ゲイリー達のオンライン講座 (40)
5/19。
4月分のThe Judgment of the Holy Spirit, from ACIM Chapter 12, Section I のPart 2です。これは日本時間で4/29に配信されたやつなんですが、5月前半にWeb制作で忙しくしてたらだいぶ遅れちゃいました。 ま、そんなこともあるさ。。。(いつもだけど)
講座の本編
Q&Aのほうが個人的に興味深かったので、今回は講座の本編はスキップします。というか最近は主にシンディが本編の時間を使って「前回分のQ&Aの残り」をやるようになってきたので、本編の時間そのものがちょっと短くなってきてる気がします。でも、どんな質問にもちゃんと回答して貰えるのは、視聴者にとっては有難いことですね。
Q&A
そんな感じで、今までよりQ&A時間が増えてきてまして。。。今回分の質問は7つと少なめですが、前回からのQ&Aも6つ回答があったので、合計すると13件くらい?その中からMyセレクションを3ついってみたいと思います。
Q1. ゲイリーは前回、自我の訂正が済んでいないまま聖霊/Jをチャネルしようとする人は、自我と聖霊のメッセージが混ざったものを受け取るだろうと言ってましたよね。ですがヘレンはJからコースを受け取った時に悟っていませんでした。ということは、コースに書かれているJのメッセージには(ヘレンの)自我の想念が混ざっていると考えるべきですか?
(1:17) ゲイリー:奇遇だね、今日たまたまランチの時にチャネラーの話をしてたんだ。通常のチャネラーは霊と自我が混ざったメッセージを受け取るし、むしろほとんどの場合そっちの方が普通だと言える。だが、ヘレンの場合に限っては、それは当てはまらないと思う。確かにヘレンは悟ってなかったし自我も訂正されていなかった。だが僕はヘレンが史上で最も素晴らしいチャネラーの一人だったと思っている。その理由は、ヘレンが過去生でJと協働したことがあるからだ。僕はイエス&ブッダ本(4冊目)でJの様々な過去生に触れた。そのときA&Pはヘレンの事については触れなかったが、次の本(5冊目)では言及があるかも知れない。僕自身は、Jがヘレンと共に何かを成した事があって、だからこそヘレンをチャネラーに選んだのだと思っている。
(1:19) ヘレンは自分の意識を脇に退けるのがうまかった。例えばジョージ・アンダーソンという有名なチャネラーがいるけど、彼はラクガキをして意識を占有させることによって、無意識がよりクリアに通るようにする。ヘレンの場合は、Jの言葉を独自の速記で書き取っていく行為に意識を占有させ、フィルターなしで無意識が通るようにした。
(1:20) 僕はコースのメッセージを一字一句よく見てきたけど、そこに自我は見当たらない。というか、むしろコースは自我にとっては「死」を意味する。コースにあるのは、聖霊が自我を訂正する事だけだ。そういう意味でヘレンは(チャネラーとしては)例外的に優れていたと思う。(中略) ヘレンは聞いていたのは純粋な聖霊でありJだった。コースが他のチャネリング本と違うのはそういう所なんだ。
Q3. 以前の質問で「私たちが言ったり行なったりすることは、全て事前に運命づけられているのですか?」という問いに対して、ゲイリーが「その通りだ」と答えてました。全てが事前に決定されているならば、なぜ私たちが聖霊に導きを求めることに意義があるのですか?
(1:26) ゲイリー:良い質問だね。君が自発的に聖霊を選ばなければ、自我の台本が延々と続く。その時空には異なる次元があり、異なる結果がある。自我の台本は設定済みで、君のやることなすこと全てが決定されている。
だが、それとは別に聖霊の台本というのがあるんだ。聖霊の台本というのは、世界で起こることについてのものではなく、それに対する別の見方、別の解釈のことだ。聖霊は、自我の台本を別の見方で見る。
(1:28) 自我は、時空という茶番全体が実在するかのように見せたがる(そうすれば自我は安泰だからね)。だが、聖霊はそれが実在しないと教える。君がその見方を採用したなら、君はより平安を感じるだろう。平安なんて大したことないと思うかも知れないが、これはすごく重要だ。なぜなら平安な心がなければ天国へは戻れないからだ。
(1:29) 君が赦しを実践し続けて、自我の台本を聖霊と共に見るようになると(つまり聖霊の台本を採用すると)、君の時空が変更されることが可能になる。テキストに「(奇跡は)常時、時間の全次元で作動している(T-1.25)」と書いてある通り、そこには異なる次元がある事が分かるだろう。(中略) ただし、その時空というのは君が選ぶのではなく、聖霊が決定する。なぜなら聖霊は全てを見通しているからだ。
(1:30) 君が自我と共にいるなら、たしかに台本はすべて決定されていると言えるだろう。だが聖霊を選べば自我の台本を乗り越えることが可能だ。それは違う体験に導かれるというだけでなく、違う時空にも導かれる。そうすれば、違う結果にだってなり得るんだ。
Q5. 十字架刑のあと、使徒たちがユダに対してどう感じていたのか教えて貰えませんか。ユダの裏切りのように見える行為について、使徒たちはどのような赦しのプロセスを辿ったのでしょうか?
(1:50) ユダか。あの馬鹿野郎をとっちめてやろうと思ったが出来なかったんだ、というのは冗談。(ユダが金と引き換えにローマ兵にJの居場所を教えたとき) ユダはJがローマ人に対して自己防衛するだろうと思っていたんだ。
ちなみに聖書にあるサンヘドリンの裁判(=ユダヤ人長老会の裁判でイエスを死刑に出来なかったので死刑執行権をもつローマに引き渡したという話)とかいうのは実際には行われていない。そもそもユダヤ人は、ローマ人がユダヤ人(J)を迫害することの肩をもつようなことはしない。当たり前さ、だってローマ人が嫌いなんだから。だからサンヘドリンの裁判というのは作り話だ。Jを十字架にかけたのはローマ人だ。
(1:51) さて、ユダは、Jのすごい超能力をもって自己防衛すれば、十字架刑なんかならないだろうと思っていた。ただし、ユダが知らなかったのは、Jが十字架刑にされるがままになるということだった。それは、Jが傷つき得ない事(痛みも感じず、殺されることもないという事)を皆に教えるためだったのだが。
ユダは罪悪感のあまり首をつって自殺した。だから使徒たちはユダに対して腹を立て続けることはできなかった。何しろユダが自殺したのは十字架刑の翌日だったからね。
(1:52) 確かに、僕ら使徒たちはユダに対して非常に腹を立てていた。裏切られたと感じていた。だが同時に、Jはコースの「十字架刑のメッセージ(T-6.1)」でJが裏切られることなどできないと言ってる。ユダに対し「汝は接吻をもって人の子を裏切るのか(聖書)」と言ったはずはない、と書いてある。「ユダは、私の兄弟であり、私自身と同じように一なる子の一部をなす神の子であった(T-6.I.15:8)」とね。
だからタダイ、トマス、フィリポ、アンドレといったJを理解していた弟子たちはユダを赦したのだが、ペテロ、ヤコブ(Jの兄弟)といった使徒たちはユダを赦さなかった。なぜなら彼らは(Jの)話をちゃんと聞いてなくて、赦し方を知らなかったからだ。
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まいどゲイリーの2000年前ネタに反応しているトベです (好きなんすよ)。
今回のQ&Aの終盤で出てきたユダの裏切りの話は有名ですが、その後のサンヘドリンの裁判とかいう話はマイナーだったので、ちょっと聖書を見返してみました。
このあたりのエピソードは聖書では「ピラトによる裁判」ヨハネによる福音書18:28~38に載っています。ここを読むと、新約聖書がだいぶローマ人を擁護するような記述になっている事が分かります。。。つまり、支配者側のローマ人であるピラトが「イエスに罪はない」と擁護したのに対し、Jの同胞であるユダヤ人達がJの死刑を望んだというストーリーになっているのです。
だけど、当時のローマ人とユダヤ人の支配関係を思えば、ゲイリーの話のほうが筋が通っているように思われます。だとすると、聖書はちょっとローマ人を美化しすぎなんじゃないでしょうか。この箇所も、後世のローマ・カトリック教会の成立の歴史で内容が歪められた箇所のひとつなのかも知れません。
今となっては真相は謎ですが、聖書の話は史実とするにはちょっと無理があるよなぁ、と思うようになってきた今日このごろです。
出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / イエスとブッダが共に生きた生涯 (ナチュラルスピリット) / Gary & Cindy Renard Online Classes (講座)
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