Workbook レッスン180
レッスン180
復習Vの⑩ (W-pI.180)
2/5。気がついたら今日で復習5の終わり。ちゃんと出来た自信はないけど、今回の復習では指定レッスンを全部読み直しました。(やっぱり忘れてた…)
【朝晩の練習】
起床後と就寝前に。(復習Vのメモ参照)
神は愛であり、だから私も愛である。
God is but Love, and therefore so am I.
【日中の練習】
復習Vのメモ参照。
神は愛であり、だから私も愛である。
1. (169) 恩寵により、私は生きる。恩寵により、私は解放される。
Lesson 169. By grace I live. By grace I am released.
神は愛であり、だから私も愛である。
神は愛であり、だから私も愛である。
2. (170) 神には残酷さはなく、だから私にもない。
Lesson 170. There is no cruelty in God and none in me.
神は愛であり、だから私も愛である。
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先週の金曜くらいに「女子トイレで号泣してる人がいる」と新人ちゃんが言ってきたので誰だろう?と思ってたら、なんと昔から女子会で仲よくして貰ってる社員のKさんでした。その日、廊下の隅とかで涙声で電話してる姿を何度か見かけたので、間違いありません。
今朝、給湯室でばったりそのKさんに出会ったので、それとなく様子を伺ったところ。。。Kさんは堰を切ったように話し始めました。
どうやら高齢のお父様が倒れて入院したものの、ひどく暴れたり誰彼かまわず怒鳴り散らして退院を主張したりして、家族一同や関係者を窮地に追い込んでいるようでした。
このためKさんは憔悴しており、先日はお父様のわがままが許せなくて怒りと悲しみのあまり涙していたという事が分かりました。
うーん、私の両親も高齢なので人ごととは思えない。。。けど、介護経験のない私には彼女を励ますようなアドバイスは出来ません。私に出来るとしたら、せめてKさんの話を聞いて、少しでも彼女の心に寄り添うことくらいです。
一方で、心の中では「本当は誰も悪くないんだ、Kさんに起こっているように見える出来事の源を自分も共有しているんだ、だからこれは赦すために現れている事なんだ」とチラっとでも思い出してから話を聞くように努力してみました。(本当にチラっとね)
この時思ったのは、ACIMって「心の中」でなら出来ることはいろいろあるけど、行動面で役立てることはほとんどないんだなって事です。。。でも、きっとそれでいいのでしょう。
もし私がKさんを気の毒がって何とかしなきゃと思うなら、私は心の中でKさんの問題は現実だと宣言してしまうことになります。もちろん対人的には彼女の話に相槌を打つけれど、心の中ではそれを看過するのが、私の練習なんじゃないかと思うのです。
この世界が壮大な幻想で、全ては想念によって投影されているとしたら、私が心の中で思う事は無意味ではない。。。はず!?
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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