ACIMタッチアンドゴー

奇跡講座に復帰してからのあれこれ
20200209(x1)

Our Gratitude to God – Part 1より

2/7。

最近はJourney本(JTT)にかかりきりな事が多かったですが、たまにはFACIMサイトのExcerpt Seriesに目を通してみようと思って久々に未読分を覗いてみたらやっぱり良かった。。。気分転換大事ですね。(^^)

今回読んだのは、Our Gratitude to God Part 1で「感謝」についてのお話です。そのなかで素敵だと思った箇所を3つほど。
※ただこれ、Excerpt Seriesの中では珍しく24ページもある大作で、そのうちの最初のページに過ぎません。挫折しない程度に読み続けていけるといいな。

コースでいう感謝とは何か

まず、この講話のテーマである「感謝」とは何か?という話ですが、これは私たちが日常的に考えている感謝 (誰かに良くして貰ったからアリガトウ…) ではなく、あらゆる人に全一性を見る (あらゆる人を必要不可欠と見る) ことから来る感謝だそうです。

Gratitude is an experience of humility that comes from the fact that …
感謝とは、「私にはあなたが必要です」という事実からくる謙虚さの経験です。それは、競争することや自分の欠乏を補うための特別性としてあなたを必要しているという意味ではありません。それは、あなたは私の一部であると認識する必要性のことです。そして私がそのように認識しないのであれば、本当の自分が誰だか思い出すことは出来ないでしょう。なぜなら、神の子は完璧に一体だからです。ですから、感謝に欠けることは、基本的には分離のシステムを永続させるための方法といえます。

ここからして、いきなり常識がひっくり返る感じですが、一発では飲み込めない私のような学習者のために、24ページ分もの解説してくれているのかも知れません!?というか、いまは無理して分かろうとせずに「腑落ちできてない自分」を認識するにとどめておきます。たぶん、読み進めるうちに何度も繰り返し説明があるのでしょうね。

とりあえず冒頭でこういう話があったという事は、後で大事になってきそう。

で、次に気になった箇所はこれです↓

何でも自分だけでやることの代償

One of the ideals of our society is what people call self-made persons…
私たちの社会の理想のひとつに「たたき上げの人(自力で出世)」というのがあります。誰の助けも借りずに何でもやってきた人とか、支援が不足していても何かを成し遂げた人などです。これは「私たちはみなたたき上げであり、神も何も必要ない」という自我の思考体系と一致します。ですが、コースが説明しているように、私達は自分が必要だと思っている人々(特別な愛のパートナーなど)について、最も憎むことになります。なぜなら、そうした人々は「私たちが自立しているというのは虚構にすぎず、ひとりでは自分を維持することなどできない」という事を私達に思い出させるからです。私たちは心のどこかで「自分は他者の助けが無ければ存続することができない」と知っているので、そのことを象徴する人々を憎みます。

ここで「たたき上げの人」と言ってるのは、一代で財を成した成功者のようなイメージでしょうけど、もっと身近な例で言えば「自立した人」という概念もこの範疇に入ると思います。

なんでこの箇所が気になったかというと、離婚後の自分自身が「もう男性なんか頼らない!何でも自分一人でやってみせる!」というメンタリティでここまで来てしまったからです。そうやって20年近くかけて分離の想念を強化した結果がコレだよなぁ。。。

紆余曲折を経て、現在は立派なおニート様として両親に養って貰うところまで行き着いたわけですが、この非自立の状態について多大な抵抗があったことは病気以来ずっと綴ってきた通りです。おまけに博士が指摘している通り、特別な関係であるパパリンにいろんな怒りを投影してるっぽいし。。。orz  (男性に頼らない設定の裏返し?)

そんな行き過ぎた自意識に必要なのが、冒頭にあったような真の意味での「感謝」なのでしょうね。

あともうひとつ興味深かった箇所はこれ↓

自己中心性を逆手に取る

In one sense, you have to say that acceptance of what A Course in Miracles…
ある意味、”コースの教えを受け入れることと、その教えを実践すること” は「信念の表現」であると言えるでしょう。それは、あなたが見ることのできない何か、あなたの頭脳では理解できない何か、あなたの耳では聴くことのできない何か、肉体や物理的な自己を超えた何か… に対する信念です。コースは、そこに書いてあることを盲目的に信じるように求めてはいません。イエスが言っているのは「私の教えを信じるべき根拠は、それが上手くいくから(=あなたを幸せにするから)です」ということ。彼は、私たちの”純粋に自己中心的な性質”にアピールしているのです。すなわち、私たちはいま幸せではないけれど、これらの原理を実践すれば私たちは幸せになり、もっと平安になること。直ちにそうなるわけではなくても、長い目で見れば必ずそうなる、ということです。

この箇所には前フリがあって、そこには「自我は、肉体の物理性を根拠に世界を信じさせる」 といった話がありました。つまり肉体的な知覚(目で見る、耳で聴く、頭で考える etc.)は信じられるけど、それを超えた先にある”心”には目を向けたくないということです。

その前提からみると、コースへの信念というのはまさに、肉体的な五感を超えたもの(見えないもの、聴けないもの、理解できないもの)への信念ということになり、だからこそ”心”へと戻る第一歩ということになるのでしょう。

あともう一つ気に入った表現は、コースが私たちの「幸せになりたい」という自己中心的な性質をうまく利用することで、心に戻る旅路に誘っているということです。自我のジコチューさを逆手に取って学ばせるというか、使えるものは自我でもなんでも使うというACIMのフリーダムな姿勢が好き。笑

*****

今回は気まぐれでExcerpt Seriesに戻ってきましたが、やっぱりFACIMが厳選したものだけあって、わ〜☆と思うことが色々ありました。

Our Gratitude to Godは24ページあるという事をちらっと書きましたが、これもゆっくりでいいから最後まで通して読んでみたいなー。

また何か気になる箇所があったら不定期に書いてみようと思います。(^^)

出典:Our Gratitude to God (FACIM)

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