ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200111(x2)

不可能を描いた天才画家 (後編)

(つづき)

前回、アキアナがわずか8歳で名作”Prince of Peace“を描きあげたところからの続きです。のちに世界中に知れ渡った最も有名な絵となりましたが、実はとんでもない災難に遭っています。。。

オリジナルの動画はこちら↓
”Painting The Impossible” by Akiane Kramarik

盗難により失われるも、オプラ出演
(14:10) 私たちは展覧会のため”Prince of Peace”のオリジナルの肖像画を美術商に送りました。(この頃、母親がアキアナの絵を世に送り出すため、積極的に画商などに売り込んでいたようです) しかし、ある美術商がその絵を盗むことに決めてしまい、イエスは予期せず捕虜となってしまいました。その肖像画は後に二束三文で売られ、その後私は2度とオリジナルの”Prince of Peace”を見ることは叶わなかったのです。私に残されたのは写真と複製だけでした。

私の家族の以外で誰も私の絵のことを気にかける人などいませんでした。私の絵なんか全部燃やしてしまえと言った人さえいました。悪意のある懐疑論者や評論家の反応が何ヶ月も続いたあと、私がその肖像画と離れ離れになった話がメディアにまで伝わることになったのでした。

9歳のとき、私がオプラ・ウィンフリーの番組に招待されると、一瞬で私の世界は変わりました。何百ものテレビやラジオのインタビューや、美術展に登場したお陰で、10歳のとき、私の最初の画集がベストセラーになったほどでした。私が絵に込めたメッセージは世界中の何万人もの人々に届き、チャリティーの資金になりました。
それから何年もかけて、私はイエスの人生における異なる時期を描いていきました(少年期など)。 だけど私のお気に入りの肖像画を失った悲しみは決して和らぐことはなかったのです。

その後の12年、神は私を途方もない旅に連れ出してくれて、私は世界中を巡りました。各地で本物の人生のストーリーを描くために。
私たちがオーストラリアに住んでいて、4人目の兄弟が生まれてまもないころ、予期しない形で”Prince of Peace” の居場所を知ることになりました。その絵は何重にも包まれ、人目につかない所に隠され、過去12年間ずっと金庫にしまわれていたのです。そして絵の持ち主は、その絵を公開したり誰かに売ったりすることを望んでいませんでした。

(後日談によると、絵を買った人物がすぐ亡くなってしまい、アートに無関心な相続人が金庫にしまいっぱなしにしてたようです。2019年にアキアナが奇跡的に”Prince of Peace”と再会できた詳細はこちら

22歳で “Jesus” を描くまで
(16:47) 私が22歳でシカゴのそばの田舎に住んでいたとき、世界屈指のコイン製造会社の創業者が私に会うためにやってきました。“Prince of Peace”の肖像を金のコインに鋳造するというコラボの提案でした。
それは気の進まない任務でしたが、私は合意しました。複雑な造幣プロセスの準備のなかで、私は8歳のころ描いた肖像のアウトラインを求められました。新しいスケッチで主線を描く作業をやるにつれて、私はますます苛立ってきました。なぜなら、コイン鋳造に必要なスケッチはとてもシンプルでなければならなかったからです。奇妙なことに、私が鉛筆で主線を際立たせるほど、さらなるディテール(顔の詳細)が立ち現れてくるのでした。そして見れば見るほど、居心地の悪い気分になりました。

私はなぜ、これほどのディテールが見えてくるのだろうと不思議に思いました。そして、なぜ私に新しいメッセージが聴こえ続けるのかも不思議でした。だから私は、次に何をすればよいのか祈ることにしたのです。そしてそれは、予期せぬ答えによって吹き飛ぶことになりました。
あらゆる不信にもかかわらず、私はキャンバスを取り出し、自分のヴィジョン(霊視)を描き始めたのです。私はそれが途方もない挑戦になるということを知ってました。なぜならそのとき私に見えていた全ては、顔の半分だけだったからです。いつになったら顔の全体が明かされるのか、そしてどれほどのディテールが私に記憶に残るのか、私には知る術もありませんでした。
クリスマスイブの朝、肖像画が完全に破壊されるという悪夢で目が覚め、アトリエに戻って気づきました。顔の陰になっている部分に正気がなかったのです。まるで妖しいベールが、私がそれ以上描き進めないようにと、顔の半分を覆っているような感じでした。どれほどそのベールを取り除こうとして描き足しても、とにかく私には無理でした。

何週間も過ぎていきましたが、肖像の陰になってる部分には依然として生気がないままでした。私は絶望的な気分で、食べることも眠ることも出来ず、1ヶ月だれとも口をきかなかったほどです。肖像画を完成させようとするあらゆる努力は無駄でした。私はこの絵に全てを捧げていましたが、それでも十分ではありませんでした。私は「不可能」なものを描こうとしていたのです。
私は希望を失い、神聖な任務を放棄しようとしていました。しかし何千時間もの容赦ない闘いのあと、ある朝、奇跡的なことが起こったのです。本当に僅かな一瞬、私は顔の全体像をヴィジョン(霊視)によって見ることができたのでした!
私は再び時計が回るほど作業に取り掛かり、ついに、絵にかかっていたベールが消えました。そして、肖像画に命が宿りました。

いままで何年もの間、神は私が成長するのを待っていてくれました。私が人々にとって最も力強いメッセージを理解して描けるようになるまでに。それは「揺るぎない信念、無条件の愛、そして永遠の命」というメッセージだったのです。

(これがゲイリー絶賛の名画”Jesus“完成の経緯です。制作過程の映像を見ると、完成までにかなりの日数が費やされたことが伺えます)

20190624, 20200115
出典:https://akiane.com/


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。。。という感じの内容でした。とにかく生まれた時から波乱万丈で、学校にも通わず、神秘体験しまくりで、フツーじゃない育ち方をしたことは確かです。ただ、貧乏だったり金持ちだったりと激しい浮き沈みがある中で、決して変わらなかったのが家族(特に母親)の愛と信頼だったのでしょう。

彼女の天才的な才能は、この世界にあっては非常に脆いもので、細心の注意を払って育まれる必要があったのだと思います。学校に通った途端に絵が描けなくなってしまうなど、いかなるノイズであっても影響を受けてしまうほど繊細だったのかも知れません。彼女の家族ほどの応援と理解がなければ、これほどピュアな感性を育み続けるのは不可能だったんじゃないでしょうか。。。

そんなわけでアキアナちゃん、ひそかに応援しております。
その才能に、あやかりたーい!(^^)

出典: ”Painting The Impossible” by Akiane Kramarik (YouTube)

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