Workbook レッスン36
レッスン36
私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。(W-pI.36)
Lesson 36. My holiness envelops everything I see.
今日のレッスンは「真に見る」ことの受け入れ練習のなのかな?肉眼が見るのは自我の世界だけど、全く罪のない心が同じものを見るとしたらすべてに聖性が見える、ということなのでしょうね。
奇跡講座 ワークブック W-pI.36.1:2
『あなたが神聖であるのは、あなたの心が神の心の一部だからである。そして、あなたは神聖なのだから、あなたの視覚も神聖なはずである。(中略)
あなたの心が神の心の一部であるならば、あなたには罪が無いはずである。そうでなければ、神の心の一部が罪深いものということになってしまう。あなたの真の視覚は神の聖性と関係があるのであり、あなたの自我にもあなたの肉体にも関連はない。』
(原文:Your sight is related to His Holiness, not to your ego, and therefore not to your body.)
【長めの練習】1日4回
①a 今日は一回3〜5分の演習を4回。まず目を閉じて主題概念を繰り返します:
私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。。。
①b それから目を開けて周囲をゆっくり見回して、目に入るもの何にでも、今日の概念を当てはめます:
私の聖性は、あの〇〇を包み込んでいる。
私の聖性は、あの△△を包み込んでいる。
(L36.3 に〇〇の具体例あり)
長めの練習の途中、何度か目を閉じて主題概念を繰り返し、再び目を開けて同じように続けます。(①aと①bを交互に繰り返す)
【短めの練習】頻繁に
目を閉じて主題概念を繰り返します:
②a 私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。。。
目を開けて、周囲を見回しながらもう一度:
②b 私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。(同上)
再び目を閉じてもう一度(終了):
②c 私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。(同上)
「短めの練習」は上記の②a、②b、②cでワンセットです。なるべく頻繁にやる事が求められているけど、今日のは目を閉じたりしなきゃいけないし、あんまり短くないな。。。(^^;;
まあ演習をやったところで、トベの自我には相変わらず肉眼で見るものしか見えないです。でも永遠のなかで罪のない心が保持されているのなら、その心のほうはこうしている間にも聖なるものしか見てないはずなんだよな〜。。。と思いながら長い方/短い方両方の練習をしました。
心が分裂してるとか乖離してるとかいうのは、まさにこの途方もない知覚の断絶を指してるんだろうな。ワークブックが最初からこんなに知覚の修正に力を入れる理由がちょっと分かってきたような気がします。
出典: 奇跡講座 下巻 ワークブック・マニュアル (中央アート出版社)
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