど、アメリカにはいそうですね…)
ワプニック博士を見れば分かるように、本当に悟っている人はそのことをおくびにも出さないようですし、晩年のビル・セットフォードだって「私は自由だ!完全に自由だ!(I am free, I am totally free!)」と歓喜していたというジュディの証言を除けば、誰もそのことを知る由もありません。悟りを開くということは、自我が存在しない状態になるということなので、少しでも自分を特別視するような考えは湧いてこないのでしょう。
そういう背景を考え合わせると、自分が悟りに達したという設定で金品を集めるような行為は、たしかに矛盾するように思えます(オウム真理教みたいな?)。もしそういう行為を見かけたら、ゲイリーが言うように「それは何が目的なのか?」という疑問をはさむ余地がありそう。。。
コメント
ゲイリーさんのは正当派からするとあかんのかもしれんけど、私にはわかりやすいような気がします。
私も同感です(^^)。ゲイリーは趣味として気楽に楽しみたいものです。むしろ正統性の観点から異端を排斥する危うさはキリスト教会が辿った分裂の道と重なるものを感じます。
なんてことだ。それ実はまったくおなじことおもってます。さいきん。とても強く。
仏教×博士、ゲイリー×博士、違いは必ずあります。そこに差異を見るのではなく共通点を見たいという姿勢は、分裂ではなく融和を求める在り方を象徴するように思うのです。(´∀`)