ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20191120(x2)

FACIM読書会 11月 JTT Ch.4 (その2)

11/9(つづき)。

Chapter4 “The Illusions of the Ego” の後半です。

私たちは特に決まりごとも制限時間もなく、かな〜り適当にやってる集まりですが、まいど進捗のシェアはきっちりやってます。シェア中であっても何かを思いついたらその場で自由に発言してて、私たちはこれを「脱線」と呼んでますが、実は脱線内容のほうがなかなか深かったという事もしょっちゅうです。笑

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

★Chapter 4 The Illusions of the Ego (p112〜)

No.3940/p112 This, too, is a crucial motif in our symphony. The recognition…
・私たちが「自我の苦痛 or 聖霊の平安」という選択肢に気づけるのは、自我を離れて決断の主体に戻ったとき。しかし「自我から逃れなくては」と信じている限り、私たちは自我の現実性を強化してしまう。この事はほとんどの宗教やスピリチュアル運動で「自我が問題である」とする形で見過ごされている。
・私たちは既に、自我を選択する「心の決断」が問題なのであって自我自体が問題なのではない、と学んできた。幻想に過ぎないものが問題となることはあり得ないのだから、自我を克服したり制御したりする必要はない。ただ見つめて選びなおすだけのこと。

No.4131/p117 By clear implication the “you” is the decision maker, our…
・ここで「あなた」と言っているのは決断の主体のこと。もし私たちが自我であったなら絶望的。コースの目的は①私たちに心があること、②心には決断の力があることを教えること。この力を取り戻すため、世界と肉体を超える方法へと兄であるイエスが導いてくれる。
・もし真にイエスと繋がりたいのであれば、まず私たちの兄弟たちと繋がらなければならない。

No.4166/p119 Yet if we continue to harbor attack thoughts and seek to…
・もし心の中に攻撃の考えを抱いたりそのことを正当化しようとするなら、心の罪悪感は残りつづける→苦しみが避けられなくなる。イエスは、”私たちの利益を一致させること”と”喜び”とを結びつけることを教えている。

No.4192/p119 While other spiritualities may also teach the inherent…
・他のスピリチュアルな教えでも、神の創造物に内在するワンネスについて教えている。しかしACIMの比類なさは、私たちが誰か一人でも除外するかぎり、決して神の愛に戻ることはできないという事を強調していること。

No.4215/p120 This fear is the ultimate source of our resistance to true…
・学びへの抵抗の究極の源は変化への恐れ。私たちはこの抵抗の激しさを決して過小評価してはならない。それは特に他者を価値判断(judging)することに現れやすい。なぜなら価値判断とは自我の最大の防衛であり、私たちを分離と攻撃の想念に強固にしがみつかせるものだから。

No.4242/p121 We teach either what we believe to be the truth of the ego…
・私たちは自我の真実(分離、特別性、どちらか1つだけ)を教えるか、聖霊の贖罪の原理(神からの分離は起こらなかった)を教えるかのどちらか。
・救済は「共同事業」である。あなたと私は一なる神の子であり、分離してはいない。あなたは私の敵でも救済者でもなく、赦しを通じて共に自由となるためのパートナーなのだ。

No.4248/p121 We need first to be aware there is a mind; and if that is what…
・私たちはまず心であるという事に注意を払うべき。心である事を学びたいなら、そのように教えることになる。しかし他者を糾弾する時はいつでも、肉体しかない(=心がない)と教えている。怒ったり批判したりする時は、他者の邪悪な肉体が私の無実な肉体にひどい事をしたと言ってるのと同じ。そうして自身の存在意義を他者の罪の上に成り立たせてしまう。
・イエスのコースを教えるというのは手本を示すということ。説教したり本を記したりして教えるという意味ではなく、実践を通じて教えるということ。

No.4266/p121 We are, again, not asked to teach this course on the level…
・私たちはコースを形態のレベルで教えるように言われているのではない。世界平和のために素晴らしい行いをせよと言われているのでもない。私たちの肉体はこの世界でいろんな事を行うだろうが、何をするにしても、私たちの心の静かな平安の中から行われること。
・イエスが求めているのは単に、私たちが自我ではないと示すこと。分離していて、有罪で、怒っていて、恐れて、不安で、憂鬱で、病んで、死ぬような個人ではないと。つまり「自我ではない」ということは、神の平安に満たされていて、それ以外ではあり得ない状態。私たちはこの平安の状態で生き、それを延長するよう求められている。その平安は、全ての人々を、いかなる時も、例外なしに包含すると知っていること。

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Chapter4からは以上になります。

そのうち気が向いたら読書会の脱線エピソードでも紹介してみようかな。。。(^^)

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