Workbook レッスン134
レッスン134
私が赦しをありのままに知覚できますように。(W-pI.134)
Lesson 134. Let me perceive forgiveness as it is.
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pI.134.7:1
『赦しは、この世界の幻想の中で真理を象徴する唯一のものである。それは幻想の虚無性を見て、それらが纏う数限りない形態を素通りする。嘘を見ても、騙されることはない。罪悪感で気がふれた罪人たちの自責の叫び声を、気にかけることもしない。赦しは、彼らを静かなまなざしで見つめ、ただ彼らに向かって、「兄弟よ、あなたが考えていることは真理ではない」と言うだけである。』
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週末、次々に女友達と会うことになりました。最初いい顔してOKするんですけど、会う直前になぜか億劫な気分になりがち。そんな時は友達に対する自分の解釈も歪んでてネガティブです。(体力的にきついとか、自分の用事が出来ないとか、おもてなしが大変だとか、屁理屈ばっかり…)
でも実際に会ってみると楽しいし、温かい好意を感じるし、こうして友達が会ってくれるなんて幸せだな〜と素直に思えます。実際テンション上げて話してるとちょっと疲れやすいけど、それでも良かったなと。感謝と嬉しい気持ちだけが残ります。
この差は何だろうな〜?みんな優しい友達だし、毎回会って良かったと思えるのに、どうして会う前は楽しみに出来ないんだろう。。。
今日のレッスン「私はこれと同じ事をする自分を責めたいだろうか」について考えてて、こういう微妙なケースでも、相手を自分勝手に解釈してるなあと思いました。何の攻撃を受けてなくても、なぜか自分を被害者のポジションに置きたがる傾向があるみたいです。なんで?
今後、要注意パターンとして見守っていきたいです。。。
【長い練習】2回
15分の練習を2回行います。まず聖霊に次のように頼むことからはじめます:
私が赦しをありのままに知覚できますように。
それから兄弟をひとり選び、彼の「罪」を一つずつ並べていきます(拘泥せずに)。彼について思ったすべての邪悪な事柄を考慮し、そのたびに「私はこれと同じことをする自分を責めたいだろうか」と自問します。
彼の罪に対して抱いてきたすべての考えから、彼を自由にします(L134.16参照)。そして残りの練習時間は、兄弟を縛ろうとして実は自分自身を縛っていた重い鎖からの脱出を体験します。
【短い練習】
1日を通して赦しを練習します。
自分が赦しの意味を忘れて攻撃するときは、次のように言いながら、自分の心がこの幻想を看過できるようにします。
私が赦しをありのままに知覚できますように。私はこれと同じことをする自分を責めたいだろうか。私はこの鎖で自分を縛るつもりはない。
そして、何をするときも、次のことを思い出します:
誰もひとりで十字架にかかることはない。しかしまた、誰もひとりで天国に入ることはできない。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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