FACIM読書会 6月 JTT Prelude, Ch.1
6/30。
手探り状態でスタートしたFACIM読書会ですが、このたび初めて各自で読んできた箇所をシェアする事ができました。これ、もし私が一人でやったら絶対に挫折間違いなしのボリュームなので、一緒に読んでくれる仲間がいるだけで気持ち的にだいぶ励みになってます。途中で投げ出さずにちゃんと継続できますように!ドキドキ…。(>_<)
教材は Journey through the Text of A Course in Miracles (JTT)、もちろん初めたばっかなんで現在地はVol.1です。この本はテキストを1章ずつ解説しているのですが、第1章の前に Prelude (前奏曲)という章があります。コース全体を「交響曲(Symphony)」になぞらえた博士ならではのセンスですね。
というわけで Prelude と Ch.1 から気に入った箇所を抜き出してみます:
(Kindle変換後のNo.と紙本のページを併記)
★Prelude
No.116/p2 God is spoken of A Course in Miracles in multitudinous…
・梯子の一番下においては、神は人格をもった父親像とされるが、梯子を登るにつれ、神は我々のことなど全く知らないと分かってくる。
・ACIMの二元的な表現は梯子の最下層のもの。梯子の上段ではより抽象的な聖霊との関係性を述べている。
No.279/p6 This structure establishes a process of learning…
・(博士本 Glossary-Index for ACIMより) ACIMの構造は学びのプロセスを確立するようにできており、単なる理論システムを述べたものではない。
・従って、ACIMを知的にマスターしても、コースが目指す体験的な変容には至らないだろう。
No.344/p8 What is particularly striking in A Course in Miracles, reminiscent…
・ACIMの出だし「奇跡に難しさの序列はない」はACIM全体の思考システムを芽吹かせるもの。元々の言葉は「これは奇跡についての講座である。記録をとってもらいたい。 奇跡についてまず覚えておくべきことは、そこに難しさの序列はないということである。」であり、これがコース全体の要旨だった。(→天国から離れてp229参照)
・第1の原理を真に理解することはACIMが説く思考システムを開く鍵である。
No.392/p9 Inevitably, that is what people try to do with this course…
・学習者がやりがちなこと:用語を暗記したり、理論だけ極めたり、全て赦すべきと言って他者の苦しみを無視したり、コースを引用して攻撃や裁きを正当化したり、ワークブック完了で卒業と勘違いしたり。→こうしたことはコースの上澄みにすぎない。
・ACIMには途方もない深度がある。様々なレベルで書かれているため、私たちの多様な学習レベルに合わせ理解が深まる。何年も学習してはじめて、その深さを(知的・体験的に)理解しはじめることができる。
No.511/p12 It is important to note that the ego and Holy Spirit are thoughts…
・重要なのは、自我と聖霊はどちらも想念であり、分離の考えに対する2つの異なる見方であること。この2つから選ぶからには必然的に選択する者「決断の主体」が存在する。
No.556/p13 As the ego understands, being no one’s fool, that the power…
・自我は分離の想念そのものによってではなく、神の子が「分離を信じること」によって存続している。この違いは重要。分離はそもそも存在しないのだから分離によっては自我も存在し得ない、しかし神の子が幻想を信じる力によって存在することは出来る。自我は神の子の気が変われば消滅する。自我は神も愛も贖罪も恐れてはいないが、神の子が聖霊を選択する事だけは恐れている。
No.660/p16 This is one of the unique contributions A Course in Miracles…
・ACIMがスピリチュアリティの歴史に貢献したユニークな点:世界の起源を説明しただけでなく、その背後にどのような目的があるのかを明らかにした(苦しみや痛みにも目的がある)。
・聖霊は私たちの恐れのペースに合わせ、優しくゆっくり確実に歩んでくれる。実際のところ、身体の体験がなければ心にアクセスする手段はない。
No.762/p19 In this experience, Helen found a piece of machinery in a rowboat…
・(ヘレンの霊視にて) 彼女は手漕ぎボートに太古の送受信機を見つけた。これはイエスからメッセージを受けとる(受信)する事、そして筆記(送信)する事の象徴だった。男性(イエス)が現れ「まだ何もしないように。あなたにはまだ準備が出来ていない」と言った。(天国から離れてp121に詳細)
・これはヘレンがクリアに聞き取るためには内的な準備が必要だったという意味。ヘレンが慣れない初期の頃はあちこちで間違った聞き取りをし、のちにイエスによって訂正された。
No.798/p20 In fact, there were not fifty in a row, the way they now appear…
・実際は50の原理ではなく53くらいあった。ビルは50が妥当と考え、残りの3つは別の箇所に吸収統合された。この話をするのは、コースの一字一句が神聖不可侵なもののように捉えて欲しくないから。ヘレンはそのような見方をしていなかった。
・現在の形は、ヘレン、ビル、私によってイエスが望むと感じられたもの。不必要な内容は含まれていない。
★Chapter 1 The Meaning of Miracles
No.853/p21-22 The ego’s prevailing strategy is to keep us in this state so that…
・自我が恐れているのは我々が選択の力を行使して聖霊を選ぶこと(それは自我の死を意味する)。そうならないように我々の注意を外的なもの(特に身体)に惹きつけておく。
・幼児は欠乏を感じると泣く→親が駆けつけてあやしてくれる→心地よいと感じる→このようにして特別な関係によって欠乏という体験に対処することを学ぶ。
・もし空腹になれば食べ物を得て、喉が乾けば水を得て、孤独を感じたら他者を操って側に居させるようにする。→身体は我々を心に戻さないように気を逸らさせ続けるためのもの。
・時に苦痛が快楽になることもある。それが他者を操るのに効果的だから。ex.妻の愛が足りない→自分を病気にして相手の注意をひきつけるetc.
No.897/p22 As is shown on the chart, the miracle reverses…
奇跡に難易度序列はない。ビルはこれを「問題解決に難易度の差はない」と言い換えられると言っていた。→奇跡は問題が本当にある場所「心」で解決するから。一方、魔術は世界や身体など真の問題の所在ではないところで解決しようとする試み。
No.950/p24 We simply go from one conflict, disease,…
我々が対立や病気や戦争などの問題を渡り歩いている理由は、原因と結果のレベルを混同しているから。原因は心にしかない。一方、結果は世界のもの。奇跡は我々のフォーカスを結果から原因(身体から心)へとシフトさせる。
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。。。というわけで6月はここまで。改めて読み返してみると、すげぇヒマだと思われても仕方ない感じがするけど、まいっか。毎日サンデーだし。orz
冷静に考えるとだいぶマニアックな集まりですけど、自然発生的にこうした流れになったことはとても感謝しています。これからもみんなで励まし合いつつ、無理なく継続していけるといいな。(^^)
出典:Journey through the Text of A Course in Miracles (FACIM) / 天国から離れて (中央アート出版社)
コメント
貴重なシェアをありがとうございます。
No.556/p13
自我は神も愛も贖罪も恐れてはいないが、神の子が聖霊を選択する事だけは恐れている。
上記の恐れていないというのは、自我は神も愛も贖罪も理解できないというニュアンスでいいのでしょうか?
それとも理解しているけど、恐れていないということなのでしょうか?
陽介さん、コメントありがとうございます。
仰るとおり、前者のニュアンスで合っていると思います。そもそも自我と聖霊は相互排他的な思考体系なので、自我にとって神/聖霊(愛)は理解しようがないため恐れてもいないそうです。
ただ「決断の主体がもつ選択力」に己の存続がかかっている事だけは承知しており、その選択力が自我を選ばなくなったらオシマイだ!という事だけはビビっている。。。という説明だったかと思います。
tobbeさん
やはりそうでしたか、理解が深まりました。
No.853/p21-22
幼児は欠乏を感じると泣く、時に苦痛が快楽となることもあるなど、JTTはワプニックさんの妥協のなさが炸裂していますね。
少しずつ、楽しみながら、読ませていただきます。