ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200608, 20200628

ゲイリー達のオンライン講座 (42)

6/11。

日本時間で5/29に配信されたオンライン講座 The Laws of Healing, from ACIM Chapter 26, Section VII のPart2を視聴したのでメモ。今回はシンディの話が多いかも(^^)

講座の本編

今回の講座ではゲイリーが夢分析についていろいろ話してくれたのですが、それは一つ前で紹介した通りです。その他にもシンディからタイタニック号に関する話で、非常事態における対処についてシェアがあったので少し要約してみます:

[シンディ]
(0:42) 昨晩、ゲイリーと映画タイタニックを観ることにしました(もう20回目くらいと思うけど笑)。そして最後のシーンで、テネシー州にあるタイタニック博物館に行った事を思い出したんです。とても興味深いところで、そこには沈没事故の当時と同じ温度の水に触れることが出来るという展示がありました。それは耐え難いほど冷たくて、数秒で指に痛みを感じるほどでした(事故当時の海水温度は-2℃)。

(0:45) その時思ったんです。そのような耐え難い痛みを体験をしている時に「罪のない心は苦しまない」なんて言ってられない!と。もちろん他の理由で肉体に痛みを感じている時も同じです。タイタニックほど極端なプロセスを辿ることは稀だと思うけど、私たちはどんな過程(process)を経ていようとも、そこで痛みを感じているその瞬間に(知覚の)シフトを求められているわけではありません。まずそこですべきことは、その過程が何であろうと、とにかくくぐり抜けることです。時には生き延びるために何でもしなければならない事もあるでしょう。

(0:46) 私たちは後になってからそのことを振り返って、自分自身の分離の想念を赦すことができます。極端な状況に陥っているその瞬間にやらねばならないという訳ではありません。その瞬間は当たり前のこととして生き延びることを優先したらいいのです。そのことを指摘しておきたかった。私たちの人生はたまにサバイバルモードに陥る事がありますが、その状況下で当然の事を行う自分をジャッジしないこと。痛みは、自我を教師にしているという事ではあるけれど、どのみちいつかは真実が思い出されることになるのだから、その瞬間に無理をしなくてもいいのです。

Q&A

今回のQ&Aは8つほどと少なめ。この頃はちょうど全米で黒人差別に対する抗議運動が活発化した時期でした。きっかけはアメリカで黒人男性が警察官に首を押さえつけられて死亡する様子が動画で流れたことです(Wikipedia解説)。なお、この事件を巡っては日本でもNHKが不適切な解説アニメを放送して内外から批判を浴びるなど世界的に波紋が広がりました。この件に関する質問があったので紹介します:

Q2. 昨日、私は警察官が男性を押さえつけているニュースを見ました。私は自分が怒っていることに気づき、その数分後に気分が悪くなって、このことは「赦せなさ」に由来していると気づきました。そして赦しの3ステップを行なうと、すぐに気分が良くなりました。そこで質問です。私がスクリーンで見たのは、私たち全員から来る集合的な憎悪なのですか?

(1:30) ゲイリー:そうだ、君の言う通り憎しみは集合的なものだ。ぼくらはひとつのものであり、そのひとつの自我が無数分かれて見えている。もちろん人々は、被害者を膝で押さえて殺した警察官に罪を負わせようとするだろう。あいつが “悪い奴” だと。

さて、ここからが難しいところだ。学習者にとって最も理解が難しいのは「外の世界に見える罪悪や憎しみというのは、実は僕ら自身のなかに持っているものであり、それをスクリーンに投影しているのだ」ということ。だから君が見ている “悪い奴” というのは、じつは自分自身の罪悪だ。コースは言っている: 「(W-pI.161.8:2) なぜなら、彼が見ているのは自分自身の恐れであり、それが自分の外側にあって、攻撃の構えをとり、再び自分とひとつになろうとして叫んでいる様だからである」

(1:31) だが、誰もそんな事は聞きたくない。でも、それが投影の目的なんだ。そうしたことから自由になるには、それらのイメージを赦すしかない。だが、それは簡単ではない。もし簡単だったら、みんなやってるはずだしね。どのみち、ほとんどの人は赦しのことなんか知らないだろう。だが大事なポイントは「君は赦しを知っているし、それを使うことができる」ということだ。それこそが、自分が密かに信じている罪悪や憎しみから自由になる方法だ。

(1:33) シンディ:その事についてもうひとつ。この夢のレベルでは行動に結果が伴います。たとえば人を傷つけたら、それなりの結果が続くように。ですが、コース的な心のレベルでの見解では、黒人男性を殺した警察官は「愛を求めていた」ということになります。もちろん、あの警察官をそのように見るのはやさしいことではないでしょう。自我は、彼こそが有罪だと言いたいので。

(1:34) 確かにこの世界のレベルでは、あの警察官の行為については然るべき結果が伴うに違いありません。ですが、私たちの心のレベルにおいては、他者になされた不正義というのは「ひとつに戻りたい」という助けを求める叫びである事を、覚えておきたいものです。あの警察官の行いが私たちの動揺の源だと思わないこと。私たちが助けになれるとしたら、彼もまた全一であり完璧だと見ることです、他の誰とも同じように。

彼だって、自我を選んだ私たちと同じように夢を見ていただけ。その時の彼は、正しい心の状態にはなく、狂気を生きていたかもしれませんが、彼が真実においてそうだというわけではありません。この夢の世界では結果として様々な事が起こるでしょうが(抗議活動とか)、少なくとも私たちはこうした事を覚えていることで心に平安を持つことができます。私はあの警察官をそのように見ることにしました。

(1:35) ゲイリー:こういう状況のとき、飲み込まれるのがどれほど簡単か覚えておくといい。自我はとても巧妙だ。男性が死ぬまで膝で押さえつけてた警察官だけではなく、その近くにいた警察官達の無関心な表情などを見ると、つい反応して批判したくなる。だからこそ、僕らは常に警戒していなければならないんだ。

*****

こんな風に、ホットな時事問題について逐一コース目線で聞けるのがオンライン講座のありがたみだと思います。私もこの事件を知った時は「けしからん」と思ってしまってたので、ゲイリーが言う通り、まさに反応して批判してました。。。

こうしたひどい話全体が、自分の心の底(あるいは集合的無意識)の罪悪感を温存するために用いられている、という視点はなかなか常に思い出せなかったりするので、定期的に教えてくれるゲイリーに感謝です。あとシンディの言う通り、批判されている警察官についても「愛を求めている」と捉えることは、本当に忘れがちだなー、と。

ちなみに「愛を求める呼びかけとは」という過去記事でワプニック博士がわかりやすく説明していたのを思い出し、久々に読み返すきっかけにもなりました。(書いたくせに忘れてたw)

他にも2000年前のトマスの話とかもあって面白かったのですが、最近なぜかニートのくせにやたらと忙しくなってきたので、この辺で!(^^;)

出典:奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社) / Gary & Cindy Renard Online Classes (講座)

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