ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20180326, 20200409(x3)

ジュディのWeb講座(1) :①ACIM出版秘話

4/2。

あるときテディさんが「FIP(※)でジュディ・スカッチがWeb講座やりますよ」と教えてくれたとき、正直ビックリだったのを覚えています。
※FIP=ACIMの出版元、Foundation for Inner Peace(内なる平安のための財団)

ジュディはご存知のとおりヘレン、ビル、ケン(博士)と共にFIPを立ち上げ、ACIMを出版して世界に送り出した女性で、現在もFIPの会長を努めています。御年89歳のご高齢ですが、初期メンバーとして存命中の数少ない一人です。そのジュディ本人が世界に向けて発信するなんて、想像もしてませんでした(゚∀゚)

このWeb講座は日本時間で3/25に配信されたものです。さすがジュディのお話だけあって、初期メンバー秘話などが満載でした。個人的な印象で言うと、コースに対する見方がより立体的になるような目からウロコな内容だったと思います。また、今回の配信では貴重なヘレンの肉声も含まれており、そういう意味でも盛りだくさんなので、お時間ある方には是非おすすめです。

2020年3月のジュディのWeb講座↓
Let’s Discuss ACIM: My Life with the Voice
https://youtu.be/sPZwsr-IBiE

ジュディとACIMの出会い

このビデオの冒頭では、簡単にいうとジュディの幼少期に起こった「我が家への帰還」に関する象徴的な出来事、そして彼女の娘にサイキックな能力があったことがきっかけで実験超心理学の道に進み、やがてNY大学の公開講座で教えるまでになった事などを話してくれました。ジュディのこうした背景がきっかけで、ヘレン、ビル、ケンの3人と出逢うことになるのですが、それはジュディが成功の絶頂にあった時に突然訪れた謎の不幸から始まります:

[ジュディ]
(0:12) ある日突然、私は自分がひどく不幸である事に気づきました。私は絶望していました。家庭にも友達にもキャリアにも恵まれて、非常に安心感のある「幸せな」状況だったのに、まるで一気に不幸に突き落とされたかのようでした。そしてこの深い空虚さは、何をもってしても埋められそうにありませんでした。

(0:13) 1975春のある夜、私は誰にも聞こえないよう自宅のトイレに1人で籠もって「誰か(そこにいるなら)私を助けてちょうだい!!」と心の底から叫びました。それは私という存在の根底からの要請でした。(さて、皆さんもそこまで熱烈な頼み事をする時は気をつけた方がいいわね、すぐに応えられてしまうから — 予想もしない形で。笑)
私のこの要請はすぐに答えが与えられましたが、それは自分が思ったような形ではありませんでした。その答えというのが、コロンビア大学で大きな秘密を隠し持ってきた2人の心理学博士との出逢いだったのです。

(0:14) 彼らの招きに応じた私は、このときにビル博士、ヘレン博士、そしてケン博士と会いました。そして彼らのオフィスで、ヘレンとビルが極秘にしてきた話 — つまりACIMがどのようにもたらされたか –を聞いたのです。私が「その原稿を見せて欲しい」と言うと、ビルがキャビネットから7つのバインダーに収められた秘密の原稿を取り出してくれました。そして最初のページを開くとそこには、

「これは奇跡についてのコースである」
「実在するものは脅かされない。実在しないものは存在しない。ここに神の平安がある。」

と書いてありました。

(0:15) このとき私は、自分の要請に対する回答が与えられたことを知りました。私の幼少時代からの、我が家への帰還の探求を助けてくれるものに巡り合ったのです。それが全ての始まりでした。

ACIMが出版されるまでの経緯

その後ジュディはヘレン、ビル、ケンの3人と意気投合し、多くの時間を彼らと共に過ごすようになりました。この頃の4人は、何か具体的な導きが必要になるたびに「内なる教師に質問する」というやり方で物事を進めていたそうです。

ちなみにジュディの登場については「天国から離れて」p433以降で軽く触れられていますが、ACIMの出版に至るまでの具体的な経緯については書かれていません。以下のジュディの話はそのあたりを補うものです。

[ジュディ]
(0:19) 私たちはある時、この原稿をどうすべきかという話になりました。ビルは「この原稿を世に出すべきだ」と言い、ヘレンは「絶対にダメだ」と言うような具合で、この時点ですでに意見が分かれていました。それでも私たちは、この原稿を出版したいと言ってきたいくつかの出版社とやりとりしていました。どれも良さそうな話だったのですが、私たちがその出版社に決めて良いかどうか聖霊に尋ねるたびに、全員がNOという答えを受け取るのです。なぜ、どの出版社もNOになるのか私たちには見当がつきませんでした。

(0:20) 最終的に、1976年のバレンタインデーに会って話した出版社について(聖霊に)尋ねても答えがNOだったとき、全員で「では誰が出版すればいいのですか?」という質問をしました。このとき「生涯このコースを学習する者によって」「非営利の組織によって」「なおかつ本を分割しないこと」という非常に具体的な答えが返ってきたのです。
私たちは互いに顔を見合わせ「つまり、私たち以外の誰にも出来ないということだ」と理解しました。たとえ私たちが、どうやって本を出版するのか全く知らない素人集団だとしても、それは問題ではなかったのです。とにかくやるしかない。どうすれば良いかは聖霊から教わるということです。

(0:21) いま視聴してくれている多くの方は知らないでしょうけれど、私たちは聖霊に質問をするとき「その出版に必要なお金がどこから来るのか」といった事まで聞いていました。なぜなら、これだけの分量のハードカバー本の出版をするにはだいぶお金がかかるからです。そして私たちは目を閉じて質問をし、全員が別々の答えを得ましたが、それはひとつの全体像にぴったりとはまるものでした。ヘレンは「ジュディが知ることになるだろう」、ビルは「それはすでに成されている」、ケンは「全ては平安のうちに」、私は「まずやると決める」といった具合に。私たちはそのようにして、資金もなく知識もない状態で「やる」と決めたのです。

(0:22) まさにその翌日、メキシコのNPOを名乗る男性から私に電話がありました。
男性:「原稿のコピーを拝見した。これはぜひあなたがたで出版すべきだ」
私:「実は偶然にも昨晩、自分たちで出版することを決めたんですが、非営利でやるための基金を募る方法が分からないのです」
男性:「まさにそのことをお知らせしようと思って電話したのだ。私は先週、不動産を売却するよう導かれた。そして、これからその小切手をあなたがたに送るところだ。数日で届くと思う。そのお金は、速やかにコースを出版するための贈りものとして使って欲しい」

(0:23) 私たちはその小切手を受け取りました。そして、その寄付を使って無事に本を出版したときには、手元に180ドルしか残っていませんでした。

このように「まずやると決める」「聖霊に尋ねる」というやり方で、どのように事態が進展していったか、みなさんもなんとなく分かってきたことでしょう。

*****
。。。という感じの興味深い話がまだまだ続くので、今回はここまで。(^^;)

なおこのメンバーで「聖霊に具体的なものごとを尋ねる」ことについての博士の見解は「天国から離れて」p527以降に詳しく書いてあります。博士がやや否定的なトーンであることを踏まえたうえで、今回のジュディの話を聞いて思ったのは「だからこそ、具体的な質問を批判することはできない」という事でした。なぜなら、それこそがまさに、博士自身を含めた4人全員が実際に通ってきた道だった。。。ということが今回の話で良く分かったからです。

ジュディのように聖霊に具体的な導きを求める現世的なアプローチは、博士のような抽象的で純度の高いアプローチと比べれば遠回りかも知れません。しかしながらジュディが言うような「どんな些細な(具体的な)事でも聖霊に導きを求める」という姿勢は、「いかなる時も自分一人で判断しない習慣を身につける」という観点からは決して無駄ではないようにも思われました。

次は、ジュディが公開してくれた貴重なヘレンの肉声インタビューをまとめてみたいと思います。

(つづく)

出典:天国から離れて (中央アート出版社) / Let’s Discuss ACIM: My Life with the Voice (FIP)

コメント

  1. これ読んでなかったです~。
    めちゃめちゃ面白かった!
    Tobbeさんは、このころにはすでに、
    聖霊に具体的な導きを求めることに関して、
    自分なりの答えを得ていたんですね。
    もっと早く読んでおけば良かったです。
    でも、出版を終えたあと、手元に残っていたのは180ドルだけだったなんて、
    やっぱり、聖霊って、鬼嫁ばりに締め付けが厳しいんですね。
    これじゃあ、みんなで出版記念パーティーをやるにも足りないのでは?と思ってしまいました。
    聖霊の言う事を聞いても儲からないというのは、やっぱり、事実だなあと思いました。

    • はははは、鬼嫁ってwww
      でも言われてみればホント出版に必要なだけの過不足ない金額だったって事ですよね!
      もしかしたら、この4人にとってはこういう説明のつかないミラクル展開は日常茶飯事だったかも知れません。
      ほかにも公に語られていないこととして、博士のロスコー時代(池まである立派な敷地)やテメキュラ時代(財団の大きな建物)の運営資金はどこから出てたのか?とか、いろいろ俗っぽい疑問は尽きませんが、そのすべてがこうしたミラクルな寄付金で賄われていたとしたら…。すごっ!!!って、妄想しちゃいました。笑

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