ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200918(x3)

FACIM読書会 9月 JTT Ch.13 (その2)

(つづき)

JTT本13章の続きです。

いつもだけど、たまさんと女子会のときはよく身近な話題で盛り上がってます。今回だと「最近コンペにハマってて…ちょっとコレ見て見て〜(゚∀゚)」みたいな、どこからどう見ても霊性のかけらもないフツーの茶会です。

毎度、これのどこがJTT読書会なんじゃ〜!という感じだけど、そこは互いに同じ長期プロジェクトに取り組んでいるという信頼みたいなものがあって、その言葉にならない部分こそが大切にすべきものなのかな、と思ったりもします。。。

というわけで、13章中盤のまとめはこんな感じ:

Guilt: The Core of the Ego’s Thought System p131-
 
No.12481/p131  We may exclaim: “Sure, the body is an illusion, but what does that…
・私たちはこう叫ぶかもしれない:「肉体が幻想とは結構なことだ。だがそれが私とどう関係あるというのか?”私達ははるか昔に終わった世界に居る”というイエスの言葉は聞こえはいいが、そんなことは私の個人的な人生とは関係ない」と。
・だが、その言葉は私たちの人生と無関係ではない。むしろ、それこそが私たちの人生に関係する唯一の言葉であり、私たちに(自我の特別性に基づいた)個人的な人生などないことを示している。

No.12520/p132  This is an important clarification of the process of forgiveness…
(T-13.III.1:1)「自分の憎しみを見てその全容を認識することが、なぜこれほど重要なのか、あなたは不思議に思うかもしれない。あなたはまた、あなた自身が憎しみを自覚しなくても、聖霊がそれをあなたに見せて消し去ることは、十分に容易なはずだと考えるかもしれない」より:
・これは、学習者にしばしば誤解される赦しのプロセスを明確化した重要なもの。聖霊は、私たちの自我に杖を振って消し去る魔法使いではない。そうではなく、聖霊は私たちの幻想を彼らのもとに持ってくるように言っている — 聖霊の目を通してそれを見るように、と。
・聖霊と共にみることで、自我に対抗する選択ができる。罪悪感と憎しみにしがみついて「真実を否定し続ける」という対価をこれ以上払いたいとは思わなくなるから。
・イエスは私たちの「憎悪への決断」を見るように言っている。そうすることが自我を溶解させ、我が家に帰還する方法だから。

No.12543/p133  The extraordinary statement “Your real terror is of redemption” is…
・「あなたの真の恐怖は、救いに対する恐怖である(T-13.III.1:11)」 — このとんでもない声明が、コースの真髄。私たちがなぜこうしているのか、なぜ私たちがコースに対してこんなに問題を抱えているかの説明でもある。
・それはまた世界の狂気の深さも説明する。私たちは神の愛の全一性を恐れている:それが実在するなら、私たちは「存在しない夢の中の幻影に過ぎない」ことになるから。
・この夢の目的は、私たちが決断の主体としての認識を取り戻させないこと。「私がこれを選んだのだ。だからこそ私は自分の間違いを訂正することができる — 罪なき教師を選ぶことによって」と私たちに言わせないようにするために。
・もしそこに罪がなければ、世界は決して起こるはずがなかった。であれば、私たちは心の罪悪感に戻り、それを見つめ、その非実在性(nothingness)を認識する必要がある。この穏やかで裁くことのない眼差しこそが、私たちを自我の地獄から救う。

No.12606/p135  We are not really frightened by the terrible things that happen to…
・じつは私達は、肉体が脅かされることやこの世で起こる惨事によって怯えているのではない。それらの悲劇は、私たちの(分離した)存在の信念を強化し「無垢なる顔(T-31.V.2:6)」のイメージを保持してくれるものだから(=私たちはこれらの悲劇を必要とさえしている)。
・私たちのこの二面的な側面が、分離への信念を持ちつつ、それに対する責任を放棄することを可能にしている:私たちが世界を作ったわけではない、私たちは世界の被害者である、と。
・そのせいで、私たちは自我を超えた愛を受け入れることを恐れている。つまり私たちが(愛によってすでに一掃された夢の中にいるだけであって)一度も存在したことなど無かった、ということを。

No.12613/p135  This is obviously true for us because we are here, or at least think…
(T-13.III.5:1)「あなたは狂気なら自分で作り出したので受け入れることができるが、愛は自分で作り出さなかったので受け入れることができない」より:
・これは明らかに私たちにとって真実である。なぜなら私たちはこの世に居ると思っているから。
・私たちは外側の何者によっても隷属させられてはいないのだが、唯一「自我を主人にする」という心の決断によってそうさせている。それによって私たちは人生を自分のコントロール下に置き、存在論における権威問題を蒸し返す。
・だが私たちが「選び直す」まえに、「隷属/懲罰/死といった自我の思考体系にしがみつくことによって “救いによる解放を避けたい”」 という私たちの秘密の願望を見つめる必要がある。

Guilt: The Making of the World p136 (No.12633)

No.12804/p140  In case we missed it before, we are again told that we “see what is…
(T-13.V.6:2)「あなたはそこに存在しないものを見ており、音をたてないものを聞いている。あなたの感情の顕現は、本来の感情とは逆のものになっている」より:
・ここでもう一度、私たちは「存在しないものを見て」いて、「音をたてないものを聞いて」いると言われている。さらに、私たちは「幸せ」だとか「愛し愛されている」などと思っているが、実際には罪悪感と恐れしか感じていない。
・肉体は自我の嘘によって作られたので、肉体が考え、感じ、行うあらゆることは嘘であり、真理からミスリードするように設計されている。

Atonement – II p142 (No.12854)

No.12884/p143  This is the crux of the ego’s plan of atonement: we make guilt real…
・これが自我の贖罪の計画の核心:私たちは罪悪を実在させ、それを不可避にした後、他者を攻撃することによって罪悪から逃れようとする。だが真の逃亡は不可能である — 自我は、罪悪が私たちの内にあるだけでなく、私たち自身が罪悪そのものだと教えるから。
・投影によって罪悪を無かったことにしようという試みは全く問題の解決にならない。なぜなら私たちは「他者に対する攻撃は正当化されず、罪悪感を強化して延々と保持することになる」と心のどこかで知っているから。
・罪悪からは仮定的な逃れ方しか出来ない。いわば、私たちは自己嫌悪から逃れようとして自分の罪を他者に押し付け、それによって彼らを憎悪するのだ。だが、絶え間ない罪-攻撃サイクルによって、延々と罪悪感が再生産され続けることになる。

*****

救済を恐れる心理的メカニズム

ここで博士の言いたい事は理屈では分かる気がするんですけど「私たちが本当に恐れているのは救済である」という話は、何度聞いても「あーそうですか」って感じで心に残らずスルーしがちでした。。。

そんななか、No.12606あたりは救済を恐れる心理的メカニズムがたいへんわかりやすく解説されていて、それなりにインパクトがあったと思います。じつは私たちは、この世の悲劇や惨事をイヤだイヤだと言いながらも、一方では「自分に罪はない」と思いたいがゆえに、実際にはそういった理不尽をメチャクチャ必要としている、みたいな。

たとえば自分病気とか親の病気なんかもすごい嫌な出来事だけど、実は無意識の奥底で何が何でも「罪のない被害者」のフリをしたがっている部分があって、その目的を満足させるためには病気を出現させて苦しむことをむしろ望んでいるのかと思うと、あまりの狂気に複雑な気分になります。

その壮大な責任放棄プロジェクトの無意味さに気づいて、早く天国に還っておいでよ!と囁いてくれているのが聖霊で、それを鉄壁の意志で無視し続けているのがワタクシ様というわけですね。。。なぜなら、私という分離の概念を失いたくないから。

正直、トベという自己概念を失うとか想像できないし、それが救済だ自由だと言われてもピンと来ないです。それほど聞きたくない言葉だから、何回言われても心に残らずスルーしちゃうんでしょうね。これはもう確信犯的な手口かも…

というわけで、次回は13章 (その3)に続きます。

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