ACIMと楽しみの両立
ゲイリーの本を読んでいてもワークブックをやっていても陥りがちな失敗のひとつが、「コースを文字通り受け取りすぎて、人生を素直に楽しめなくなってくる」というやつでした。
特にワークブックは、何かにつけて「〇〇は無意味である」という反復を延々と繰り返すわけですから、何か楽しそうな事が目の前にあっても、「どうせ、何をしても無意味なんだ。。。」と、なんとなく人生に対して消極的になっていった時期もありました。
ただACIMは、自我と心を同一視するという間違いをしない限り、人生の好ましい感慨について否定してはいないんですよね。ゲイリーが言うように「映画を楽しむような気分で人生を楽しめばいい」のだと思います。
私は登山などして自然の中で過ごすのが好きですが、美しい風景を見たり、森の香りを嗅いだりすると、やっぱり素敵だなあ〜って思います。ACIM的にはそれすらも投影であると認識する必要があるのでしょうけど、喜ばしい気持ちと、それが投影であることを同時に認識するコツはないかなあ?
幸せな感慨に浸ったままでいいから、対象となる自然に執着したり、過度に評価したりしないことかな。。。
コメント