ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20191026, 20191108

ゲイリー達のオンライン講座(28)

10/28。

日本時間で10/25に配信されたオンライン講座、The Alternative to Projection, from ACIM Ch.6, Section IIの第二弾です。前回は調子いまいちで時々席を外してたゲイリーですが、今回は最後まで元気に話してくれてました。よかった。

講座の本編

シンディの話もふくめ興味深い内容はいろいろありましたが、前半と後半のゲイリーの言葉で繋がる所があったので、そこだけ要約してみます:

[ゲイリー]
(0:15) 僕は80年代に仕事がらみで非常にブラックな環境にいたことがある。そこで特定の人物から虐待的な扱いを受けた。言葉の暴力、精神的な暴力、そして物理的な暴力まであった。とにかく非常に有害な関係性だったんだ。当時の僕はもちろん、そういう虐待をするほうが悪い奴で、自分は被害者だと思っていた。

(0:16) しかしその10年後にコースを始めたら「あなたが見ているのものは、あなた自身の罪悪であり、それがあなたの外側にあるように見える」という事が書いてあった。もちろん、僕がすぐにこれを理解できたって訳じゃない。これはなかなか把握が難しい概念だからね。だがコースが言ってるのは、たとえ虐待的な扱いを受けているように見える時でも、あなたが実際に見ているのは「虐待者という実在の人物」ではなく、「あなた自身の罪悪感が外側にあるように見えている状態」ということだ。そしてその罪悪感が雄叫びをあげながら、生みの親のもとに再び戻ろうとしている、というわけだ(W-pI.161.8:2)。これはなかなか写実的な描写だね。

(0:17) 自我というのは大したやり手で、非常に狡猾にあなたを陥れる。それはあなたが外側に見るものが本当にリアルだと思わせる。しかし、そこにコースがやってきて「それは違う。救済の秘密とは、あなたが自分で自分に対しこれを行っているということだ」と言う(T-27.VIII.10)。これは実に理解しがたい内容だ。しかしJや仏陀が(人々と)違ったのは、彼らは目に見える形態に惑わされなかったということだ。

(0:46) 僕が過去に体験した虐待について。なるほど、それは僕の罪悪感が僕に向かって吠えていたということだ。それは分かった。しかしだからって自分を守ってはいけないという事ではない。他者に踏みつけにされる必要はない。誰かが殴りかかってきたら、腕をかざして防御して構わないんだ。まあ、Jならそんな事せずに反対の頬を差し出しただろうけど、彼は苦痛を感じなかったのだから例外だ。僕らはまだ反対の頬を差し出す準備が出来ていない(殴られて痛みを感じるならね)。だから、そこに至るまでの間は自分をちゃんとケアしていこう。

(0:47) ワークブックで「自分を防衛するなら、私は攻撃される(L132)」など、防衛しない事についていろいろ書かれてるけど、常に覚えておいて欲しいのは、これらのレッスンで言ってることはすべて心のレベルの話であって、物理的な世界の話ではない、ということだ。攻撃は心のレベルで起こったのだから、心のレベルで防衛しない、という事だ。コースは心の訓練のためのものであって、物理的な訓練ではない。

(0:48) もし誰かが狂った行いをしていたら、それを見過ごし、赦して、その人を神の完璧な創造とみる。なぜそんな見方をしたいと思うかって?なぜなら、それが唯一、自分自身をそのように見る方法だからだ。

Q&A

今回は12の質問への回答がありました。中には2000年前の使徒たちの話があったりして個人的に興味深かったのですが、最近そんな話ばかりピックアップしてる気がするので、ちょっと違う質問をひとつ選んでみます。

Q5: 私にもどういう訳かヘレンやゲイリーと同じ霊的な能力があって、それを磨いていこうと思っています。自分が意図しない時に霊視を見たり、睡眠前後や仕事中や運転中に声が聞こえたりするのです。私はそれで自分の意志を聖霊に委ねている事が分かります。さらに自分を浄化したいのでアドバイスをお願いします。

ゲイリー:そういう才能があるならば、それを聖霊に捧げて聖霊に主導して貰うことを忘れないように。ほとんどの人は、霊的な才能があるとそれを個人的な才能だと思ってしまう。自分はサイキックだ、チャネラーだ、偉大な教師だ、というふうに。だがそれは違うんだ。霊的な才能というのはあなた個人に与えられたものではない。霊的な才能(gift)とは、あなたが聖霊に捧げる贈り物(gift)のことだ。あなたの特別な才能が何であれ、それを聖霊に捧げ「聖霊よ、どうかこの能力を聖霊の目的のためにお使いください。自分のためではなく、全ての人々の善きことのために。」と言うことだ。そうすれば聖霊は全員にとって最善のことに導いてくれる。

ちなみに全員にとって最善ということは、当然その中に自分自身も含まれるので、あなたが取り残される心配はない(笑)。そうする事による違いは、その”全員にとっての最善”が、自分で思い描いた最善とは異なるかも知れない、ということだ。

僕がオススメしたいのは「ヒア アフター」という映画だ。マット・デイモンが霊能力者を演じている。彼は女性と普通の関係が築けない。相手のことが(心に隠していることまで)全て分かってしまうから、相手が動揺して逃げてしまうんだ。しかし、彼はやがてみんなが自然と善きことに導かれるような能力の使い方に目覚めていく。これを観るといい。あなたの才能を聖霊の目的に使って貰うようにすれば、良いことがおこる。何でも自分一人でやろうとしないで、必ず聖霊の導きを求めるようにしよう。

*****

上記のQ5はたまたま霊的能力についての話でしたが、これは何もスピリチュアル系の特殊能力に限った話ではないかも。。。と思いました。編み物が上手だとか、暗算が得意だとか、速く走れるとか、人をまとめるのが上手いとか、世の中いろんな才能がありますが、そのどれをとっても聖霊の目的に使って貰うことは可能なのでしょう。

各人に備わっている才能が聖霊によって具体的にどう活かされるかは、人智で推し量ることはできないかも知れません。でも大切なのは「その力の使い道について聖霊に主導して貰いたい」という意欲のほうだという事ですね。といいつつ、トベこそなんでも自分でやりたがる派なので、気をつけないとな。。。

出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社) / Gary & Cindy Renard Online Classes (講座)

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