
Workbook レッスン196
レッスン196
私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである。(W-pI.196)
Lesson 196. It can be but myself I crucify.
2/27。一瞬んんっ?と思うような主題概念だけど、読んで納得。今まで誰かに噛みついてきたとき、正当防衛のつもりでやってたけど、結局それは私自身を串刺しにするような行為だったということですね。
でもこれ原文(It can be but…)だけだと格調高すぎて分かんなかったかも。てことはトベ1周目の時は確実に意味不明だったはず。(どのみち全体的に意味分かってなかったけど。。。) 加藤三代子先生の翻訳に感謝!
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pI.196.1:1
『このことがしっかりと理解され、充分に自覚されるなら、あなたは自分自身を傷つけることも、自分の肉体を復讐の奴隷にすることもしなくなるだろう。自分自身を攻撃しなくなり、他人への攻撃は自分への攻撃にすぎないと悟るだろう。兄弟を攻撃することが自分を救うという狂った信念からも自由になるだろう。そして彼の安全が自分の安全であり、彼が癒されるときあなた自身が癒されると理解するようになる。』
【練習】
具体的な指示はありませんが、レッスン193からの指示を継承して、1時間おきに少しの時間を使って今日の概念を練習します。今日の内容のメモ:
・他人を攻撃することで自分を救うことはできず、それは自分を攻撃することと同じ。
・自分に恐れをもたらしているのは自分の想念であり、自分の解放は自分にかかっている。
W-pI.196.9:2『あなたが十字架にかける相手はあなた自身以外にないというのなら、あなたは世界を傷つけたことはなく、その復讐や追跡を恐れる必要もない。さらには、投影の背後に隠されている神に対する死ぬほどの恐怖から、恐れおののいて逃げ隠れる必要もない。あなたが最も恐れているのはあなたの救済である。』
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エースのお兄さんの長期入院の日が近づいてます。本人は引き継ぎのあれこれでめっちゃ忙しそうなので、私は隣で黙って知らんぷりしてます。会話が苦手な彼にやたらに声をかけないのは、私なりの親愛の表現です。
いままで何年も、「どうしてこの人は理不尽なこと言われても言い返さないんだろう」「技術的には天才だけど、いくじなしじゃね?」 。。。と、彼の消極的な態度を心の中で批判してたトベですが、結局そうすることで、彼のみならず自分自身も十字架にかけ続けてた訳ですね。(T_T)
でもいまは心の中で、エースのお兄さんを聖霊みたいな素敵な人だと思うことにしてます。もともと、仕事の上で何度もピンチを救ってもらっている恩人なので、彼に感謝のイメージを重ねるのは難しくありません(いつもありがとう)。
今週の金曜を最後に、またしばらく会えなくなるけど、だからって彼を可哀想な病人と思うのはやめにします。そんな事思うのは、自分を可哀想な病人にするのと同じことになるという話ですもんね。
毎日こんなにたくさん色々思ってるトベですが、今日もエースのお兄さん(隣の席)とは一言も口を聞きませんでした。おしゃべりな私が彼に沈黙を贈るのは、自分なりのプレゼントということで。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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