ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20210610

ミシンから垣間見る景色

6/8。

やっとJTT本21章を読了し、これからゆっくり要約です。でも、コース的なことは一旦脇において、商慣習でちょっと考えさせられることがありました。それはハンドメイド作品の価格設定についてです。近況も兼ねつつ、思うところを書いてみたいと思います。

この歳になってミシンを始め、生地からいろんな物が作れる可能性が開けたことが楽しくて、少しずつ上達してきました。もともとゼロからのスタートだったので、まだまだ伸びしろはめいっぱいあります。今までいろんなものに手を出してきた経験からいうと、対象が何であれ、やればやるほどグングン上達する時期というのは夢中になれるもんです。(伸びしろが少なくなってきた時に興味を失いがちだけど…)

今回それを後押ししてくれたのがSNSでの反応でした。これ不思議なんですけど、ド素人がショボい作品を作ってるだけなのに、ベテランのみなさんがたまにいいねしてくれるのです。ちなみにお絵描きのリハビリを頑張っていた頃もSNS発信してたけど、見知らぬ人からの反応はゼロでしたし、私自身もそれが当たり前だと思ってました。だからこそ、ヨレヨレの袋作品をなぜか知らない人が褒めてくれるという謎現象を信じられない気持ちで眺めています。ソーイング界の人ってみんな優しいなぁ…。

さて、超小型ミシンで練習しまくったらひととおり使い方も分かったし、糸絡みなどのトラブルにも対処できるようになりました。同時にミシンの性能的な限界も分かるようになったので、5月下旬にやっと普通のミシンにステップアップしたところです。そしたら(当たり前ですが)めちゃくちゃ縫いやすくなって、一気に作れるものの幅が広がりました!作品の品質もアップし、「もしかしたら売れるのでは…?」と期待が高まります。わくわく。

実際、ソーイング作品をSNSで発信しているベテランさんはハンドメイドマーケットで販売するのが普通ですし、私自身も「好きなものを作って売る」というポジションに憧れていたところもあるので、この選択肢はたいへん魅力的に思えました。よーし、次の挑戦は、作ったものを売ってみることにしよう!

と、意気込んだものの…。
作る側になって、やっと気づいたことがあります。

それは、「制作の手間に対して対価が見合わない」ということです。ハンドメイド界では、個性的で凝ったつくりの作品が手頃な価格で販売されているのですが、その作品をひとつ送り出すのに膨大な手間がかかっているにも関わらず、それが価格に反映されていない事に気づいてしまったのです。具体的にいうと、どう考えても完成までに5時間以上かかっていると思われる作品が5000円以下で売られているケースが散見されるのがちょっと…。つまり時給に換算したら最低賃金以下なんじゃないかという…。

たぶん、多くの作家さんたちは純粋に作品づくりを楽しんでいて、その過程を労働とは捉えていないのでしょう。(尊い…)「作って喜ばれるのが嬉しい、儲けたいわけではない」という作家さんのピュアな想いはリスペクトしていますが、腹黒い私はどうもその尊い精神に倣う気持ちになれません。

というのも、ずっと派遣だったトベは時給には敏感なのです。最後に無期雇用になった時には、私の知らないところで本当の時給がかなり中抜きされてたことを知り、それまで自分の価値を低く見積もりすぎていた事に気づきました。もちろん、それなりの実績とスキルがあるIT業界での時給と、ド素人のミシンがけ時給がイコールだとは思ってません。だとしても、手づくりだからという理由で最低賃金を切る価格設定が常態化しているという世界は、私にしてみるとちょっと参入を躊躇したりするわけです。

(もちろん、趣味でやってるなら採算考える必要ないじゃんという意見もすごく分かります。実際このブログも相当時間かけてるけど、書くことによって最も恩恵を得ているのは自分なので、そこに生産性とか時給どうこうという発想はでてきません。しかし私にとってミシンというのは生産の道具であり、いくら楽しいとはいえやっぱりWeb制作と同じような労働寄りの楽しさなのでした)

ここから先は私の勝手な考えですが。
ハンドメイド作品には「量産できない」という特徴があります。それは、誰かが情熱と時間を捧げてやっと生まれる希少性のことです。それが下手すると大量生産品よりも安価に取引されるとき、果たして自分は、楽しさと引き換えに労働報酬を犠牲にしてもいいと思えるだろうか?そもそも市場原理からいって、希少性のあるもののほうが高額で取引されるべきなんじゃなかろうか?などと考えてるうちに、

「ここはひとつ、ハンドメイド界の相場を無視してみようか…」
という思いが芽生えてきました。

つまり、作品にきちんと労働報酬を反映するということです。すると、私の作ったショボい手提げ袋がブランドものバッグより高額になるという謎の事態が発生します。需要があるかどうかも分からない作品に相場を無視した価格設定ってクレイジーですよね。そんなの買い手がつく訳がないけど、それも面白いじゃないかと。

たぶんこれは、何のしがらみもないド素人だから思いつくようなアホな発想なんでしょう。
でも、価格も一種の象徴であるわけだし、それをどう解釈するかは人それぞれなのかなと。
とりあえず常識のほうはおいといて、「ベラボーに高額な手提げ袋が並んでる珍ギャラリー」でも作ってみようかな。(゚∀゚)

こういう損得勘定は、コースとは相容れないなぁといつも思います。
でも、たとえこれがすべて夢であっても、自分から進んで不利なポジションに飛び込まないという姿勢は大事にしたいです。いままでずっと器用貧乏をデキル子の証だと勘違いしてきたことの反省も込めて…。
それと面白いことに、自分の価値を正当に見積もろうとすると、他の作家さんの価値も高く見積もれるようになることが分かりました。いままで高いなあと思っていた作家さんも、「この人の作品はもっともっと価値がある!」と思えるようになったのです。うん、なんか全然見え方が変わってきたかも。

めちゃくちゃ現世的ではありますが、(たとえコースなんか全く知らなかったとしても) 世界の見方というのはこんなふうに変わり得るもんなんだなあと思いました。今回のミシン体験を通じて、「自分をどう見るか=他者をどう見るか」という心理的な連動性がなんとなく納得できたように思います。
コースというのは、この心理的な連動性を “霊的に” 応用したもの(全てをひとつと見る、兄弟を神の完璧な創造と見る、etc.)であって、それを赦しと呼んでいるのでしょうね。

もしかすると価格云々ではなく、こうした見方の変化がいちばんの収穫だったかも知れません。

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