ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180225

Workbook レッスン190

レッスン190
私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。(W-pI.190)
Lesson 190. I choose the joy of God instead of pain.

2/19。月曜の朝からバタバタしてて、いつもなら通勤中に読み終えてるはずのレッスン190に目を通した時はオフィス(始業前)でした。あぶないあぶない。。。

奇跡講座 下巻 ワークブック W-pI.190.2:3
『苦痛とは、神の子が自分が何であるかについて誤解していることを証言するものにほかならない。それは、犯されたはずもない罪や、攻撃不可能なものを攻撃したことに対する厳しい報復の夢である。それは永遠なる愛に見捨てられる、という悪夢であるが、永遠なる愛は、自らが愛をもって創造したわが子を見捨てることはありえない。』

【練習】
具体的な指示はないですが、練習の要点になりそうな部分をまとめます:

・苦痛は幻想であり喜びが実相であると学ぶ。
・為しえる唯一の選択は、「幻想か真理か」「苦痛か喜びか」「地獄か天国か」である。

(いつも通り、1時間に一度くらいのペースで思い出すことにします)

***** ***** *****

今日のレッスンに関連して、これまで自分が苦痛として知覚してきた出来事をあれこれ思い出したりしてました。

苦痛だった記憶はたくさんあるんですが、自分にとってとりわけ大きな課題(間違い)と思われるのが、「男性はきっと私を傷つける」という強烈な思い込みです。これが原因で私が起こしたトラブルは思い出したくない位あります。今にして思うと、怯えた犬が撫でようとする人に噛み付くような反応をしてばかりいました。

だけどレッスン190によれば、それらの苦痛はもれなく私自身の望みどおりに現れていたということになります。もしかるすと私は心の奥底で、「男性から苦痛をこうむることで、自分を罪のない被害者だと証明したい」と思っているのではないか。。。信じられないけど、そう考えるといろいろ辻褄が合うのです。

ですが、そんな頭のおかしい願望を持つからには、それなりの根深い理由があるようにも思います。それは離婚で傷ついたのが原因でしょ、と言い切れるほど単純ではない気がするのです。なぜなら、私が離婚を体験した時にはすでに、心の中に尋常でないスケールの怒りと憎悪が「あった」からです。(何の因縁もないところから突然これほどの憤怒が生まれるわけがない) 

ということは、私は生まれてからずっと、その憤怒に匹敵する罪悪感を潜在意識に隠し持っていたのかも知れません。

そんな私が、これまでの人生に照らし合わせたうえでの憶測になりますが。。。もしかして過去の人生で男性だった事が何度もあり、そのたびに女性に対してひどい扱いを繰り返してきたのではないかということです。

私の潜在意識はそのことで密かに耐えられないほどの罪悪感を抱いていて、今回の人生で自分を男性の被害者だと知覚する(=怒る、憎悪する)以外に、罪の意識から逃れる方法はないと信じているのかもしれません。

相変わらず根拠のない妄想ですが、そう考えると、過去に苦痛だと思ってきたいろいろな事が説明がつくだけでなく、どうも自分の潜在意識が苦痛を望んでいるらしい事も納得できます。

でも、仮に私の見立てが正しかったとして、どうすれば苦痛のかわりに神の喜びを選択できるのでしょう?
幾世もまたがっている可能性のある間違った思い込みを、自分一人でどうにかするなんて不可能だと思います。聖霊たすけて。。。

結局、これから出会うすべての男性に対して動揺を感じるたびに、心の目で相手に聖性を重ねて見るという地道な練習を続ける以外に方法はなさそうです。


絶好の練習相手として、まずは実家の癇癪もちの父からだな。。。(関係が近いだけに、却って難易度高いけど…)

出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)

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