ゲイリー達のオンライン講座 (24)
9/6。
今回のオンライン講座(24)は8月分のQ&A祭りPart 2なので、本当は日本時間8/30に開催される予定でしたが、ゲイリー曰く「予期しない技術的な不具合」で延期になってしまい、改めて日本時間9/6開催となりました。
今回は、5つのQ&Aをピックアップしてみます。量が多くなっちゃったのでざっくりとした要約です。
Q&A
Q5. ゲイリーは以前「Jは3つの戒めを説いた」と言ったけど、新約聖書には2つの戒めしか載ってません。「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」です。3つ目の戒めとは何だったのですか?あと、使徒ヤコブ(James)は保守的なユダヤ人だったようだけど、Jの教えを冒涜的と捉えていたのですか?
ゲイリー:当時その場にいた人はJの3つの戒めを聞いたはずだが、新約聖書には2つしか記されなかった。ひとつめは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ22:37)。あなたの言う2つめ「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」(マタイ22:39) も正しい。そして、聖書に記されなかった3つめは「あなたは偽りの形象を崇拝しない(You will not worship false images)」だ。
Jが2千年前に形象(images)という言葉を使っていたのは興味深い。コースでもよく使われている言葉だからね。一方、聖書の中では「偶像崇拝を避けなさい (コリント10:14)」と書かれている。だがJは偶像(idols)とは言わず形象(images)と言っていた。2千年前もそのことは一貫しており、彼は時代を一足飛び越えていたんだ。
ヤコブに関しては、彼は確かに保守的だった。だが同時に、彼はJを敬愛して従う人々の姿に心動かされてもいた。だから、ヤコブ自身がJの言葉を理解できていなかったとしても、人々がこれほどJを慕っているという事実には感銘を受けていたんだ。
そしてJが十字架刑に処されたとき、ヤコブが介入してきた。ヤコブ、ペテロ、パウロは教会を始めたがっていた一派だ。残りの弟子(トマス、マグダラのマリア、タダイ、アンドレ、フィリポ)は教会など始めたくはなかった。それはJの意図ではなかったから。ヤコブはそのまま突き進み、やがて人々の前で話したり手紙を書いたりするのが上手いパウロが現れて、Jの教えではない「キリスト教の神学」を築いていった。Jを理解している弟子たちと、そうでない弟子たちがいたなかで、(Jを理解していない)ヤコブがキリスト教会の初代リーダーになったんだ。
僕が興味深いと思うのは、どのようなスピリチュアル運動であっても、最初の分裂はすでに第一か第二世代で起こっているということだ。それは必ず起こる。キリスト教も多くの宗派に分かれていった。しかし真実はひとつしかない。トマスの福音書ではJが全一性についてたくさん言及しているのが分かるだろう。Jは当時、人々より何光年も進んでいたが、彼のベストを尽くして教えていた。彼はまた戻ってきて(身体としてではなく)我々に教えることを知っていたし、まさに今コースを通じてそれを行っているんだ。
Q11. もし誰かが、あなたが何か間違ったことをしたから謝ってほしいと言ってきた時、どうすればよいですか?赦しの話はいっぱいあったけど、謝罪についての話はなかったので教えてください。自分が謝りたいと思う場合と、誰かが謝って欲しいと言ってきた場合のいずれも「相手に自分への赦しを求める」ことですよね。
シンディ:謝るということについてですが、そのことを罪悪感なしで受け入れることです。もし謝るべきだとインスパイアされたのなら、「どうも自分は自我モードにいて、間違えてしまったみたいだ」ということを、罪悪感を持たずに相手に伝えることは可能です。それは愛ある正しい心の反映となるでしょう。例えば自分が誰かに何か攻撃的な事を言ってしまい、相手がそのせいで傷ついたと言ったとき、あなたは自分の心が自我モードにいた事を認識します。しかし罪悪感から謝罪するようなことをして、罪をリアルにする必要はないのです。「あなたも相手も無罪であり、本当は何も起こっていない」という真実に戻ったうえで相手と繋がるのであれば、それは愛ある赦しの反映となるでしょう。
ゲイリー:まず一般的な回答としては、もし誰かが謝れと言ってきても、その通りにしてやる必要はない。Jはヘレンに「他の人々からの要請を、答えられないまま残しておくことができない者は、自我中心性を克服できていない」と言っている(天国から離れてp270)。何か問題があって、それを解決してやらなきゃと言ってそれをリアルにするのは自我中心的だ。あなたは何もする必要はないんだ。僕の4冊目の本でA&Pは「ごめんと言うな」と言った (ごめんは罪悪感を示唆するから)。
もうちょっと具体的な回答としては、本当にこの人と関係を続けていきたいのか?と、常に聖霊に聞くことだ。良い意味で相手との関係を続けたい場合、シンディが言った方法で(罪悪感なしに)謝るなら、それがあなたを傷つけることはないだろう。その人と関係を続けたいから謝るとしても、あなたが罪悪感を持ってそのことをリアルにする必要はないんだ。
Q14. アメリカの医師の50%が燃え尽き症候群だといいます。そんな中、ACIMは日常体験を赦しのレッスンとして使わせてくれるので私は助かっています。質問ですが、医療従事者が燃え尽き症候群に陥るのを防ぐためのアドバイスはありますか?
ゲイリー:コースには精神療法というセクションがある。これはセラピストとしてのヘレン、ビル、ケンを助けるために書かれたものだ。この章のセラピストと書かれた部分を、どんなタイプの医者に置き換えても、それは全く同じ意味になる。セラピストの仕事は、患者のなかにあって本人では赦せないことの全てを赦すことだ。あなたはそれを行っているから、50%の燃え尽き医師の一人にならずに済んでいるのだろう。
精神療法でJはヘレン達に彼らがしているメソッドを変えるようには言っていない。 赦しを実践するにつれ、聖霊によってより良いメソッドに自然に導かれるだろう。この章で言っているのは、あなたが患者を赦すと同時にあなた自身も赦されるということだ。あなたはすでにうまくやってるし、燃え尽き症候群に陥ってる他の医師たちも同じようにすればより良い結果になるはずだ。
シンディ:どんな仕事であっても、燃え尽き症候群になるという事は、何でも自分だけでやろうとしてるからです。何事も、聖霊の延長として行えば燃え尽きることはありません。聖霊が自分を通じて流れ出るようにすれば何時間やっても疲れることはないのです。「私」が行うのではなく「聖霊」が行うということです。それが燃え尽き症候群や退屈や疲労の予防になるでしょう。燃え尽きる理由を細かくみていくと、必ずどこかに不満があります。その裁きが私たちを疲れさせるのです。どんな仕事であっても、これを試してみる価値はあるでしょう。
Q15. どうして魔術なしに自然に治ってしまうと、自我は恐ろしさのあまりもっと悪い方法で自らを傷つけようとするのですか?(愛は誰も忘れていないp130より)
シンディ:私たちが自分を身体だと思っている間は、何が自分にとってベストか知っている(治るのが良いに決まってるetc)と考えてしまいがちですが、そうではありません。自分は十分学んだから霊的に準備ができていると思いたいものですが、実際にはそこまで準備出来ていない事が多いのです。だからこそ「自分は何がベストか知っている」という自我の誘惑を聖霊に差し出し、手放していく必要があります。
そのように準備が出来ていない状態(世界や身体や罪悪感に惹かれたまま)で、もし突然病が癒やされてしまったら、自我は恐れという形で反応し、分離を保つ別の方法を探そうとします。だからこそ私たちは段階的に進んでいかなければなりません。どんな癒しが自分に適切かなどと自分で判断しないで、聖霊に任せることです。(以下略)
ゲイリー:テキストには、一時的に心身にとって妥協的な方法を使った方がいいこともある(T-2.IV.4)、と書いてあるのは重要だと思う。水も酸素も魔術だが、だからって水や酸素をただちに諦めることはおすすめしない。魔術を使っても構わないんだ。自我が訂正されていけば、心の力で自然に症状が消えることもあるだろうが、それは非常に進歩した状態だ。
僕のコースの友人2人は、癌を心の力で治せると考えて治療しようとしなかった。そして2人とも亡くなった。その理由は、彼らは自分で思っていたほど(心の力だけで癒せるほどの)準備が出来ていなかったということだ。病を治すのは確かに心の力なのだが、もちろんそれ以外の選択肢と組み合わせて構わない、ということを覚えていてほしい。Jがこの一言をわざわざコースに入れた理由は、コース学習者が治療を受けずに死ぬことを望んでいないからだと思う。誰でもいつかは心の力で身体を癒せる日が来るだろうが、それまでは「心の力」と「それ以外の方法」を組み合わせて構わないんだ。
シンディ:魔術を使うのは罪悪感があるという人のために、個人的な例でお話しますけど、私が何年か前にLAを運転してて渋滞中の信号で止まった時に、閉じ込められたという不安が湧き上がってきました。その恐怖感というのは、その瞬間においては非常にリアルで、全く自制が効かなくなるほどのものです。私のかばんにはXanaxという薬(抗不安薬)が入ってて、「私はこの瞬間に自分にとってもっとも愛あることをする」と決め、Xanaxを服用したんです。その薬が私を落ち着けてくれると知ってたから。でもその時「だから何?」という感じで罪悪感なしで服用しました。私が薬を使った理由は、それが愛ある行いだったからです。大事なのは、どちらの教師と共にそれを行うかです。
番外編:前回のマグダラのマリア顔復元の件
ゲイリー:あと、前回の質問にあった「ナショジオがマグダラのマリアの顔を復元した」という話について一言。これは、ナショジオがマリアはおそらくこんな顔であっただろうという復元を行い画像を作成した件だ(Is This the Face of Mary Magdalene?)。
僕はそれを見て本当に驚いた。それは非常にマリアそっくりだったからだ。驚いた理由のひとつは、ナショジオが以前、同じような顔復元をイエスに対して試みたが、全然似ていなかったからだ。しかしこのマグダラのマリアは本当に驚くほど似ている。彼女は美しいひとで、高い鼻を持っていた。彼らはイエスの顔復元では失敗したが、マリアでは成功したようだね。
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長くなっちゃったので、今回はここまでで。
個人的にいろいろインパクトがあったのは、4つめに挙げたQ15の「魔術なしで自然治癒した場合」の話でした。私も「癌とか自然に治った方が嬉しいに決まってるじゃん、どうして恐怖を感じるの?」と思ってたクチなので、シンディの回答には思わず身を乗り出してしまいました。なるほどー、準備が出来てない状態で癒やされてしまったりすると、自我が消滅を恐れ、何とかして分離を保とうとするから厄介なことになるのか。。。なんか納得したような。
あともうひとつ驚いたのが、じつはシンディにもパニック発作と思われるような症状があって、薬を持ち歩いていたということ。私もパニラーなので、渋滞の信号待ちで閉じ込められたという話を聞いて「これたぶん、私が満員電車でなるのと同じ発作だ」と思いました。こういうのって世界共通だったんだなぁ。シンディの告白に感謝。(私も、薬とか処方してもらって持ち歩いたほうが安全かな… 今は必要ないけど、ちょっと考えとこう)
出典:奇跡講座 上巻 テキスト (中央アート出版社) / 天国から離れて (中央アート出版社) / Gary & Cindy Renard Online Classes (講座) / Is This the Face of Mary Magdalene? (National Geographic)
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