神の子としての自分を大切に
9/9。
昨日の勉強会に引き続き、今日はなんと!マイティさんが東京に来てくれて、久々の再会&お茶会です(3月の初対面はこちら)。やったー(*゚∀゚*)と浮かれる一方で、マイティさんならきっと何か大切なメッセージを携えてきてくれるのに違いないという予感もあり。
結論からいうと、それは私にとって想像以上にディープで重要なお話しでした。。。
きっかけはこんな感じ:
「トベさん、自分を大切にしてね。手術のあと、ちょっと無理しすぎじゃない?」
「え?大丈夫ですよー(°▽°) いつも自分大切にしてますよー♡」
「例えばだけど、手術終わった直後の自宅療養の時期に、友達の頼まれ仕事を引き受けたりしてたでしょう」
「あ、そういう事もありましたね。でもそれほど負担ではなかったし。。。」
「気づいて、トベさん。本当にあなたの事を大切に思っている友達なら、手術を受けた直後に仕事を頼んだりすると思う?」
「あ。。。。」
「トベさんが自分を大切にしていないと、それがそのまま外界に投影されて、トベさんを大切にしない人ばかり現れるって事なんだよ。そんな人には、NOと言っていいのよ!」
「あああああっっっ ∑(゚Д゚)」
マイティさんのこの一言はすごい説得力がありました。そんな風に思ったことは一度も無かったけど、これで今まで心当たりのある類似エピソードの説明がつく気がする。。。!
最近でも、術後ほどなく草津の宿で肉体労働したり、新人ちゃんのチョンボを黙って始末したり、苦手な人の友達申請を承認したり、クロトワ課長の未払い金を被ったりして「うまくいった、ヨシヨシ」などと悦に入っていたのが、ただの自己犠牲だった(=赦しじゃなかった)疑惑が浮上してきたわけです。
ひいいいっ!気がつかなかった!目が覚めたけど、ショックでかすぎる!!
①『神の子』には、自分自身も含まれているという事を忘れてはいけない。
②だからまず第一に、自分自身を『神の子』として大切にする必要がある。
③自分を放置したまま他者だけを『神の子』として扱おうとしても、結果的に自分が犠牲になってしまう。(→病気になったり利用されたり…)
自分を大切にしていないと、それに応じて自分が大切にされない出来事ばかり知覚され、その結果、自覚がないうちにじわじわと「怒り」が蓄積するそうです。うわあああ、チリツモ系の怒りに関してはすっげえ心当たりがあるうぅぅぅーーー!!
でも、私いままで自分を犠牲にしてるという感覚は全くなくて「この位のことは全然へーき」とか「断る程の話じゃないしなー」程度にしか感じてなかったんですけど。。。
④何十年も自分を大切にしないまま過ごすと、やがて心の声は聞こえなくなる。
⑤心の声が聞こえない=聖霊の声も聞こえなくしているということ。
私、それじゃーーーん!!(;゚Д゚)
長年かけて心がマヒした状態に慣れてしまうと、もれなく今のような人生に辿り着くそうです。orz
やばい!意識を内側に戻すための練習をしなきゃ。まずは赤ちゃんのように快・不快を感じ分ける事からスタートだとか(トイレを我慢しないとか…)。しかも、感じるためには集中が必要で、どんなに忙しくても5分時間とって静止するとか、ひとつひとつのことを丁寧にやるとか、そういう訓練を重ねていくと、だんだん自分が何を感じているか分かるようになるのだそうです。
それから、なんか変だな、嫌だな、不快だな、と少しでも感じたら、その気持ちを正直に見つめること。(私の場合は、そこで自動的に自分の感覚を無視する回路が出来上がってしまっているので、特に注意を怠らないようにする必要がありそう)
って、まだ全然腑落ちできてないかもーーーー!!
でも、自分が次のステップを見せて貰っているという感触はすごくありました。だから、たとえまだ飲み込めてなくても、出来る限り心がけるしかないよね。でないとまた何度でも同じこと繰り返すもんね。
聞けば、長年ACIM実践しているマイティさんも、過去に私と同じような状態に陥っていた事があって、それに気づいて手放していく過程で苦しい時期があったのだとか。。。だからこそ、聞いてるこっちもリアリティが半端なかったのだと思います。
マイティさん、聖霊のメッセージを私にも理解できるように翻訳してくれて有難うございました。これはもうACIMでいう精神療法の領域に相当する内容だったと思います。(ズバッと心に届きすぎて、今回も涙やら鼻水がドバドバ出てきて大変でした。またティッシュの山が。。。)
決して近所とは言えない距離なのに、私のために遠くから来てくださった事に、感謝です。
ありがとう、マイティさん。教わったこと、心がけてみます。
またお話聞かせてください!
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