ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20190823, 20190921

ゲイリー達のオンライン講座 (23)

8/16。

日本時間で8/13に配信された分 A Whole Month of Q&A with Gary and Cindy Renard についてメモします。今月はみっちりQ&Aのみ!というアナウンス通り、2時間ぶっ通しで合計23の質問への回答がありました。

こっちも元を取ろうと思って要点を書き殴っていくわけですが、面白いQ&Aが続いたせいで鉛筆を持つ指が痛かったであります。選ぶのに迷いましたが、エイヤで4つをピックアップしてみました:

Q&A

Q7. 私は両親による虐待のある家庭で育ちました。このことは、形態のレベルにおいて「別の人生で私が彼らを不当に扱い、今生で彼らが親となって私を虐待する」というカルマ的な因果応報の見方で合ってますか?

シンディ:虐待はいろんな形をとります(親や兄弟や他の誰かからの言葉の暴力、物理的な暴力、性的虐待など)。このような虐待のある家庭に生まれた場合、「自分は罰を受けている」などと考えるべきではありません。確かに原因と結果の法則はあるけれども、そこに罰というものはないのです。自分で自分を罰しなければならないと考えるのは自我の教えです。役割を交代して演じるような自然なカルマのサイクルがあるとはいえ、その台本はすでに書きあげられており、私たちはそれを心理的に振り返っているだけです。そして今あなたは、その虐待というパターンから解放され自由になる機会が与えられています。(中略) 誰かに不当に扱われたと思っていたことも、彼らが愛と和解を求めて叫んでいたのだと見ることができるのです。

ゲイリー:幻想の中ではカルマは確かに存在する。あなたは別の人生で彼らを不当に扱い、今生では不当に扱われる側なのだろう。この世はそういうものだ。A&Pはこれを「”偽りの” 原因と結果(pseudo cause and effect)」と呼んでいる。こうした誤った解決策は、誰かがどこかで赦さない限り延々と問題が続いていく。たから、あなたのような人が立ち上がってこう言うべきなんだ:「オーケー、自分にはこれこれの事が起こっているように見えるが本当は起こってはいない。これは夢なんだ。そして自分はこれを赦す。それは、私が昔彼らを不当に扱ったからでもなく、彼らが私を虐待するからでもない。私が赦す理由は、そのどれも真実ではないからだ。そして私はこのことを真実と置き換えることにする」と。ただ赦しだけが、カルマに終止符を打つことができるんだ。

Q9. ナショナル・ジオグラフィックはフランス南部で見つかったマグダラのマリアとされる遺骨をもとに顔の復元(CG)を行いました。それは美しい女性で、ゲイリーがTV番組で言ってた通り、突き出た高い鼻を持っています。科学者達はマリアの顔の再現に成功したと思いますか? (トベ注:ナショジオに掲載されたこの記事を指しているようです→Is This the Face of Mary Magdalene?)

ゲイリー:驚いた、その話を聞いたのは初めてだ。僕もあとでその記事を見てみるよ。マリアは美しかったよ。そして他の多くのユダヤ人女性と同じように高い鼻を持っていた。ただ、ナショナル・ジオグラフィックは以前、Jの顔の復元を行ったがそれはあまり似てなかったな。以前話した女の子が描いたJの絵が一番似ている。
マリアについてひとつ言えるのは、彼女は歳をとらなかったことだ。彼女は50代になったが(当時の50代と言えば高齢だ)、20代後半にしか見えなかった。彼女にはストレスも緊張もなかったので、老ける要因がなかったのだろう。とにかく彼女は美しかった。(中略) Jとマリアは美男美女のカップルだったのさ。

マグダラのマリア復元CG (出典:ナショナル・ジオグラフィック)

Q10. 私は83歳です。ゲイリー達の本を読んで完全に意味が分かったお陰で、長い人生が大きく変わったことに感謝しています。地元の学習グループに参加したいと考えていますが、コースを曲解している集まりには行きたくありません。事前にどう見分ければ良いですか?

ゲイリー:あなたはその質問に自分で答えているね。完全に意味が分かったひとは、すでに十分な知識を持っている。学習会で人々がコースについて話している内容を聞けば見分けがつくだろう。例えば聖書を読めば、どの部分が聖霊の言葉で、どれが自我の言葉が見分けがつくはずだ。あなたが自分自身の司牧者となるんだ。誰かに教えてもらう必要はない。あなたならできる。

シンディ:私も、あなたなら出来ると思います。純粋に非二元的なメッセージを手がかりに聖霊の声を聞き分ける良い練習にもなるはずです。学習グループに参加する事自体には是も非もありません。ただ友達をつくるためにグループに参加する人だっています。もし彼らが正しくないと感じて不愉快であれば、その共鳴を見つめて手放すこともできます。コース自体は自学自習のものなのでグループに参加する必要はないけど、もちろん参加しても構わないのです。そこで出会う人々と何があっても赦しの機会になるのですから。

ゲイリー:学習グループとは教会に行くようなもので、社会的な機構だと思っている。行けば友達に会えて、自分の居場所があるような。コースの会に行けば少なくともコースの話ができる人と会えるので、孤立せずに済むはずだ。日常生活でコースの話ができる人に会うことは難しいからね。ただ、そこで会う人が意見がコース通りであることを期待してはいけない。グループで他の人が言ってることが正しくなくても、僕らの講座やワプニック博士の本などで正しく独習することは可能だし、それと同時に学習仲間と仲良くする事は出来るだろう。

Q23. 執着を持たずに思いやりをもつにはどうしたらよいですか?(一般的な思いやりは)それを深刻にとらえてリアルにしてしまい、真の愛を差し控えてしまう落とし穴がある気がします。

ゲイリー:良い質問だね。コースは「真の共感 (T-16.I)」を教えている。あなたが相手の身体に共感するのではなく、相手が本当は何者であるかという部分に共感するということ — つまり身体を見過ごすことが真の共感だ。その時はじめて、肉体としての相手に執着しない真の思いやりを持つことができる。

僕が言いたいのは、特別な関係を持つべきではないとか、誰かの身体に執着を持ってはいけないということではない。そうではなく、あなたの中には「よりよく知っている部分がある(=聖霊)」ということだ。あなたのその部分は、相手が本当は何者なのかを覚えている。その部分から執着のない思いやりが生まれる。

ただしそれは、悲劇のときに何も感じないでいろという意味ではない。あなたはどこかの時点で、悲劇に見舞われている人々について、身体としてではなく、被害者としてでもなく、永遠に傷つき得ない者として見るだろう。彼らは永遠に神とひとつであり、私たちはいつか全員そこに行くのだと。誰かを失うなんてことは出来ないんだ。誰かを失ったように感じるのは、僕らが身体のレベルで考えることに慣れすぎているせいだ。あなたは心の中で「私たちは肉体ではなく、自由であり、神が創造した通りの存在だ」と思い出すことができる。(以下略)

*****

そういうわけで、これはQ&Aのほんの一部なんですけど、相変わらず全部ひっくるめて興味深かったです。さて本来は、過去に答えきれなかった質問をレビューするという趣旨だったと思うのですが、蓋を開けてみたら「ここで質問しなきゃ損!」とばかりに質問が殺到したせいで、今回分でさえ多くの未回答が残ったほどでした。(世界中どこに行っても人が考えることは同じだな…笑)

今月はQ&Aの月なので、次回も引き続きQ&Aのみとなる予定ですが、それでも追いつかないと悟ったのでしょう。「今後は、半年に一度はQ&Aのみの月を設けることにしよう」という話になったので、2人とも定期的に質問攻めにされるのが確定となりました。ちょっと楽しみでもあり、ノート取るの大変そうだな〜とも思ったり。。。(^^;)

出典:Gary & Cindy Renard Online Classes (講座) / Is This the Face of Mary Magdalene? (National Geographic)

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