Workbook レッスン219
レッスン219
復習VIの⑲ (W-pI.219)
3/28。今日の復習は一日中「私は肉体ではない。私は自由である」を思い出します。だからって身体が消える訳ではないけど、これまで自分は身体だと学んできたことの「逆(unlearn)」をやっている最中なのだと思うことにします。
【練習】
復習VIのメモ参照。
私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造したままの私なのだから。
1. (199) 私は肉体ではない。私は自由である。
199. I am not a body. I am free.
奇跡講座 下巻 ワークブック W-pI.219.1:3
『私は神の子である。私の心よ、じっと静まりなさい。そして一瞬の間、このことを考えよう。それから、父がわが子として永遠に愛しているものとは何かについて混乱することなく、地上に戻ろう。』
私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造したままの私なのだから。
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ACIMは心の教えなので、瞑想(=行為)についてはほとんど指示がない、というか、一生かけての瞑想も退屈で時間かかるから必要ない(T-18. VII.4)くらいの事を言い切ってたりします。
私は瞑想は苦手なので、ACIMが瞑想しろと言わない所はイイネ!と思ってたのですが、気がついたら毎日朝と晩に15分ずつ瞑想するのが日課になってるし。。。あれえ?おかしいなあ。
思えばワークブックの途中から瞑想ライクな練習がたくさん出てくるようになって、その流れで5分、10分、15分とだんだん瞑想時間が長くなってきた気がします。ところがワークブックはそれを瞑想とは言わずに「神と過ごす時間」とか「心を休息させる」みたいな表現で押し通してます。うーん、なんて賢い作戦。
そんな瞑想嫌いの私でも、毎日訳もわからずに朝晩坐るようになると「ただ静かにして主題概念を思うだけで平安に到達するほど甘くはないよな〜、もっと真剣にやらないと時間の無駄かも」みたいな心境になってくるから不思議です。
けど、ACIM関連本では、瞑想の方法論とかはあまりヒントがない気がする。たとえばワプニック博士の著作で瞑想について書かれた箇所を見たことはほとんどないです。ゲイリー本(Jesus & Buddha)でやっと、瞑想についての話がチラホラ出てきます。要約すると、瞑想を通じてエゴの訂正をする事は出来ないけど、瞑想は心の訓練としては有用である、とのこと。そうかー。やっぱそうだよね。
ワークブックでさえ「すべての雑念を退けること」みたいなこと以外には瞑想の方法論(坐り方やら呼吸法やら)は見られないので、学習者としてあまり瞑想という「形」の方面に深入りする必要はないと思ってはいます。けど、いつまでも雑念だらけという訳にはいかないので、これからはちょっと真面目にやってみようかな(今ごろかい!)
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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