ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20190111

世界のすべては舞台である

1/1。

2019年を迎えました。って、これが予約投稿されんの1/11ですね…。(^^;;

さて、年末ごろから感情的に大混乱することがあって(落ち着いたら書くかも?)、ちっとも平安じゃなくて連日ジェットコースター乗ってる気分だったんですが、そんな時にテディさんが差し出してくれたのが、この博士動画でした。

All the world’s a stage  — Watching ourselves from the audience
(世界はすべて舞台である — 自分自身を観客席から眺めることについて)
https://youtu.be/MAq8bhrwB0E

目の前で展開するあれやこれやの出来事に飲み込まれそうになっていたとき、この講話のお陰でだいぶ心を落ち着ける事が出来たように思います。どんな事にも応用できるメソッドなので、前半の覚えておきたい所を自分語で要約してみました。(できれば全編やりたかったけど、長くなりすぎるので抜粋のみです)

*****

(01:00) 皆さんの多くが、私がよく言う劇場のたとえを聞いたことがあるでしょう。自分が劇場にいて、イエスの隣に座っているところを想像してください。あなたは劇を見ています。これは私たちの人生という劇です。あなた自身がその劇の主人公として舞台に立っているのを見てください。そして舞台の上であなたが過ごす一日を眺めましょう。あなたの過去の日々や、あなたが現在していることを眺めましょう。そのようにして、一歩退いて見る姿勢を養っていくのです。(その態度こそが「イエスに助けを求める」ということの真の意味です。それは、イエスと共に一歩下がったところから、あなた自身がやっていることを眺めるということです)

あなたが朝目覚めるところを眺めましょう。あなたが着替えて、朝食を食べ、仕事に出かけ、自分が働くところを眺めましょう。あなたが他の人々と関わる様子を眺めましょう。もしあなたが誰かと一緒に暮らしているのなら、共に暮す人と関わる様子を眺めましょう。そうやって、一日を通じて、普通の人々と同じように暮らす自分自身を、ただ眺めるのです。喜んだり、悲しんだり、怒ったり、興奮したり、安らいだり、許したり、親切にしたり、不親切にしたりするあなたを、ただ眺めましょう。このことがそれほどまでに重要である理由は、舞台の上のあなた自身を眺めている「あなた」とは、舞台上の「あなた」ではないからです。そうすることで、自分を肉体と同一視する見方から離れ始めることができるのです。

先に引用した「奇跡はただ惨状を見つめる」で言えば、奇跡とはイエスと共に観客席に座って人生の惨状を眺めている「あなた」です。イエスと共に観劇している「あなた」こそが「決断の主体」なのです。あなたがイエスと共に眺めるとき、あなたは観察者になります。正しい心の状態にいる「決断の主体」とは観察者のことです。なぜならそれは、活動する自我を観察しているからです。ですから、劇場の中でイエスと共に眺めることが、「奇跡はただ惨状を見つめる」ことなのです。惨状というのはあなたの人生であり、それをイエスと共に眺めることによって、それが虚偽である事を思い出させてくれます。

「奇跡はただ惨状を見つめる」というのは素晴らしい言葉です。みんなこの言葉を、風呂場の鏡や車のバックミラー、冷蔵庫や財布やクレジットカードに貼り付けておくべきです。なぜなら、この言葉こそが、あなたの人生について、意義のある視点に立つことを助けてくれるからです。それは、惨状を見つめ、自分が見ているのは虚偽だと思い出すことです。

(4:23) 繰り返しますが、あなたがやっていることを止めてはいけません。家族がスピリチュアルじゃないからと言って見捨ててはいけません。仕事がスピリチュアルじゃないからといって辞めてはいけません。コースの学習者(自称)がやりがちな馬鹿げたことをやってはいけません。普通でいてください。誰もがやる当たり前のことをしてください。人間関係を持ちましょう。仕事を追求し、家庭を保ち、肉体のケアをしましょう。しかし、あなたがそれらの事をやるのと同時に、イエスと共に一歩下がって自分自身を眺めるという体験を養ってみてください(それには規律と練習が必要ですが)。

しばらく経つと、あなたにはだんだん違いが見えてきます。そして、夢を見る者と、夢の中の存在との違いを見分けられるようになります。夢の中の存在とは、舞台の上にいる人物のことです。あれやこれやの普通なことを行う肉体のことです。一方、夢を見る者というのは、観客席でイエス(または聖霊)と共に観劇している観察者のことです。
あなたがすべきことはそれだけです。それが自我の策略をひっくり返し、逆転させます。なぜなら、世界のすべてが舞台であり、男性や女性というのは単なる役者に過ぎないからです。一方で、観客席の側でイエスと共に座っているあなたこそが「心」なのです。

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私はというと、予期しないときに大きな波がやってきて、自分の集中力のほとんどをそっちに持っていかれるような状態でした。しかも立場的に危ういシチュエーションだったりするので大混乱だったんですけど。。。

でも、そうやってあたふたしてる自分が舞台の上で役を演じているんだと仮定して、ときどき視点を観客席に移行させつつ「あー、またやっちゃってるわねー」と眺めるだけでいいんですよ、という博士の言葉を聞いたのは結構救いだったかも。

というわけで、胸がキューッとしてきた時とかにこのメソッドを試してました。簡単なイメトレなので難しくないし、自分の想いとか言動を一時的に切り離すことで、罪悪感からも一時的に自由になれるように思いました。あー、自分を裁かないってこういう事かー、みたいな。

さて本件、現在進行中の話なのでまだちょっと頭整理できてません。例えるならものすごい乱気流に巻き込まれている気分で、いまは操舵だけで精一杯な感じです。

今年の正月は、じつに波乱の幕開けでした。。。orz

出典: All the world’s a stage – Watching ourselves from the audience (FACIM)

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