ジュディのWeb講座(1):②ヘレンのインタビュー
(つづき)。
ジュディのWeb講座の中盤に、貴重なヘレンの音声インタビューが公開されていました。古い音源だったのであまりクリアじゃなかったけど、ヘレンの声を聴くのはこれが初めてだったのでちょっと感動でした。
2020年3月のジュディのWeb講座↓
Let’s Discuss ACIM: My Life with the Voice
https://youtu.be/sPZwsr-IBiE
ヘレンのインタビュー内容
このインタビューでは主に、ヘレンがどのように「声」を聴き取って筆記しているのか、というやりとりがなされていて興味深かったです。以下に大まかにまとめます。インタビュアーはJames Bolenという男性です。
“Helen Schucman describes The “Voice” which revealed to her A Course in Miracles”
※Web講座の(0:25)〜(0:38)あたり↓
James:ACIMを語った声ですが、それは外からの声ですか?内なる声ですか?
Helen:私はそれを声と呼んでいるけど、私(の耳)には何も聞こえてません。誰かに自動書記なのかと聞かれたけどそれも違います。私は自発的に書き取りを行いました。それは説明のできない聞こえ方をするのです。耳で聞こえるものではありません。聞こえる、というのは良い表現ではないかもしれない。私はただ「それ」を認識するような感じ。「それ」は急激にやってくるので、ついて行けないときは「繰り返して貰えませんか」と言ったりもします。
James:それを心の中でやっているのですか?
Helen:これは完全にメンタルな話です。さもなくば完全な幻覚症状と結論するしかありません。
James:それは私たちが独り言をつぶやくようなものですか?
Helen:それが私の声であるはずがありません。なぜならそれは、私にとって全く不慣れな分野についての話をするものですから。
James:言語化についてはどうですか?言葉になっているのですか?
Helen:言語化はありません。このプロセスは◯◯に似ているなどといった形で説明することが出来ないのです。そういった分野の前例を知りません。
James:心の中で明確に言葉が聞こえているのに音はしないと?
Helen:私はそれが言葉だと知っています。「聞く」というより「知る」という方がふさわしいでしょうか。私は意識の上で、始まったセンテンスがいつ終わるかを知りません。いわば言語的ハンディキャップ状態に置かれるのです。私たちは通常、センテンスを言う時はそれがどのように終わるかを知っているものです。しかし「それ」は簡単に、淀みなく、急激にやってきます。聞く、というのは正しい言葉ではないかも。私はいつでも中断することができるし、いつでも再開することができます。電話を取る合間にも続けられるのです。どうもこの質問に答えられる気がしませんね。
James:何らかのメカニズムが働いていたということですね。あなたは何かを聞き、翻訳して速記した。
Helen:私はグループセッションで速記をしていたので、速記には慣れています。それは単にスピードの問題です。通常の書き取りではとてもついていけないから。「それ」はとても急激に来るので速記は必須だったのです。
James:自動書記についてはどうですか?書いてる本人には制御できないという?
Helen:それはないです。私はいつでも筆記をやめることができました。しかも私は非常にしばしば中断が入る状態でした。自分がどこにいて何をやっているかといった認識を失ったことはありません。「自然に解離している」と言われるのは褒め言葉と思わないけど。自分でもついていけないし、まだ当惑しています。私はいまだに状況に馴染めないでいますが、ようやく慣れてきたところです。そして正しいことをしたという感覚はあります。これは不思議なことだと思います。私はこれまで、自分のやりたいことを自分の決断でやってきました。ですが、なぜかこれ(筆記)を「やるべきではない」という考えは一度も起こらなかったのです。 私はあらゆる手段で「それ」から距離を置こうとしました。腹立たしいのは、その内容が私が信じる全ての事に対立するということです。ですが、これをやることは、自分が信じていることよりもはるかに重要だという感覚がありました。私は書き取ったものの内容的な一貫性には満足しています。一貫性は私にとって必須だからです。(そういう意味で)非常に良く書かれています。でも、これを読むと苦痛を感じて、困惑します。
James:あなたは編集もしましたね?
Helen:私は編集もしました。ですがその作業がオリジナルで書かれた内容に干渉することはありませんでした。私がしっくり来ないからといって言葉を変更したりすると、後でやってきた言葉と整合性がとれなくなったりする事を学びました。だから一貫性を損なうようなことはやらないようになったのです。変更した言葉は全て元の言葉に戻しました。
James:あなたはその言葉を覚えていたのですか?それとも、その都度尋ねたのですか?
Helen:私はただそこに間違い(goof-off)があるというのを感じるのです。そんな時は黒板を思い浮かべると、正しい文章がそこに現れます。私も黒板で見せてくださいと頼みます。
James:頼むとそれが見えるのですか?
Helen:そう、分からなくなった時には。そのことを言うのを忘れてたわね。黒板の字は見て読むことができるのです。
James:ということは非常にビジュアルなものが心にあったと?
Helen:通常はそうではありません。黒板は、私が分からなくなってしまった時に見るものです。
James:これを中断したいと思った時はいつでもやめられたのですか?
Helem:もちろん!
James:ということはあなたの選択だったわけですね?
Helen:まったくその通りです。ただ、私が筆記をやらずにいると、なんというか小突かれるような感覚があるのです。いちど3週間やらずにいた事があるけど、大変なことになりました。私にはいつこれが終わるのか分からなかったし、どこで止めるべきかも知りませんでした。コースの「テキスト編」が先に来ました。(中略) ビル達に 「これには続編のワークブックがあるかも知れない」と言いました。それと「教師のマニュアル」と。そのようにまとまるべきだと感じました。
James:これでもう終わりだと思いますか?
Helen:そう思います。やりたくはありませんが、やらねばならない事があるとすれば。。。 私がもともと果たすべき役割にはサイキックな事は含まれていなかったと強く感じます。でも特定の状況において、それが他者の役に立つということであれば(サイキックな手助けを)するかも知れません。例えば、質問に対する返事などは書けると思います。そうした事に注力したいとは思いませんが、もし誰かがトラブルに陥っていたら力になりたいです。
James:いまでも声が聞こえ続けるのですか?
Helen:いいえ。でもどうすべきかを聞くことはできます。私たち3人(ヘレン / ビル / ケン)で一緒に聞くと、通常は同じ答えを受け取ります。そうでない時は、誰かが外れていると感じてやり直します。コースについては私たちはそうすべきだし、誰でもそのようにして答えを得ることができるのです。時々、驚くべき答えのときもあります。私たちが間違えやすいのは、何が重要で何が重要でないかを自分で判断して、特定の内容を質問から省いてしまうことです。私たちがそれを判断するべきではありません。私にできたことが他の人にも出来ないとは思いません。その人がそう望むのであれば。あるいはこの方向に行きたいと感じるのであれば。
James:ということは今でも聞こえるのですね。
Helen:尋ねればいつでも聞くことができます。
James:つまり現時点でそれは、尋ねるかどうか?の問題だということですね。
Helen:今ではどちらかというと、個人的なガイダンスになってきています。たとえば私達がここ(インタビュー)に来るべきかどうかといった事などです。特定の時期にジュディが現れてくれましたが、それも私たちが求めたことによります。なぜなら、このコースについては注意深くありたかったからです。私はとてもケアレスで何でも失くしてしまうのですが、(中略)このコースについては何もなくすことはありませんでした。不思議とそうなったのです。これは素晴らしいことでした。
インタビュアー:James Bolen , copyright 1976, Produced by Foundation for Inner Peace
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。。。というわけで、ヘレンのインタビュー内容はこんな感じでした。
この後さらに、ジュディは4人の人間模様についていくつか話してくれました。ヘレン、ビル、ケン、ジュディの4人(+周辺の数人)は確かに聖霊に導かれていたけれど、関係上はそれなりに色々あったようです。時にはケン(博士)との意見の相違がもとで試練を迎えたことも何度かあったと聞いてびっくりでした。
次回、そんなエピソードを一部ピックアップして最後にしたいと思います。
(つづく)
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