ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20190218(x3)

石を投げられるような話(1)

この2ヶ月、思うところはいろいろあったんですが、さすがに既婚者を好きになるといったような話は、なかなか開示しづらいものがありますね。。。ACIM学習者の先輩方が私を裁くことはないので救われてますが、似たような状況の人が誰にも言えずに1人で抱え込む理由がよく分かる今日この頃です。

以前、ニコちゃんがクールダウン宣言をしてくれたお陰で気づいたことがひとつあります。それは、湧き上がってくる感情を押さえ込んで無かったことにしても、何の解決にもならないんじゃないかという事です。当初、私はそれをやろうとしてたし、感情に蓋するのは得意なので多分やれば出来ただろうと思うんだけど、ただ、今回も同じ作戦を繰り返すのはどうだろうと。

例えばコースアウト時代にやらかした大間違いのひとつに、「怒りは決して正当化されない=怒っちゃいけないって事だよね」という、抑圧街道まっしぐらな勘違いがありまして。。。これをやらかしてた期間、どんな腹が立っても「私は学習者なんだから怒っちゃダメ」と自分に言い聞かせて、表向き涼しい顔を保って過ごしてました。それは途中までは一見うまくいくのですが、最終的にどうなるかというと、1年後くらいに溜め込んだ怒りが爆発して、修復不能なまでに人間関係を崩壊させてしまうのです。これは痛い教訓でした。

浮上してきた想念ときっちり向き合わずに表面だけ取り繕っても、結局その想念は消え去りはしないんだなーと。その想念ないし感情が怒りであっても恋であっても同じなんだ、という事を思ったわけです。
先のゲイリー講座のシンディの言葉を借りるならば、ニコちゃんに惹かれるという時点で、そこに何らかの憎悪を秘めたシナリオが展開しているということになります。恋愛特有の甘美なムードというのは、その憎悪を覆い隠す巧妙な仕掛けなんだなあとホントに思います。。。

だからって、その憎悪を見ないようにするためにニコちゃんを遠ざければ一件落着というわけではなさそう。この関係の背後にある罪悪感はすでに私の心の中にあるので、いくら逃げても無駄だろうと。そんな事をしても、いずれ別のニコちゃんが現れて、結局は余計な時間を費やすだけになるでしょう。だったら今、目の前にある関係を用いて、出来る限り心のなかに隠している闇を見つめる手段とした方が建設的なのかなと。。。良し悪しの話ではなしに。

(つづく)

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